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(回答先: サウジの米国債保有額が突き付ける新たな謎、1168億ドルで全てか サウジの巨大政府系ファンド、国内投資が足かせに 投稿者 軽毛 日時 2016 年 5 月 17 日 16:44:25)
日本に巣食う「学歴病」の正体
【第17回】 2016年5月17日 吉田典史 [ジャーナリスト]
過去の栄光にすがる「中だるみ」中高年社員が減らない理由
「中だるみ」の中高年社員が職場で増殖する背景には、人事部のキャリア開発に関する無策ぶりが見える
会社員は自分の力量や実績、成果、今後の伸びしろなどを詳細に知らされないと、自分の本当の姿を知ることなく、勘違いしたままキャリアを積んでいくものだ。
ところが、そんな会社員が30代後半以降の中高年になると、期待していたような職位やポジションに就くことができない。今は、そんな壁にぶつかる社員が増えている。その多くは、強い不満や劣等感を抱え込む。一定の学歴を持つ人は10代の頃の栄光に浸り、心のバランスを保とうとする。
ここ数回、そんな「戦力外社員」を扱ってきた。今回は、「戦力外社員」になる人には20代前半ですでにその兆候が見られ、20代後半になると十分すぎるほどに「トラブルメーカー」「持て余し者」になっていくことについて考えたい。
言い換えると、彼らは中高年になってから仕事への意欲がなくなり、成果や実績を残せない「中だるみ社員」になるわけではなく、もともと「厄介者」だった可能性があるのだ。本来は、会社は20〜30代前半までにこうした人たちに対して痛烈に自らを思い知る機会を与え、勘違いをさせないようにすることが、中高年の「中だるみ社員」が生まれないようにするための方策ではないだろうか。
若い頃から厄介者だった?
成果・実績に乏しい「中だるみ社員」
2014年の6〜8月にかけて、筆者は雑誌の特集で「65歳定年」の記事を書いた。かつて定年は60歳の企業が多かったが、ここ十数年は雇用を延長し、65歳まで雇用を維持する企業が増えている。2010年前後から、その動きは加速度を増している。だが実際は、雇用延長と言いながらも、60歳以上の高齢社員を次々に辞めるように仕向けている企業もある。それらの動きを含めて、記事にしようというものだった。
当時は取材を受けてもらおうと、大企業を中心に交渉した。当初の予想を超えるほどに難航した。30〜40社の大企業にアプロ―チし、承諾してくれたのは4社だった。断りを受けた大きな理由の1つは、30代後半から60歳までのいわゆるミドル層への対策が不十分であり、「話せることがない」というものだった。ミドル層とは役員や管理職だけではなく、非管理職なども含む。断りを受けた30〜40社の大企業の広報担当者や人事担当者の半数近くは、ミドル層の活性化が不十分であることを認めていた。
平たく言えば、高い賃金を受け取りながら、それに見合う仕事をあまりしていない中高年社員が一定数いるということ。人事部として、その対策が十分にはできていないのだ。
人事担当者の半数ほどが口にしていたのが、次のような言葉である。
「30代後半以降になると、中だるみになり、仕事への姿勢が悪くなる社員が増えてくる。期待されている働きができないし、成果や実績も乏しい。その人たちのねじを巻いて、定年まで走ってもらうために、ある試みをしている」
試みの1つはコンサルティング会社に委託し、「ミドル層活性化研修」なるものを受講させることなのだという。「ミドル復活プログラム」「ミドルのリニューアルアクション」という、聞き慣れないコースもあるようだ。
希望ある未来がない、心満たされる今もない、
あるのは「過去」の栄光だけ――。
筆者が問題視するのはこの認識である。人事担当者の現状認識が極端に甘いのだ。仮に30代後半以上の社員が中だるみになっていたとして、それは中年になってからなのだろうか。もっと早い時期に「使えない社員」「持て余し者」「トラブルメーカー」などの、いわゆる戦力外社員になっていたのではないか。
筆者の身近なケースを紹介しよう。ここ十数年でコンビを組んで仕事をした編集者で、20〜30代は60〜70人前後。8割の人は準大手・中堅の出版社に勤務する。その7〜8割は、仕事のレベルは概して低かった。特に原稿整理の作業に関しては、放心状態になるほどにひどい。経験や場数がモノをいう作業だけに、無理もないかもしれない。こんな人たちも自らを「そこそこ優秀」と信じ込んでいるようだった。おそらく、高学歴であることが影響しているのだろう。
挙げ句に30代後半になると、社長や役員のような口をきく。20〜30代の社員の前で虚勢を張り、ホラを吹く。いじめに近いこともする。20代の頃から甘やかされ、野放しにされてきたがゆえに、自分の能力や実績を勘違いしてしまったのだろう。
高学歴な人は、自分を高いところに置く傾向がある。その優越感は、劣等感と表裏一体である。新卒時の採用試験などの社外労働市場で認められないと、劣等感は屈折したものとなり、深刻化する。
社外の労働市場で認められない人が、今度は社内の労働市場で望んだ結果を得ることができないと、コンプレックスが一段とひどくなる。ファイナルステージが、40代前半から後半あたりだ。役員や社長になる出世コースから完全に外れた人が、この時期に大量に生まれる。
この人たちには、希望ある未来がない。心満たされる今もない。あるのは過去だけだ。だからこそ、二十数年前の学歴や10代の栄光にしがみつく、いわゆる「学歴病」になっていく。2014年の取材の際、人事担当者にこれらの認識について聞くと、ほとんどの人から回答がなかった。取材に同席した広報の担当者と顔を見合わせ、「うっ、キツイ」「う〜ん、自分も20代の頃、使えない部下だったかも……」と笑い話として答える。こんな人たちが人事部員である限り、ミドル層の活性化も復活もリニューアルもないのかもしれない。
上司を怒鳴る20代女性への「制裁」
蘇ったトラブルメーカー社員
中高年で中だるみ社員になるかもしれない20代社員を、まっとうな社員に変えた一例を挙げよう。
十数年前、筆者が会社員をしていた30代前半の頃のことだ。筆者の部署には「トラブルメーカー」の女性がいた。当時、20代後半。国公立の文系では入学難易度で上位2〜3位に入る大学を卒業していた。
事務処理能力は同世代の中で相当に高いが、わずかのトラブルで感情的になる一面があった。たとえば、40代後半の上司と仕事の進め方をめぐり、激しく言い争う。興奮しているのか、泣きそうな表情で言い返すこともあった。
ある日、筆者が外出先から戻ると、女性は上司の横で大声で怒鳴っていた。「なぜ、そんなに遅いのですか?」「どうして決めないのですか?」と――。その声は、20メートルくらい先まで聞こえるほどだった。上司の意思決定が遅く、しわ寄せを受け、仕事が暗礁に乗り上げていたようだ。
この抗議は過激すぎた。上司はその後、報復をした。女性にある仕事を命じた。著名な作家をインタビューし、時間内に記事としてまとめるというものだった。記事の分量、締め切りまでの時間を考えると、40代以上のベテランでないと対応できないレベルだった。上司は、女性の力をはるかに超えた仕事をさせようとした。助言も指示もしなかった。女性は自尊心が高い。「売られた喧嘩は買う」と言わんばかりに仕事に向かった。だが、苦心しているようだった。
上司は他の社員にも「〇〇さん(女性の苗字)の邪魔にならないように……」と言い、女性と話をさせないように仕向ける。しかも、他の仕事も女性にあてがった。その仕事の量は多かった。女性は黙々とこなした。2週間ほどの間、深夜までとりかかっていたという。家に持ち帰り、朝方まで仕事をしていたようだ。
上司は、会議の議事録も1人で書かせた。その数週間、部内の誰も女性とは口をきかない。我が身が可愛いからか、女性には近寄らない。筆者もその1人だった。誰よりも成り行きを興味津々で見ていたと思う。
女性は締め切り寸前、上司に「間に合いそうもありません」と助けを暗に求めた。動揺していることもあり、唇の端を歪めて話していた。時々声がうわずったり、裏返しになっていた。上司はそれを突き放す。女性は結局、締め切りに間に合わせることができなかった。作家のインタビュー記事だけではなく、他の仕事の多くも中途半端なままだった。上司は部内のあらゆる仕事から女性を外した。
「厳しい対応」――。
30代前半だった筆者にとっては、強烈な印象を受ける出来事となった。上司のこの対応には、賛否両論があるだろう。いじめやパワハラならば、否定されるべきである。だが、上司は「指導・育成」と思っているフシがあった。
一方で、女性の上司に対する過激な抗議は問題だった。これよりもはるか前から、仕事の進め方などについて激しく抗議をすることがあった。議論の末、ねじ伏せようともする。それらが積もり積もって、上司はキレてしまったのかもしれない。
この一件の後、女性は大きく変わらなかったが、上司への物言いはソフトになった。上司を罵倒したり、怒鳴ることはなくなった。皆の前で、気を遣って接しているようではあった。半年後、人事異動で他の部署へ移った。上司が追い出した可能性があると、囁かれていた。
異動後、しばらく経ってから、新しい部署の上司に高く評価されるようになり、30代半ばで管理職になったという。昇格のスピ―ドで言えば相当速い。40代の今も、主婦として家庭を守りながら仕事でも実績を残し、一定のポジションを掴んでいるようだ。
現実論として考えると、この女性が20代後半のときに味わったような「厳しい対応」は止むを得ないときがある。会社には、個人として潜在能力は高くても組織人として疑問符がつく人が少なからずいる。こういう人は、会社や上司、同僚、そして仕事を侮る傾向があることも否定しがたい。その言動が許容範囲を超えたとき、たとえば上司を罵倒するようなことが繰り返される場合は、一定の制裁的な意味を含んだ対処は必要なのだ。そうでないと、職場が成立しない。
自らを見つめ直す機会を与えないと
「中だるみ」の中高年は増えるばかり
以上のようなケースに鑑みると、自らを省みることなく「そこそこ優秀」と勘違いし、30代後半以降の中年になったときに「中だるみ社員」になる人は、20〜30代前半までに厳しい洗礼を受けていなかった可能性があるのではないか。「なぜ、自分の能力はこんなに低いのだろう」「どうして、こんなにできないのか」――。非力な自分を呪い、絶望感のあまり泣き崩れることは、特に20〜30代前半くらいまでの間には必要だと思う。
このような経験を無数にしてくると、40代も走り抜けることができる。これは筆者の経験則でもある。連載第16回で、筆者は30代の頃、会社の上司たちから三下り半を突きつけられ、辞めていかざるを得なかった、と書いた。正確に言えば、それ以前に大量の雑用や難易度の高い仕事を命じられていた。それをこなせないことが、口惜して仕方がなかった。
だが、「そこそこ優秀」と勘違いした生意気な社員を、悲鳴を上げるほどに徹底して潰してやるのも上司の仕事だと、40代後半になった今、思う。筆者は会社員の頃、10人を超える上司に仕えたが、皮肉なことに怒鳴られ、罵倒され、スパルタ精神をたたき込まれた上司のことしか思い出せない。
会社は社員が20代前半の頃から、自らを省みる機会を数多くつくり、情けなく、悔しく、怒りをもって見つめ直すように仕向けていくことが、必要なのではないだろうか。そんな姿勢もなく、「ミドル層の活性化や復活」「リニューアル」といった言葉遊びばかりをしている限り、10代の頃の栄光に浸る「中だるみの中高年社員」は増えていく一方だと思う。
http://diamond.jp/articles/-/91280
何もかもが「長すぎる」米国社会
映画、野球、歯の根管治療まで、何でもが長すぎるのだ
米国社会には長すぎるものがまん延している ENLARGE
米国社会には長すぎるものがまん延している ILLUSTRATION: NISHANT CHOKSI
By JOE QUEENAN
2016 年 5 月 17 日 10:52 JST
私は先日、鼻洗浄器を購入した。ベーシックで、何の飾り気もない鼻洗浄器だ。これを購入するに当たり、私は鼻洗浄という行為がまったくの単純作業に当たると考えていたが、間違っていた。
まずはパッケージだ。鼻洗浄器の箱は色とりどりの絵柄や簡単な説明で飾り付けられており、この特別な鼻スプレーを使用する10の「利点」という長いリストもそこに加えられていた。例えば、そこには「握りやすい」プラスチック製のボトルに付けられたノズルが誰の鼻の穴にもフィットすると書かれている。ほとんど鼻の穴を見ることができない人ならば、これは非常に重要な説明だ。
しかし、この段階では鼻洗浄器メーカーが単にウォーミングアップをしているにすぎない。箱の中には32ページにわたる取扱説明書が入っており、「はじめに」と書かれた導入部から医師や顧客からの推薦、取扱上の注意などが網羅されている。そこには洗浄・殺菌に関する説明に1ページが割かれ、よく聞かれる質問への回答が4ページにわたり記載されていた。
この説明書には何万もの単語が、すべて非常に細かく印刷されていた。そこには大陸間弾道ミサイルを発射させる方法、あるいはイングランドの最高勲章であるガーター勲章を授与された際の女王への接し方についての説明はなかった。単に鼻洗浄器を使う理由が並べられているだけで、その記述は延々と続いていた。
米国社会には長すぎるものがまん延している。卒業式、テレビのシリーズ物、歯の根管治療はすべて長すぎる。プロスポーツで長いのはシーズンだけでなく、1試合にかかる時間もそうなのだ。
最悪なのは野球だ。最近の変革でスピードアップが図られたが、それでも1試合にかかる時間は最低でも30分は縮められる。投手は捕手からのサインを拒み、小学生以来ランナーを刺したことがないのに1塁へダラダラとしたけん制球を投げる。また、投手はマウンドの周囲を動きまわり、滑り止めのレジンバッグをもてあそび、審判がコールをかければぶつぶつ言う。確かに野球は素晴らしいスポーツだ。ただ、ビデオ判定が導入され、ファウルチップかどうかで言い争いが発生し、投手コーチが意味もなくマウンドへ向かうという、文字通り終わりのない試合が繰り広げられるのだ。
映画も長すぎる。「インターステラー」や「インセプション」、「ダイバージェント・シリーズ:アリージェント」のように、人生の意味を説明しようとする映画に2時間を費やすのは気にならない。ただ、ヒーロー映画や普通のコメディー映画がそれほど長くなるべき理由はない。「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は2時間27分、「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」は2時間33分だ。「マザーズデー」は2時間に2分足らないだけ。ジェニファー・アニストンが主演の映画に90分以上が必要なのだろうか。
米大統領選に向けた選挙運動も長い。それは本選挙の2年前から始まり、予備選挙・党員集会が終わるころには誰もが全てに飽き飽きし、誰でもいいから誰かが選ばれて欲しいと思うようになる。ジョージ・パタキ元ニューヨーク州知事の選挙運動が盛り上がらなかった理由は、党員集会や討論会、講演、テレビ出演などが多すぎたためだ。大統領選を完全に追いかけることは、火あぶりにされるほどつらい。それは早く始まりすぎ、遅く終わりすぎるのだ。
インサイダー取引の審理、ギターソロ、学校とクラスの説明会である「バック・トゥ・スクール・ナイツ」は、どれも長すぎる。敬愛された市議会議員の退職祝いにおけるスピーチも長い。恐らく現代社会での誤りを完全に象徴するものとして、プロバスケットボールの奇怪な「20秒間のタイムアウト」がある。このタイムアウトが20秒で終わることは決してない。テレビCMが入り、視聴者にとってのタイムアウトは2分以上続くのがお決まりだからだ。
トミー・リー・ジョーンズが映画「ノーカントリー」の中で述べたことを言い換えると、「これが異常でないとすれば、異常になるまで続けられるだろう」ということになる。
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