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ダイエー碑文谷店(「Wikipedia」より/Aimaimyi)
「客に親切すぎる&品揃え豊富すぎる」店が閉店、売上日本一だったダイエー碑文谷店も閉店
http://biz-journal.jp/2016/05/post_15188.html
2016.05.23 文=法理 健/流通ジャーナリスト Business Journal
穏やかなゴールデンウイーク中の東京・城南地区。5月5日にダイエー碑文谷店、8日にダイシン百貨店、小売業の2つの象徴店舗が惜しまれながら閉店を迎えた。
ダイシン百貨店は2000年代後半、巣鴨地蔵通り商店街と共に「シニア小売の象徴」ともてはやされた。地方の百貨店や独立系百貨店が次々と閉店していくなか、「半径500mのシェア100%主義」を掲げ、シニアを中心に1日 1万5000〜2万人が来店し、ロイヤルユーザーの圧倒的な支持を受け、地域密着百貨店として数々のメディアに取り上げられていた。
当時は、効率を重視するチェーンオペレーションとは一線を画した数々の施策が話題となった。
ペットボトル1本からでも無料で宅配した。70歳以上の高齢者、妊娠中の女性、体の不自由な方などが対象の限定サービスではあるが、荷物の量や値段に関係なく、購入した商品をその日のうちに自宅まで届けてくれる「しあわせ配達便」は評判となった。
30分〜1時間おきに無料送迎巡回バスを3コースで運行した。利用者にとっては便利だが、実際には誰も客を乗せずに空走行することも多々あり、厳しい運営となっていたことは明らかだった。
店舗で発行していたポイントカードには、購入額210円ごとに1ポイントが付与され、1000ポイント貯まると1000円分の買い物券と交換できた。来店するだけでもポイントを付与しており、消費者の積極的な来店を促した。週末にはポイント5倍、10倍といったサービスデーも実施し、魅力は多かった。
買い物券は、商店街や大森山王地域の多くの店舗で使用できるほか、ボウリング券、温泉入浴券、映画鑑賞券にも交換でき、地域密着を後押ししていた。一方で、ポイントカードの本来の目的である囲い込みとは真逆の戦略といえ、営利性は低かった。
また、品揃えについては、「お客さまが必要とする物、リクエストがあった物は仕入れる」という姿勢で、取扱品目数は18万点にも上った。不良在庫を削減し、効率的な在庫管理を追求するチェーンオペレーションとは対極をなす施策だった。
消費者は高齢化すると、ブランドスイッチ(購入し続けたブランドとは異なる競合ブランドを購入すること)がしづらくなるということを意識した展開である。
一例を挙げると、パンは約430種、歯ブラシは約300種、ペットフードは約3000種に上った。カミソリに関しては、納入メーカー担当者が「過去の商品も含めて、日本一の品揃え」と絶賛するほどだった。シニアターゲットということもあり、100万円を超える仏壇・仏具までも陳列していた。
お客にとっては大変ありがたい施策だが、在庫過多が経営を圧迫したと思われる。
さらに、各フロアには専門のスタッフが配置され、まるで御用聞きのように顧客の意見を聞き、新たなサービスにつなげていた。
■ニーズの変化に対応できず売り上げ激減
2012年、老朽化に伴い改装し、足湯やイベントホールなど「モノ消費」から「コト消費」への転換を意識したサービスも展開したが、新たな集客には寄与しなかったようだ。また、改装の際に売場レイアウトも大幅に変更した。
筆者は、全面改装オープンから2日間、仕事の依頼を受け、店内で推奨販売をさせていただいたが、シニア顧客から「欲しいものがどこに並んでいるかわからなくなったので教えてほしい」という問い合わせをかなり多く受けた。
勝手知ったる買いやすい売場が変わってしまったことは、ロイヤルユーザーの店離れを加速させたと考えられる。
閉店セールに出向くと、シニア客と店員のやり取りがあちこちで見られた。聞き耳を立ててみると、内容のほとんどは跡地にオープンする「MEGAドン・キホーテ」に関することで、客自身が購入していた商品を同店で引き続き買えるのかといった質問をしていた。それに対し店員は、「別の会社なので、方針はわからない」と寂しそうに回答していたのが印象的だった。
ここまで見てきたダイシン百貨店の戦略は、モノ不足の時代に幼少期を送り「買いたいものはまとめて買っておく」というスタンスの70代以上の顧客には受け入れられたものの、インターネットを使いこなす60代のアクティブシニアの購買行動とは距離があったようにみえる。つまり、シニアニーズの変化についていけなかったことが、閉店を余儀なくされた主要因と考えられる。
店内を見渡したところ、近隣のマンションなどに住むファミリー層の取り込みもできていなかったのは明白で、2000年代後半のピーク時に年商77億円あった売り上げは、15年1月期に53億円まで落ち込み、経常赤字は8000万円に上った。
その結果、身売りに至ったのだ。運営主体はダイシン百貨店のまま、6月下旬にMEGAドン・キホーテとして生まれ変わる。総合スーパー(GMS)では唯一、勢いのある小売のドン・キホーテがどのような施策でお客をつかまえるのか、注視したい。
■ダイエーのフラッグシップ店の衰退
もう一方、日本のGMSでかつてナンバー1だったダイエーのフラッグシップ店といわれたダイエー碑文谷店についてみてみよう。
関西を中心に展開していたダイエーが、首都圏の旗艦店としてオープンしたのは1975年のことだ。創業者で「流通王」の異名を取った故中内功氏が、近隣の高級住宅街田園調布に住んでいたこともあり、頻繁に視察に訪れて指示をした店としても知られている。
今回の閉店に際し、テレビ番組やネットニュースなどでも報道されたため、惜しむ声が数多く上がった。
筆者は、同店の30年来の買い物客であり、毎年必ず視察を繰り返していた。近隣の住民に話を聞くと、「ひと通りの品揃えはあるが、自分が欲しい商品がなく、安くもないので利用しなくなった」といった声が少なくなかった。これは同店に限ったことではなく、現在のGMSの状況を端的に表している。
筆者も30年前、新生活を始めるにあたり、家具や生活用品を手頃な価格で買い揃えられる同店を利用したが、今やネット通販の圧倒的な品揃えの中から、安くさまざまな商品を購入できる。また、「家具などの大物は現物を見てから購入したい」という人でも、IKEAなど「カテゴリーキラー」と呼ばれる、特定分野の商品のみを豊富に品揃えし、低価格で販売する小売店で購入することが一般的になっている。
そんな流れを意識していたのかダイエー碑文谷店では、1980年代に日本一の売り上げを誇った家電売場を廃止し、家電量販店のヤマダ電機をテナントとしていち早く取り入れた。しかし、売場面積が狭く品揃えは中途半端で、ネット通販の隆盛には太刀打ちできなかったようだ。
閉店セールの3カ月前に買い物に行ったところ、多層階で展開している同店は、1階の食料品売場、2階の食料品とビューティヘルスケア、7階のフードコート・ゲームコーナー以外は、上層階に行くほど客が少なかった。
メインとなるシニア客は、日常の買い物では700メートル以上は歩かないと言われている。また多層階にわたる店内では、魅力的な品揃えやテナントがない限り上階への誘客は難しく、旧来の多層階でのGMS形態の限界を如実に表している。
15年1月からダイエーはイオンの完全子会社となった。18年までにすべての看板がイオンに替わり、ダイエーの痕跡はなくなる。ダイエー碑文谷店も、今年12月にイオンスタイル碑文谷としてリニューアルオープンする予定だ。
碑文谷エリアは、富裕層のアクティブシニアが増えている。新しい客層に合わせた、新しいライフスタイルを提案する店舗展開が予想され、今後が期待される。
ダイシン百貨店もダイエー碑文谷店も、肉・魚・野菜の「生鮮三品」に強い地元食品スーパーの「オオゼキ」や、コンビニエンスストアの跡地に居抜き出店した食品ミニスーパーの「まいばすけっと」の展開により、お客が流れて苦戦したと指摘されている。
GMS業態に未来はあるのだろうか。今後の展開を注視していきたい。
(文=法理 健/流通ジャーナリスト)
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