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日本に巣食う「学歴病」の正体
【第24回】 2016年6月28日 吉田典史 [ジャーナリスト]
低学歴でも幸せな米国人と、高学歴でも不幸せな日本人の格差
学歴に人生を左右されない米国人と比べて、学歴に人生を重ねてしまう日本人の「落とし穴」とは何か
今回は前回に引き続き、早稲田大学名誉教授で心理学者・作家の加藤諦三さんに、学歴に翻弄されない会社員の生き方をテーマにして取材したやりとりの模様を紹介したい。
加藤さんは「日本の学歴をめぐる議論には誤解がある」と指摘する。その誤解を紐解くと、日本人がしている、自分を否定しかねない努力や生き方が浮き彫りになってくる。それは、紛れもなく学歴病の症状の1つと言える。
悩める多くの人の心を掴んできた加藤さんが説く、「学歴に翻弄されない生き方」とは何か――。読者諸氏も一緒に考えてほしい。
日本はアメリカほど学歴社会ではない
価値観に多様性がないことが問題
筆者 私が今回取材依頼をする際、メールで連絡を差し上げたところ、加藤先生は「日本の学歴社会の議論には誤解がある」と、返信のメールに書かれていらっしゃいましたね。
加藤 ええ、その1つが日本は「アメリカより学歴社会ではない」という事実です。アメリカのほうが、はるかに学歴社会と言えます。日本の場合は、社会の価値観などに多様性がないことが問題なのです。
筆者 アメリカでは、どのような状況なのでしょうか。
加藤 たとえば、1982年のギャラップの世論調査で、一世帯当たりの所得満足について調べたものがあります。そこで「大変満足している」と答えた人を学歴別に見ると、「大学卒業」は48%、「高校卒業」は41%、「中学校卒業」は41%と、いずれも40%台なのです。
「私的生活で物事はうまくいっているか?」という問いについても、満足している人の割合は学歴によってさほど変わりません。「大学卒業」で85%、「高校卒業」は72%、「中学校卒業」で70%ですから。
筆者 中卒と大卒の数字にも大きな差はないのですね。
加藤 アメリカでは、物事がうまくいかないときに「どうせ、俺は学歴がないから」といった言い訳はしていないのだと思います。周囲の人も「学歴があるかないか」をあまり問題にしていないのでしょう。
「学歴があるかないか」という事実が問題ではないのです。その事実をその人がどう解釈するか、周囲の人がどのように認識するか。これらが問題であることを示している調査結果なのです。
学歴の有無と人生の満足度を
別の軸で考えるアメリカ人
加藤 諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1977年、早稲田大学理工学部教授に就任。専門分野は精神衛生、心理学。1973年以来、ハーヴァード大学准研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授。ハーヴァード大学ライシャウアー研究所客員研究員、ニッポン放送系ラジオ番組『テレフォン人生相談』レギュラーパーソナリティ。『「自分の働き方」に気づく心理学』 (青春出版社)、『劣等感がなくなる方法』(大和書房)、『人生は「捉え方」しだい 同じ体験で楽しむ人、苦しむ人』(毎日新聞出版)、『心の資産を高める生き方』『自分の人生を生きられないという病』(KKベストセラーズ)、『心が強い人 少し弱い人』(三笠書房)など著書多数。ホームページ>http://www.katotaizo.com/
筆者 では、学歴と職業との関係は、どのようになっているのでしょうか。
加藤 同じく、2005年のギャラップの調査に載っている2002年から2005年までの集計では、学歴と職業の相関関係は歴然としていることがわかります。
プロフェッショナル/エグゼクティブ(Professional/Executive)は、「高校以下の学歴」で20%、「大学教育を途中で止めた人」は34%、「大学卒業」では55%、「大学院卒」で79%です。
一方、ブルーカラーでは、「高校以下の学歴」で43%、「大学教育を途中で止めた人」は44%、「大学卒業」は37%、大学院卒で17%です。学歴が高くなるのに従い、ブルーカラーは少なくなっています。
「時間給、給料」のいずれの報酬体系で働いているかを、質問した結果もあります。「時間給」と答えたのは、先の順番で言えば68%、55%、33%、13%。学歴が上がるに従って減っていきます。一方で、「給料」と答えた人は同24%、29%、55%、77%。学歴が上がるにしたがって増えています。
筆者 「時間給」や「給料」といった報酬体系と所得の関係はどうなっているのでしょうか。
加藤 その関係もはっきりしているのです。所得が3万ドル以下の人では、給料の人が19%、3万ドルから7万5000ドルの人では37%、7万5000ドル以上の人では61%。この所得の順序で、時間給の人は74%、52%、25%と割合が減っていきます。
アメリカでは、職業や所得と学歴の関係は歴然としているのです。それでも、日本のように「学歴、学歴」とは騒がない。大学受験のために高校生活を犠牲にすることもありません。問題は、「学歴社会」という事実に対する人々の解釈の仕方なのです。
1982年のギャラップの世論調査では、「あなたの子どもとの関係」や「結婚」についても調べています。「あなたの子どもとの関係」で言えば、「大変満足している」と答える人の割合は学歴とは無関係で、「中学校卒業」で80%、「高校卒業」で79%、「大学卒業」で81%となっています。
「結婚」について「大変満足している」と答えた人の割合は、「中学校卒業」で81%、「高校卒業」で77%、「大学卒業」で81%。いずれも、学歴とは関係がありません。
家庭での人間関係などがうまくいくかいかないかは、学歴ではなく、やはり個人の人柄なのです。他の調査結果を見ても、アメリカには「満足にあまり格差はない」と言えるのです。
筆者 アメリカでは日本と比べて、学歴が人々の収入や職業などに強く影響を与える一方で、日々の生活の満足感には学歴による差があまりないことがわかりました。しかし、日本ではアメリカより、学歴の有無や最終学歴のステイタスなどに影響を受けている人が多いように思います。それらが事実に基づくものならともかく、「思い込み」に近いものも少なくないように思います。それが、閉塞した社会になっていく一因に見えます。なぜ、こういう状態になるのでしょうか。
人が幸せになるためには、
「自己否定的な努力」をするべからず
加藤 日本の社会にも問題があると思うのです。以前、学歴についてアメリカで取材していたときのことを思い出します。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の入学式で、「高等学校のときは、どのように生活していたのですか?」と学生たちに聞いたところ、「非常に有意義な生活を送ってきた」と答えたのです。私は「MITに入るために、遊びたいのも我慢して受験勉強をしたのではないですか?」と尋ねました。
彼らの言った言葉は、「Life is more important than university」――。「人生は大学よりも大切だよ」というものでした。
今も、私はこのやりとりを覚えています。「ああ、いいことを言うな」と思いました。彼らは、意識の中で「最善と最高であること」がはっきりと分かれていて、「最善」を選んで生きているのです。日本のように偏差値が高い、低いという次元ではないのです。彼らは、日本の大学生よりは楽しそうだったし、生き甲斐を感じているようでした。「最高」を目指して生きてきた人ではなく、「最善」を選んできた人はハッピーなのでしょうね。
筆者 日本の場合は、多くの人が「最善」を選んで生きてきたと信じ込んでいますが、実際は世間の価値観に自らを委ねてしまい、いわば「自己否定の努力」を続けているのかもしれないですね。
加藤 人が幸せになるためには、自己否定的な努力はするべきではないのです。「私はそのような人ではありません」と言えないといけない。童話に例えると、カメがウサギと競い合おうと努力をしても、心は満たされないと思います。そんな努力は自分を破壊してしまいかねないのです。カメは、カメであろうとする努力をしたほうがいいのです。
筆者 あらゆる努力が尊いわけではないのですね。
加藤 努力には2つあるのです。本来の自分であろうとするために必要な努力と、自分を否定する努力があります。日本では「努力はいいことだ」と双方を同じように扱っています。ここが、問題なのです。
努力をしていて何かがおかしいと感じたとき、たとえば「どうもつまらない」「理由もないのにイライラしたり、焦る」といった場合は、意志と努力に何らかの誤りがあることが多い。その場合、「自分を否定する努力」をしているかもしれないのです。
意志は、自己破壊的に働くことがあります。官公庁や大企業でエリートコースに乗り出世する人などは、意志は強いはずです。しかし、なかにはうつ病になったり自殺をしたりする人が現れることがあります。そういうケースでは、自分を否定する努力をした可能性があるのです。頑張った末に自殺をするのは、いかにも悲劇です。「自分でない自分」を生きている人は、成功したように見えても不幸なのでしょうね。
筆者 確かに、そのように思います。
そもそもウサギとカメが
競争すること自体に意味がない
加藤 アメリカにデヴィッド・シーベリーという心理学者がいます。彼は全米を歩き、悩んでいる多くの人たちから話を聞きました。悩める人には共通したものがあり、次のひとことが言えなかったと指摘しているのです。
それは、「私は、そういう人間ではありません」という言葉。このことを言えなかったがゆえに、自己否定的な努力をすることになり、次第に自分ではない人生を歩むようになったと報告しています。
私はこのことを知ったとき、童話のウサギとカメの話を思い起こしました。ウサギがカメに「どうしてそんなに遅いのか」と声をかけますよね。考えてみると、そんなのは余計なお世話ですよ。カメは「私はカメですから、遅いのが当たり前」と言えなかったのです。競い合うわけですから、随分と無理をして歩いたのでしょう。
そもそも、ウサギは仲間と一緒に野原で遊んでいたら、カメと出会うわけがない。ウサギは仲間とのコミュニケーション力が低く、孤立していたのだと思います。あれは、自己不在のウサギと自己不在のカメとの出会いであり、どのような結果になるにせよ、双方とも幸せにはならなかったと思います。最善の生き方をしていないのだから、うまくいかなくなるのは当然なのです。
筆者 日本の企業社会では、自己不在のウサギとカメのような人が多いような気がします。自分の性格、気質や能力、適性などに合わない生き方をしているから、会社員は「学歴病」になっていくのではないかと思います。
http://diamond.jp/articles/-/93792
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