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転載するリー・ブランステッター氏の論考はイノベーションという切り口では肯定できるが、「朝敵停滞」論については、先進諸国とりわけ先進諸国の一般国民が経済成長の果実を得る“時代”は終わり、先進諸国の多くは長期停滞を免れない“時代”に入ったと考えている。
先進諸国で「長期停滞」から頭一つ抜け出す可能性を秘めている国は日本とドイツくらいだろう。
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技術革新の恩恵受けるには 経済開放・市場主導が必須
「長期停滞」にも終わりあり
リー・ブランステッター・カーネギーメロン大学教授
経済的展望を巡り重度の悲観論が広がっている。グローバル金融危機は終息したが、待ち望んでいた持続的な力強い景気回復は訪れていない。
ロバート・ゴードン米ノースウエスタン大教授は、著書「米国の成長の盛衰(The Rise and Fall of American Growth)」で、21世紀のイノベーション(技術革新)には、過去の偉大な発明ほど経済成長のけん引を期待できないと指摘。ローレンス・サマーズ米ハーバード大教授も、今や人類は「長期停滞期」に入っており、世界経済の低成長は恒久的に続くと警告する。
もっとも「長期停滞」という概念を発明したのはサマーズ氏ではない。アルビン・ハンセン・ハーバード大教授が1938年の講演でこの言葉を使った。かつて米国の経済成長は広大な未開拓地、高い人口増加率、技術分野での重要なイノベーションに長く依存してきたが、30年代には未開拓地はなくなり、人口の伸びが減速する一方で高齢化は加速、技術進歩のペースも衰えてきたという。未来への希望の余地は乏しく、悲観的になるべき理由が多々あるとハンセンは考えた。現代の経済学者はまさに彼の見方を踏襲して用語まで借用している。
だが21世紀の今では、ハンセンの懸念は杞憂(きゆう)だったことがわかる。第2次世界大戦後、米国は過去に例のない生産性の急伸と繁栄を謳歌した。欧州と日本は誰も予期しなかったような速いペースで復興を果たした。日欧の起業家と発明家によるイノベーションと製品開発は、戦後数十年の間に西側諸国の生活水準を大幅に押し上げた。
この黄金時代は70年代に突然の終わりを迎えたようにみえた。20世紀の偉大な発明の効果が薄れ始め、特に米国では生産性の伸びが大幅に落ち込んだ。ロバート・ソロー米マサチューセッツ工科大名誉教授は、情報技術の普及にもかかわらず、80年代半ばを過ぎても生産性の伸びが低水準にとどまっていることを懸念した。「コンピューターは至るところにあるが、生産性統計にだけは出てこない」という87年の発言は有名だ。
しかし今では、ソロー氏も間違っていたことが証明された。あの発言から数年後には、ソロー氏が至るところでみた情報技術投資により、50年代、60年代に劣らない力強い生産性の伸びが実現したからだ。
産業の歴史をひもとくと、生産性が急激に伸びる時期の後に、大幅に鈍化する時期が訪れるパターンが繰り返されてきたことがわかる。イノベーションというものが着実で安定したプロセスではなく、不確実で曲折の多いプロセスであることに由来する。
現在開発中の多くの有望な技術のうち、どれが全く新しい産業を創出し人類の新たな可能性を切り開くのか、前もって見定めるのは極めて難しい。また、例えば今日のようにグローバル経済が低迷し、生産性の伸びが鈍化する時期に入ったとみられる場合、いつどのようにそれが終わるのかを知ることも困難だ。
とはいえ過去2世紀の産業史を振り返れば、「長期停滞期」がいずれ終わることを示す事例が豊富にみられる。いつの時代にも、人間の創意工夫が裾野の広い新技術を生み出し、生産性の急伸期を導いてきた。教育、研究、開発の種をまき続ける限り、いずれは革新的技術という収穫が得られると期待してよい。ただし辛抱強さが求められる。産業史には、種をまく時期と刈り取る時期があるからだ。
経済が不振の時期には、かつては成長を実現したが今となっては役に立たないようにみえる政策を放棄したくなるものだ。だが経済への市場志向型アプローチは、長い時間をかけて価値が実証される。
このアプローチではあらゆる社会階層への良質な教育の提供、経済運営に必要なインフラの構築、知的財産権を含む財産権の強化、基礎研究の支援など、政府に果たすべき重要な役割がある。同時に政府は、科学技術を製品として具現化するプロセスを民間に委ねなければならない。
政府が役割を果たすとともに、開かれた経済の実現に強い意欲を示し、国内のみならず国境を越えた財や資本、人材の自由な行き来を促すならば、国内外の新しいアイデアは法的保護、資金援助、商業開発支援の下で、新しい製品や、時には全く新しい産業に結びつくだろう。そして市場が開かれていれば、イノベーションが国外で生まれたとしても、その恩恵を受けられる。
英国の歴史で驚かされるのは、平均的な労働者の生活水準が英国産業の全盛期だった19世紀ではなく、第2次世界大戦後に大幅に向上したことだ(図1参照)。第2次大戦後といえば米国が世界の経済大国にのし上がった時期だ。英国は自国より経済規模が大きく、活況を呈していた米国、日本、ドイツなどから様々なイノベーションを輸入し、自国の成長に結びつけた。
今日の日本では、はるかに速いペースで成長しているようにみえる米経済をうらやむ人が多いかもしれない。だが実際には、労働年齢人口1人当たりの国内総生産(GDP)伸び率は、日本が米国を大きく上回っている(図2参照)。その一因は、日本が国内だけでなく米シリコンバレーのイノベーションにも自由にアクセスできることにある。
経済が不振の時期には、ドナルド・トランプ氏のような扇動政治家が出現し、経済を救うには市場開放型アプローチへの支持を打ち切るべきだなどと主張する。だが生産性の新たな力強い伸びを約束してくれるのは、開かれた経済の維持にほかならない。
産業革命から20世紀末までは世界の産業の進歩はごく限られた人材に依存してきた。英国で起きた第1次産業革命を主導したのは、世界人口のほんの一部にすぎない。電気とモータリゼーションによる第2次産業革命を主導した人材はもう少し多く、技術者や経営者たちだった。それでも世界のイノベーターの大半は欧米人の男性など、一握りの先進国の国民だった。
翻って今日では、インドや中国など人口の多い発展途上国が数百万人の科学者や技術者を教育しており、現代の情報技術のおかげで彼らが日本や米国の優秀で経験豊富なイノベーターとリアルタイムで連携することが可能だ。多国籍企業の研究開発に関する筆者の調査によると、多国籍企業の中国拠点で働く技術者が生み出すイノベーションの質は、その多国籍企業の母国で生み出されるイノベーションに劣らないことがわかった。
新興国でイノベーション能力が高まることは、決して欧米や日本にとって脅威ではない。全く逆だ。それは人材のプールがグローバルに拡大することを意味する。時が来ればこの人材の宝庫から、現世代そして次世代の生活を豊かにするようなイノベーションの次の波が生まれるだろう。
その可能性を現実とするには、貿易、投資、人的移動などの面で開かれた経済を維持することや、市場主導のイノベーションを後押しすることが欠かせない。そうした姿勢を貫くことは現在の状況では代償が大きいようにみえるかもしれない。だが長い目でみれば、払う価値のある代償だということがわかるはずだ。
現在のような景気低迷は、少しも目新しいことではないし、永遠に続くものでもない。いますべきは、種をまき続け、辛抱強く勇気を持って見守ることだ。やがて時が来れば、刈り取ることができる。
○生産性の急伸期と大幅鈍化期は繰り返す
○国境を越えた財、資本、人材の往来を促せ
○新興国の技術革新は欧米や日本にプラス
Lee Branstetter ハーバード大博士(経済学)。専門はイノベーション、東アジア経済
[日経新聞6月1日朝刊P.29]
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