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AI・ロボットの発達で、人間の仕事が脅かされている
人工知能・ロボット時代に人間はどんな職業を選ぶべきか
http://diamond.jp/articles/-/93041
2016年6月15日 山崎 元 [経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員] ダイヤモンド・オンライン
■「生産関数」から考える
AIへの期待と不安
囲碁の世界トップ棋士の一人である韓国のイ・セドル九段が、グーグル傘下の会社によるコンピューター・プログラム「Alpha Go」に敗れたことのインパクトが大きかったように思われるが、AIの発達によって、今後経済的に何が起こるのかに関心が集まっている。
しばしば聞くのは、「AIやロボットの発達による人間との競争で、将来、栄える職業と、廃れる職業はどのようなものでしょうか?」といった問いだ。
実際に将来起こることは意外の連続なのだろうが、少し理屈を考えてみよう。
筆者は、今、40年ぶりに学生時代に習ったことを思い出しているのだが、経済学の世界には生産関数という枠組みがあった。投入される財(概念的には原材料・労働・資本などを含む)の組み合わせに対して、産出される財・サービスなどが対応する対応関係を関数の概念で表すものだ。
うろ覚えで恐縮だが、確か、マクロ経済の世界ではY=f(N,K)といった形で表されるような生産関数を見た。Yは国民所得、Nは労働、Kは資本だ。現実に合っていないが、モデルの都合上よく使われるのは、労働と資本の投入を共に2倍にすると、生産量も2倍になるような便利な関数だった。ついでに、もう少し思い出すと、当時の偉い先生の深遠な教えによると「K」をどのように計測するのか、それは妥当なのか、という問題が大変重要なのだった。
どのような職種を典型と考えるのがいいかは難しいが、例えば、自動運転サービスとタクシー業の状況を考えてみる。タクシーサービスならY=f(N,K)は、Yがタクシーサービスの供給量、Nはタクシー会社の従業員数で主にタクシードライバーの数、Kはタクシー会社の設備だから自動車とタクシーを管理するシステムなどに相当する。
さて、ある識者は、自動運転が発達すると「人間が運転する車が公道を走るなんて、危険で非常識だと言われる時代が遠からず来る」と言う。そこまで、自動運転技術が発達するとどうなるだろうか。
仮に、タクシーに対する需要と料金が変わらないとして、自動運転技術を前提とした新しい生産関数f(N,K)の下では何が起こるだろうか。同じだけのタクシーサービス(運搬料、運搬距離等)の提供に要するN(労働力)は激減し、K(資本)は自動運転技術を搭載する分自動車が高くなるとすればより大きくなるかもしれないが、タクシー会社にとってのNとKの調達コストは、ある程度の期間で計算するとして、大幅に下がっているはずだ(そうでなければ、新技術に移行する意味が無い)。
ここで起こるのは、「N」の大宗を占める既存のタクシードライバーの失業であり、そこで浮いたコストがもたらす利潤を、タクシー会社と「K」の供給者が分け合う(同時に、取り合う)ことだ。
もちろん、経済学部の教室で先生がしばしば安易に仮定するように、タクシー業界や自動運転技術を提供する業界(IT業界、自動車メーカー等)が「完全競争」の状況にあれば、新技術による利潤は速やかにタクシー料金の下落を通じて、消費者に還元される。
しかし、起業家側の本音がよく表れているピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』(大変優れたビジネス書である)を読むと明らかなように、ビジネス界、とりわけIT業界は、独占こそが大好きで、競争は大嫌いだ。グーグルも、アップルも、マイクロソフトも、無名の会社も皆同じである。気がつくと、アメリカで大きな時価総額を誇るビジネスの多くが、独占的な地位を持った独占ないし寡占企業だ。
自動運転に限らず、新技術に伴う利益が競争による製品・サービスの価格低下で「完全競争レベル」まで下がるには、かなりの時間を要するはずだ。この間、例えば自動運転に必要な情報やシステムを提供する会社、自動運転技術の開発者(社)、自動運転対応車の生産者、自動運転技術を取り入れたタクシー会社などが、それぞれのビジネスの稀少性と交渉力の強弱に応じて、莫大な利益を上げる可能性がある。ついでに予想しておくと、自動車メーカーは社会が採用する自動運転システムに対応する車を作るだけなので、自動運転によって独占的な地位と利潤を得るのは、自動車メーカーではなくて、自動運転システムの提供者であるように思える。
■職業の流行り・廃り
余剰となった労働者の行き先は?
冒頭のよくある質問に対する答えを、もう少し具体的に考えてみよう。
新技術の近くには利潤が集まりやすいのだから、AIそのものの開発者、AI技術の提供に従事する技術者のような職種は、人材の需要もあるし、報酬も高くなると考える事がひとまずは素直な推測だ。
ここで思うのは、新技術の開発者だけでなく、使い手にも多くの需要と高額な報酬があるのではないか、ということだ。
例えば、自動運転のタクシー数百台をシステム上で管理し、異例の事態に備えるようなシステム上のドライバー(?)のようなある種の応用技術の達人には、高額の報酬があっておかしくない。
AIがすっかり自分自身をコントロールできるところまで、発達するにはそれなりに時間が掛かるだろう。また、その使い手には、それなりに大きなスキルの個人差があってもおかしくない。
アメリカに多数いるらしい、自分は安全な場所にいて、無人機を操作して人的・物的な標的を爆撃する少々卑怯な兵隊さんのようなイメージの仕事だが、多くの職業領域にあって、「AIを使ってサービスを提供する」仕事を補助するニーズが発生する時期があるのではないか。完全なAI化に向けた過渡期の仕事というべきなのかもしれないが、その過渡期が案外長いかもしれない。
巷間、医師や弁護士のような、現在知的とされている職業分野も、AIによって相当程度置き換えられるのではないか、との予想がある。
確かに、病気の診断も、法律の解釈や利害対立を伴う交渉も、AIがスキルのある人間よりも優れた判断を行うようになる可能性が少なからずあるだろう。例えば、AIを巧みに用いて普通の人間弁護士の100倍の数の事案を処理できる「AI補助付き弁護士」が、多くの報酬を得て、AIスキルの乏しい弁護士から職を奪う、といったことが起こるかもしれない。医療にあっても、AI・ロボット等を使いこなすスキルが高い医師と、そうでない医師の格差が拡大する公算が大きい。
AIの対象として馴染みやすい職業としては、ルールに基づいて行われる各種の行政や、それに付随するサービス業が考えられる。たとえば、公務員の事務的な仕事の多くは、比較的容易にAIに置き換え可能であるように思える。
例えば、マイナンバーを活用した個人レベルでの取引・所得等の把握が完全になれば、税法に基づいて税金を計算し、徴税する業務の大半はAI化できよう。この場合、税務署と税理士の多くが不要になる。
しかし、現在でも、あたかも税理士に仕事を与えるために毎年税金に関するルールの改訂が行われるように、公務員は、巧みに業務を複雑化させて、AIによる人間の業務の置き換えを阻止するかもしれない。
さて、新しい生産関数Y=f(N,K)に於いて、必要なYに対してNが大幅に縮小する事態が起こった場合、余剰となった労働者はどこに行くことになるのだろうか。
生産効率の飛躍的な向上によって余暇が増える状況は、かつて経済学者のケインズが想像して実現しなかった世界だが、今後の技術の発展は、これを可能にするかもしれない。
その場合に有望な職種の一つは、他人に余暇を楽しませる広義のエンタテインメントだろう。スポーツ、芸術、芸能などに関わる人が増えるかもしれない。
筆者は、その方面に明るくないが、現在、各所に生まれている各種の「アイドル」という職種などは、案外将来を先取りしているのかもしれない。
あるいは、いわゆる水商売的な接客業がエリートの職場になる可能性もある。
■AI技術の発展で貧富の差は拡大
政策としては再分配が重要
アイドルやスポーツ選手が彼(彼女)の周囲の人を楽しませるとしても、こうした「芸」を生業とする人が増えると、一握りの大成功者を除いて、彼らに対する経済的報酬は大きくない可能性がある。
また、AI的な技術では、技術的な優劣がはっきり付くし、先に優位を得た者が多くの顧客と顧客のデータを集めて、独占的地位を確立しやすい。加えて、AI技術の周りには、獲得したネットワークが大きくなるほどネットワークの価値が幾何級数的に高まるネットワーク外部性が働く可能性が大きい。
即ち、AI技術の発展と共に、今後利益はますます偏在しやすくなるはずだ。こうした社会で、経済政策としては何が重要なのだろうか。
AI周りのイノベーションに重要性があるとしても、イノベーションは政府が投資して計画的に生むことができるようなものではない。
政府の役割として今後ますます重要になるのは、所得・資産両面の富の再分配ではないだろうか。
現在の先進国の経済は、私的な所有権を大幅に認めて、市場を活用した取引を行う事で効率を高めている。この仕組みを支える私的な所有権と、個人がその行使の結果得るものの格差については、概ね「フェアだ」との理解を多くの人が持っているように見えるが、人には、ある程度の結果の平等を求める本能があるように思える。そこからあまりに乖離してしまうと社会は不安定化するし、多くの人の幸福感が低下することになるはずだ。
納得的な富の再配分のルール作りと、その効率的な仕組み化が、今後の経済政策として最も重要なものになるのではないだろうか。イノベーションは人の意図でコントロールできないが、幸い、富の再配分は人が決めることができる。
■「働かなくても、食える」
労働倫理の書き換え
納得的な再分配の仕組みを作ることと共に重要だと思うのは、労働に対する倫理観の書き換えだ。
先般、スイスの国民投票でベーシックインカムが大差で否決されたが、この際の反対理由の一つで気になったのは、ベーシックインカムの存在が働く意欲を損なうことへの懸念だった。
皆が働く意欲を低下させた場合ベーシックインカム自体が存続できなくなるし、労働が希少になると賃金が上がる理屈なので、この心配は杞憂だと思うが、「働かない者」に対して倫理的な嫌悪感や、処罰したいとする意識があるとすると、いささか心配だ。
AI技術の発展による生産性の飛躍的向上と、利益の偏在は、旧来の意味では働かなくてもいい人を大量に発生させるのと共に、経済的な対価に結びついて働くことができない人を発生させる可能性がある。
一定のルールの下に彼らを社会が扶養することが可能なら、それで構わないではないか、という寛容な倫理観が今後必要になるのではないだろうか。
「働かざる者、食うべからず」という倫理観は、生産性が不足している経済にあっては一定の意味を持つが、「(一部の人が)働かなくても、食える」のであれば、その方がもっといい世界だ。AIにせよ、ロボットにせよ、新技術は、よりよい世界を作るために使いたい。
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