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超高齢化社会の恐怖は戦争以上!? 「尊厳死」はこれほどまでに難しい
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48545
2016年05月08日 週刊現代 :現代ビジネス
■死後の世界は「ある・ない?」
日本脚本家連盟創立50周年の記念事業も3月26日イイノホールでのシンポジウムで終わり、充分に役割を果たせたとは言い難いながら、これを機に4月20日付けで理事長を退くことにした。これからは脚本家、物書きとして仕事に専念して行こうと思う。
一昨年11月から12月、川崎市の老人ホームで頽齢の入居者たちが相次いで転落死させられた事件は、入居費は高額、介護職員は薄給の「格差の館」と呼ばれているこの有料老人ホームで働いていた23歳の元職員が犯人だった。
介護労働の過酷さによるストレスからなのか、徘徊を繰り返したり、入浴を拒むなど手のかかる入居者に対して発作的に犯行を重ねていたらしい。
詳しい動機の解明などは今後の捜査と分析を俟つしかないのだけれども、6階のベランダから未明の朧の中を落下して行きながら、86歳の老女の脳裏に一瞬、走馬燈のようにフラッシュバックするのはどのような光景だったのだろうか。
1963年公開の短編映画『ふくろうの河』を想い出す。縛り首の刑を受けた男が橋桁から吊されて河面に落下するまでの瞬間の意識を、ロベール・エンリコ監督は夢のような美しい映像で拡大して見せて、恐ろしい筈の刑死がまるで恍惚感に彩られた安楽死でもあるかのような錯覚に陥らされたものだ。そんな連想から、今回は死、特に安楽死に関する書物を読みたくなった。
『死を笑う』は、心肺停止や呼吸停止で三度も死にかけたという中村うさぎさんと、鈴木宗男事件に連座して社会的に葬り去られるという意味での臨死体験をしたという佐藤優氏、ふたりの死生観を語り尽くす対談である。
両人とも死への恐怖は皆無であるとの前提ながら、死ねば只の死体となり生前の思考も感情も失われ、魂も存在せず無となるだけだと言う中村さんと、キリスト教ほかの宗教に造詣が深く、神は存在し死後は必ず天国に行くのだと断言できる佐藤氏とは極めて対照的だ。
人々の記憶の中に私という人間が多少は留まることはあるかも知れないけれども、私として中村派であることに間違いなく、人間が死ねば微生物に分解されて土に返るだけなのだと思っている。
しかし、死後の復活が信じられているキリスト教では肉体の死は単なる通過点でしかなく、オランダなどの信仰の強い土壌では、それ故にこそ医師による注射一本での安楽死や尊厳死を選ぶことに抵抗感が少ないのではないかとは佐藤氏の見解である。自身では実務家の看板を掲げながら、氏の博学、縦横無尽の思考の間口の広さには感服するほかはない。
■仮に死を望んだとしたら
『安楽死と尊厳死』は発行年度は少し古いのであるけれども、タイトルに違わず忠実にそのテーマに取り組んでいる。
実は川崎市の有料老人ホームの事件で殺された三人の中に安楽死を希求していた老女がいたとしたらどうだろうと考えていた。
医師に楽に死なせてくれと懇願するとか、もはや生き倦んで日頃からぽっくり死にたいとの願望を募らせていたとしたら、元職員の発作的凶行はむしろ恩寵になるのではないかと不謹慎極まりないことまで想像を巡らせていた。
安楽死には積極的安楽死と消極的安楽死があり、積極的安楽死は死苦から免れさせるために直接に首を絞める、致死量の青酸カリを飲ませるなどして殺害をしたケースであり、嘱託殺人、承諾殺人として刑法上の責任が問われることになるけれども、本人の意志や家族らの懇望により医師が致死的薬剤などの投与で死期を急速に早めることは、オランダだけではなくアメリカでも認められている。
これに対して消極的安楽死は尊厳死とも通じており、病苦からの解放を求めて延命措置を拒否する意志を予めリビング・ウィルとして用意しておき、本人の思考や判断が失われたとしても医師がそれを介助するといった場合であって、日本でも昭和50年に日本安楽死協会が結成され、後に日本尊厳死協会と名称を変えて現在も会員は増加していると言う。
しかし、2000年から2005年にかけて富山県射水市の市民病院で外科部長と同僚の男性医師が家族と相談の上とは言い条、死期の迫った七人の患者の呼吸器を外したことが社会問題化する。元外科部長とその周辺を精力的に取材し、尊厳死の線引きの困難さに肉薄したのが『「尊厳死」に尊厳はあるか』だ。
結果的には、この事件は2009年12月、富山地検が「呼吸器の取り外しと患者の死亡に因果関係があるとするには疑いが残る」として容疑不十分で不起訴処分とされた。
超高齢化の日本の年金制度では働いて税金を払っている世代の三人でひとりの高齢者を賄っており、老人と若者の対立の激化によって戦争よりも恐ろしい時代になるやも知れぬと『安楽死と尊厳死』の著者は懸念している。
川崎市の有料老人ホームの連続殺人事件がそうした懸念の顕現だとしたら、安楽死を願う老女との間には不条理な逆説が成立しているということになるわけである。
なかじま・たけひろ/'35年京都市生まれ、'45年より高知県中村市。NHK大河ドラマ『草燃える』『元禄繚乱』ほか、映画『津軽じょんがら節』『祭りの準備』等脚本多数。監督作品に『おこげ』等。'07年旭日小綬章。『牡丹と薔薇』など昼ドラも多く手がける
『週刊現代』2016年5月7・14日号より
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