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(回答先: 経済手詰まりで、銀行は一段と「不動産」に傾斜 投稿者 軽毛 日時 2016 年 6 月 14 日 13:56:31)
「そしてソニーはロボット開発をやめた」
オレの愛したソニー
AIBOの開発責任者、土井利忠の述懐(その2)
2016年6月14日(火)
宗像 誠之
戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。
これまでにソニーOBの丸山茂雄氏(上、中、下)、伊庭保氏(上、下)、大曽根幸三氏(上、中、下)に話を聞いてきた。
連載4人目は、子犬型ロボットのAIBOや二足歩行型ロボットのQRIOなどの開発を手掛けた土井利忠氏。AIBOやQRIOの開発が始まった経緯からロボット事業撤退の舞台裏、ソニーが知らず知らずのうちに陥っていた病理の分析などを、5日連続で語る。今回はその2回目(1回目はこちら)。
聞き手は日経ビジネスの宗像誠之
土井利忠(どい・としただ)氏。
1942年、兵庫県生まれ。64年東京工業大学電子工学科を卒業、ソニー入社。工学博士(東北大学)、名誉博士(エジンバラ大学)。デジタルオーディオ研究開発プロジェクトマネジャーとして、蘭フィリップスと共同でのCDを開発するプロジェクトや、ワークステーション「NEWS」の開発などを担当。AIBOやQRIOといったロボット開発などの責任者も務めた。87年にスーパーマイクロ事業本部本部長。1988年にソニーコンピュータサイエンス研究所長。2000年にソニーの業務執行役員上席常務に就任。2004年にソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所社長。2006年にソニーグループを離れる。現在は、中小中堅企業などへ経営を指南する「天外塾」を主催しながら、医療改革、教育改革にも取り組む。「天外伺朗」というペンネームでの著書多数(撮影:北山 宏一)
AIBO(アイボ)が成功した後も、出井(伸之、ソニーの会長兼CEOなど経営トップを歴任)さんが反対していたとなると(詳細は「時代遅れという批判の中でAIBOは生まれた」)、その後のQRIO(キュリオ)の開発も逆境下で進められたということですか。
土井氏(以下、土井):AIBO発表後、ほどなくして僕は二足歩行のロボットの研究に移った。商用化した後のAIBOはもう天貝(佐登史、ソニーのエンタテインメントロボットカンパニーのプレジデントなどを歴任)に任せることにしたんだ。僕は根っからの研究開発好きなのでね。
AIBOは製品化できたので、次の新しい研究開発を始めたかった。だから研究所で、四足歩行のAIBOの次は二足歩行のロボット(後のQRIO)を作りたいと考えて、その研究を始めたんだ。
ただ、AIBOが大反響で成功した後でも社内では、事業の継続を反対され続けるという難しい状況にあった。そんな状況下で「D21ラボラトリー」という研究所の所長に僕はなったんだ。
「出井さんはQRIOの商品化も止めた」
土井:出井さんはその頃、外部の三流コンサルタントのレポートを鵜呑みにして、全社の事業を急いでネットワーク時代に対応させようと必死になっていた。だから、ロボット事業には反対し続けていたんだ。
その頃はまだ、出井さんは“カリスマ経営者”とメディアで祭り上げられていた時期でもあったから、世の中ではAIBOが熱狂的に受け入れられて、社会的な現象になっていたにもかかわらず、ソニー社内では出井さんに同調していた人が多かったね。AIBOの宣伝で尽力してくれた河野(透、ソニーのコーポレートADセンター長などを歴任)さんみたいな、男気のある事務方の人は少なくなっていたな。
そんな状況でも僕はQRIOの開発を続けていたんだけど、商品化の直前に、また出井さんからストップがかかる事態になったんだ。
商品化が見送られたソニーのQRIO(写真:ロイター/アフロ)
AIBOに続き、宣伝部門の河野さんもQRIOを応援してくれていて、QRIOという名前も彼が考えてくれたくらいだった。だけど経営トップの意向に反することをしていたもんだから、河野さんも結局、現場から外されちゃった。
なぜあの時、出井さんがQRIOをやめろと言ったのか。それには、ネット対応を重視してロボット事業そのものに反対していた以外にも、理由があったんだ。
QRIOの商品化が見えてきたのは2003年頃で、ちょうどソニーショック(2003年4月)の直前だった。足元のビジネスが想定通りに進んでいないことには気づいていて、出井さんは何とか挽回しないといけないと焦り始めていた。
クオリアが失敗する必然
土井:そこで出井さんの肝入りで立ち上げたのが、「QUALIA(クオリア)」と呼ぶ、高級品ブランドを作るプロジェクトだったんだ。少量生産の高価格帯の製品ブランドを新しく作ろうとしたんだね。
けどね、モノ作りのことを分かっている人ならすぐに気が付くんだけれど、家電分野で少量生産の高価格帯製品を作るのはものすごく難しい。今なら、3Dプリンターなどを活用して、低コストで小ロット生産できる技術ができてきて、まだやりようはある。
だけど、その頃は無理だった。エンジニアからすると、少量生産だとまず金型の採算がとれないからね。高級感を持たせる金型はとんでもなく高価になるし、それを少量生産の製品で償却しようとすれば悲惨なことになるのは目に見えている。
なのに、出井さんはクオリアでソニーのエレクトロニクス事業をテコ入れして、挽回しようとしていたんだ。そんな状況のなかで、「2003年4月7日」にプレス発表しようと準備し始めていたのが、QRIOだった。
ずいぶんと具体的に発表日を決めていたんですね。
土井:この日は何の日か知ってるかな?
2003年4月7日…分かりません。
土井:手塚治虫のSF漫画の主人公「鉄腕アトム」の誕生日だよ。
だからこそ僕は、QRIOのプレス発表を、ロボットの象徴的な日であるこの日に設定したかった。研究開発の段階から「QRIOはアトムの誕生日に発表するんだ」と目指していたくらいだからね。
SF漫画の世界ではなく、現実の世界でこの日、二足歩行のロボットが世に出るなんてワクワクするでしょ。この日にQRIOをプレス発表することだけは譲りたくなかった。
けれど会社としては、経営トップである出井さんの肝入りで進むクオリアも同じくらいの時期にプレス発表したいと考え始めていた。
ここで私と出井さんの意見がぶつかってね。仕方ないから、私は少し譲歩した。本当はやりたくなかったけれど、苦肉の策として、「QRIOをクオリアブランドのラインアップに入れてもいいから、4月7日に発表させてくれないか」と提案したんだ。
だけどダメだった。出井さんは自分で立ち上げたプロジェクトを優先したいし、そこに自分が反対しているQRIOを入れるなんて断じて許さなかったよ。そして、結局はクオリアの発表が優先されてしまった(2003年6月10日にソニーはクオリアをプレス発表した)。
それだけでなくQRIOは、私の知らない間に裏で手を回されて、プレス発表どころか、2004年に発売中止が社内決定されたんだ。商品化が見送られたんだよ。
出井さんと「怒りのメール合戦」
これにはもう、頭にきてね。そこで僕は、出井さんと怒りのメール合戦をしたんだな。QRIOの開発に関わっていたエンジニアが100人以上いたんだけど、このメールはこれらエンジニア全員にCCした。
いわば、QRIO関係者に全て公開する僕と出井さんとのメール合戦。僕も相当頭に来ていたし、出井さんも譲らないから、もう互いに言いたい放題。さすがにどんな内容だったかはここでは言えないけどね(笑)。
挙句の果てに私は、出井さんから「お前はクビだ」と、この公開メール合戦の中で宣告されたんだ。会社の経営トップとそんなメールのやり取りを激しくやっていたから、クビになることは最初から覚悟していたから、特に動じることはなかったよ。
「このままクビにしたらマスコミが黙っていない」
それで土井さんはソニーを辞めてしまうわけですか?
土井:おとなしく引き下がるのは癪に障る。だから僕は出井さんに一矢報いたんだ。
「クビにしたい気持ちは分かるし、ソニーの役員を退くのもやぶさかでない。だけど、僕をこのままクビにしたら、これまでのメール合戦は大勢が見ているし、これが流出したらマスコミは黙ってないよ」とね。
これは間違いなく「脅迫」に近かったな(笑)。
出井さんは過去に広報を担当していたことあるし、マスコミ対応もやった経験があるからひるんだよ。そこで出井さんが譲歩してきた。「何かやりたいことはあるのか」とね。
そこで僕は、「ソニー本体の役員を退いてもいいから新しい研究所を作りたい」という希望をやぶれかぶれで言ったわけ。「AI(人工知能)と脳科学を融合させた研究所を、ソニー本体とは別の会社として作らせろ」という僕の要望は見事に通った(笑)。
そして新しい研究所ができた。「ソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所」と名付け、2004年にソニーの100%子会社として発足。当時としては民間企業で初めてスーパーコンピュータを導入して、脳科学研究なんかを始めたんだよ。せっかく、そんなスパコンを入れるほど最先端の研究を進めたのに、その研究所も2年くらいでなくなってしまった。
「ロボット開発の息の根を止めたのは出井さん」
土井:つまり、こういうことだよ。
ストリンガー(ハワード・ストリンガー、ソニーの会長兼CEOなど経営トップを歴任)体制時の2006年に、ソニーはロボットの研究開発を最終的にやめたことになっている。だけど実際は、出井さんがQRIOの商品化にストップをかけた時点で、ソニーとして、「ロボットはもうやらない」という意思表示がなされたということだ。
QRIOを世に出さないと社内決定した2004年時点で、メッセージが出ていたんだ。世界でも最先端を走っていたソニーのAIとロボットの研究開発の息の根を止めたのは、ストリンガーではなく、出井さんだった。「ソニーはロボットから完全撤退する」という意思決定をしていて、その路線を2004年に、もう作っちゃったということだよ。
そしてソニーは既定路線通り、AIBOやQRIOといったロボット開発をすべてやめたんだ。同時にAIやロボットに詳しいエンジニアも、四散してしまったよ。
その頃にAIBOの研究開発に従事していたエンジニアは、かなりの人数がソニーをやめてしまった。けれど今でも、米グーグルのロボットプロジェクトに入ったり、日産自動車の自動運転プロジェクトの中心人物になっていたり、ソニー時代の知見を生かして活躍している。
今、国内外でAIやロボット分野の第一人者となっているエンジニアの多くは、当時のソニーにいたんだよ。
「ソニーには、混沌とした秩序があった」
発売から15年以上が経過する今でもファンがいて、まだAIBOを使い続けているユーザーもいます。そんなに愛されていた製品なのに、撤退するという選択は、井深(大、ソニー創業者)さんや盛田(昭夫、ソニー創業者)さんが健在であればしなかったのではないでしょうか。
土井:「ソニーには、混沌とした秩序があった」と江崎玲於奈(かつてソニーに在籍していたノーベル物理学賞受賞者)さんが言っている。
混沌とした秩序が、現場の活力を生む「フロー経営」と私が呼んでいる状態にあったということ。それが過去のソニーにおける躍進の全てだった。創業以来、混沌とした秩序の中でソニーのフロー経営が続いていた。
「フロー」という言葉は米国の心理学者、ミハイ・チクセントミハイ氏が提唱した概念なんだ。「フロー」の状態に人間が入ると、その時に手掛けている作業に完全に没頭して作業がはかどる精神状況になる。会社の現場が、仕事がおもしろくて夢中になっている社員があふれているのが「フロー経営」。まさに創業期のソニーの開発現場はこんな状況だったんだ。
我々エンジニアはソニーの開発現場がフロー経営の状態にあることが当たり前だった。この状態を江崎さんなりの解釈で、「混沌とした秩序」と表現したんだと思う。
エンジニアが夢中になって新しいことに挑戦する。そういうエンジニアを大切にして、創業期のソニーは伸びてきた。今だから言えるけど、ソニーの経営はものすごく先進的だった。米国の合理主義経営の先を行っていた。
だけど1995年に出井さんが社長になって、「欧米に比べて遅れている」と勘違いして、米国型の合理的経営と言われるものを無理やり導入した。それでソニー創業期の躍進の原動力となっていたフロー経営を見事に破壊してしまったんだな。
この20年以上、革新的な製品やサービスがソニーから出てこないのはそういうことだよ。出井さん時代にやってしまったことの後遺症から、まだ立ち直れていない。
混沌とした秩序があったフロー経営から管理型経営になってしまった。富士通も一時期、同じこと起こっていたよね。
「フロー経営とは信頼の経営」
ソニーはもう一度、創業期のフロー経営の状態を取り戻せますか。
土井:フロー経営が当たり前だったあの頃のソニーにもう一度戻るのは難しいと思う。今のソニーを支えているのは、1995年以降に入った人材ばかり。フロー経営時代を体験している人はほとんどいないよね。
フロー経営とは何か。それは理性で分かっても仕方なくて、体で覚えるしかない。それは、管理ではなく現場の人材に任せるという信頼の経営なんだ。ソニーの創業者世代は、これを当たり前のように実践していた。だから現場も体で覚えていった。でもそんな人材は世代が変わって、もういないよ。
井深さんは、次々に新しいことをやろうという意識で、おもしろい仕事にエンジニアを自由に挑戦させていた。新しい製品を作ってヒットしても、そこで満足しないで、「次は何をやるんだ」って現場を鼓舞し続けていたんだ。
これは、「もっとおもしろいことをやりたい」「もっと世の中が驚くモノを作りたい」という、心の底からそれをやりたいと思う「内発的動機」を、社員に起こさせるマネジメント手法だったんだ。
井深さんの口癖は「仕事の報酬は仕事だ」だった。難しい仕事に挑戦して成功すると、もっと面白い新しい仕事を任せる、という意味だよ。報酬や地位で人を釣るんじゃなくて、仕事そのものに喜びを見出させる。これが「フロー経営」の極意だ。
だけど出井さんが導入したのは成果主義でしょ。これは、金銭や地位で人を動かそうとする「外発的動機」を重視したものだよ。内面からやる気を起こさせるマネジメントをしていたソニーは、成果主義の導入で自らの強みだったフロー経営を破壊してしまった。
フロー経営を破壊したのは、米国型の合理主義経営。これを拙速に入れてしまったことが始まりだね。米国では給与水準や待遇で社員がすぐ転職してしまうけど、今も日本人はそうではない。
報酬ももちろん大事だけど、今の仕事のやりがいを重視したり、愛社精神を重視したり。誰かのために働きたいと考えることもあるし、決してお金だけで動かないよね。
(3回目に続く)
このコラムについて
オレの愛したソニー
日本の電機業界が揺れている。その中でも業績不振に苦しんでいたソニーは少しずつ回復し始めている。だが、その姿に往年の輝きはない。戦後間もなく発足し、日本経済をリードしてきたソニーは、バブル崩壊後に陥った負のスパイラルから抜け出せず、世界で圧倒的なブランド力を築いてきた面影はもはやない。ソニーはどうすべきだったのか。そしてこれから何をすべきなのか。戦後の経営を担ってきたOBたちが、ソニーへの懺悔と愛を語る。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/031800001/061000011/
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