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日本はヘリコプターマネーを本気で検討せよ
迫る世界デフレ HOYA、TDK、三菱ケミが示す克服法
英金融サービス機構元長官、アデア・ターナー氏の警鐘
2016年5月2日(月)
蛯谷 敏
迫る世界デフレ――。欧州中央銀行(ECB)や日本銀行の非伝統的な金融緩和策でも、なかなか上向かない物価。そんな中、欧米ではこれまでタブーと言われてきた政策を真剣に議論すべきとの機運が高まっている。代表例が、経済学者のミルトン・フリードマンがかつて唱えた「ヘリコプターマネー」だ。
ヘリコプターマネーは需要を喚起するために、国民に現金などを直接配ってモノやサービスを購入してもらう政策で、ヘリコプターからお金をばらまくような手段であることから、この名がついた。米連邦準備理事会(FRB)のベン・バーナンキ前議長もかつて言及したこともあり、英国では金融行政を監督するFSA(金融サービス機構、現在は2つの組織に分割)の元長官だったアデア・ターナー氏が最新の著作で導入を主張している。
政府が実質的に債務残高を増やさず、かつ減税のように将来の増税懸念がないことから、需要喚起に効果的な手段といわれる。一方で、過度なばらまきはお金の価値を暴落させ、ハイパーインフレを招きかねず、日本では極論と言われてきた。そんなヘリコプターマネーが、なぜ最近注目を集めているのか。ターナー氏に聞いた。(聞き手は 蛯谷 敏)
アデア・ターナー(Adair Turner)氏
英シンクタンク、インスティテュート・フォー・ニューエコノミックシンキング会長。1955年生まれ。米マッキンゼー・アンド・カンパニー、米メリルリンチ(現バンク・オブ・アメリカ・メリルリンチ)などを経て、2008年から2013年まで英国の金融行政の監督機関FSA(金融サービス機構、現在はFCA=金融行為監督機構とPRA=健全性規制機構に分割)長官を務めた。最新著作『Between Debt and the Devil』でヘリコプターマネーの導入を説いている。(写真:永川智子、以下同)
昨年後半から、世界経済の減速が顕著になってきました。ターナー氏は以前から、2008年の金融危機以降の世界経済は、バブル崩壊後の日本経済に似ていると指摘してきました。
ターナー 経済低迷の理由は2つ。需要不足と過剰債務の問題に尽きる。世界経済は原油価格の下落と中国経済の減速によって資源を中心に供給過剰の状態が続いている。一方で、欧米を中心に多くの先進国が、金融危機後に抱えた巨額債務の反動で財政規律重視の傾向が強まった。このため、各国政府は思い切った財政政策を打てず、経済の停滞につながっている。
この状況は、1990年代後半のバブル崩壊後の日本によく似ている。1980年代、経済が絶好調だった日本企業の多くが我が世の春を謳歌したが、バブル崩壊によって多額の負債を抱えることになった。積極的に企業に融資していた金融機関も経営が揺らぎ、金融危機が勃発した。「貸し渋り」や「貸し剥がし」といった言葉が流行したのもこの頃だ。
危機を脱するために、日本政府は財政出動を繰り返して経済を支えたが、結果として政府が民間企業の債務を肩代わりする形になり、巨額の債務を抱えることになった。日本の1990年から2015年までの間でGDP(国民総生産)に占める企業債務比率は低下した一方、国の債務は急上昇している。
2008年の金融危機後も、欧米や中国は大胆な財政出動を繰り返し、政府が多額の債務を抱えこんだ。そして、次第にこの状況に不安を抱く国民が増えた。金融危機の最悪期をのりきった2010年ころから、欧州では財政規律の維持が盛んに叫ばれるようになってきた。
これも日本で見られた光景だ。多額の負債を抱えた国家の財政に対して財政健全化の声が高まった。しかし、民間企業がまだ立ち直っていない中で緊縮財政を実施してしまうと、企業や家計の投資・消費意欲を減退させ、経済をさらに萎縮させかねない。結果として需要が盛り上がらず、物価下落を引きおこしてしまう。これが、日本のデフレを招いた大きな要因だった。
財政出動が難しくなる中で、期待されたのが中央銀行の金融政策だ。財政政策のように直接ではなく、間接的に物価を引き上げようという施策が注目されるようになる。ゼロ金利、フォワード・ガイダンス、量的緩和そしてマイナス金利と、現在ECBが実施している施策は、すべて日銀が導入済みのものだ。
しかし、残念ながら日本の経験で明らかになったのは、金融緩和策の限界だった。企業や家計の資産がゼロに近い、あるいは負債を抱えている状態では、利下げやマイナス金利の効果はあまり期待できないということだ。考えてみて欲しい。多額の借金を抱えた企業や家計が、金利を1%からゼロに引き下げたところで、新たなカネを借りて投資しようという気持ちになるだろうか。
利下げは、健全な状態の企業や家計の資産価値が上昇することで、初めて機能するということだ。
一方、利下げによる金利低下は実体経済にプラスの効果をおよぼす前に、投資ファンドのキャリートレードを促すという副作用を生んでしまった。加えて各国の中央銀行が同じ思惑で金利を引き下げるようになると、効果はさほど期待できなくなってしまう。
マイナス金利政策も、個人的には銀行の経営を圧迫する以上のプラス効果は見込めないと見る。金融機関は最初マイナス金利によって被る損失を自社で吸収しようとするが、やがて持ちこたえられなくなり、最後は手数料の引き上げなどで顧客にしわよせが行く。スイスの金融機関などでは既に起きている。
マイナス金利を実施する期間が長すぎると、むしろ経済に対する不透明感が高まり、企業が投資を手控えたり、個人がタンス預金を増やしたりと需要喚起とは正反対の状況に陥りかねない。
結局、金融政策だけでは経済刺激が難しいということですか。
ターナー もちろん、どの施策も何も手を打たないよりはましだ。それでも結果を見れば、経済回復には十分な施策とは言えなかった。
まだ打ち手は残されている
では、再び財政政策を増やすべきだろうか。特に欧州で顕著だが「これ以上の負債は増やせない」という強い反対がおきるため、思い切った財政出動に踏み切る国は少ない。従って、エコノミストの間からは「もはや弾切れ」という声も聞こえてくる。
しかし、私から見ればまだ施策は残されている。「マネーファイナンス」の導入だ。
いわゆるヘリコプターマネーの導入ですね。
ターナー 提唱者の1人である著名なミルトン・フリードマンの言葉によれば、マネーファイナンスの最大のポイントは国民に現金を配り、家計を直接刺激することにある。
具体的には、国民の銀行口座に現金を入れたり、あるいは特別な商品券を配布したりする形が考えられるだろう。例えばだが、現金20万円分を国民の銀行口座に振り込んだり、相当額の商品券などを送付したりする。配布した商品券などには有効期限を設定し、使わないと価値を失う仕組みを作ってもいいだろう。
いずれにしても、マネーファイナンスでは、新たに創造するマネーは中央銀行から与えられる。すなわち、国の実質的な債務を増やさずに済む。
これは、減税とも異なる。減税は結局、将来の増税という形で需要を先食いしているに過ぎないが、マネーファイナンスの場合はそうした懸念もない。消費は間違いなく増え、物価は上昇する。従来の公共工事などを通じた財政政策よりも、経済への刺激ははるかに直接的だ。
過度に実施すれば、ハイパーインフレを引き起こしかねないという指摘も根強くあります。
ターナー その主張はよく理解している。しかし、私はこの問題は結局、どれだけマネーを供給するかという匙加減だと思っている。運用次第でハイパーインフレのリスクは十分管理できる。
例えば、日本であれば日銀内にマネーファイナンスを担当する政策委員会を設置し、政府とは独立した形でマネーの供給量を決める。その適切な供給量はいくらかということは明言できないが、然るべき機関が秩序ある金額でマネーファイナンスを実行すれば、物価を目標の2%まで高められる可能性はある。
日本でもバブル崩壊後に商品券などを実施した例はあります。
ターナー そうした施策が導入されたことは聞いている。しかし、私から見ると、圧倒的にマネーの供給量が少なかった。繰り返しになるが、いくらが適量かとは言えないが、その量は圧倒的に増やす必要があるだろう。
むしろ、問題は政治だ。
一度効果を実感すると、政治家は選挙が近づくたびに政策の実施を訴えるリスクがある。中毒性のある施策なのだ。そうした政治からの過度な干渉を避けるためにも、マネーファイナンスの政策決定機関は、政府とは独立させておく必要があるだろう。
日本はすでにヘリコプターマネーの実績がある
しばしばマネーファイナンスは極論と言われるが、歴史を見れば実績がある。その1つは日本だ。1930年代、当時の大蔵大臣だった高橋是清氏がマネーファイナンスを実施して成功させている。実は日本はヘリコプターマネーの経験がある国なのだ。
日本はすぐにでもマネーファイナンスを実施すべきだと主張していますね。
ターナー 世界経済が再び失速していく中で、景気テコ入れの財政政策をとりたいだろうが、日本の不良債権はもはや危険水準を越えている。私からすれば、大きな財政政策はとれないと思う。
一方で、金融緩和策も限界に近づいているのは周知の通りだ。債務を増やさず、需要を刺激する方法として、これまでの金融政策でない手段としてあるのは、もはやマネーファイナンスしかない。
独立性のあるマネーファイナンスの運用ルールを確立できれば、この施策は必ず効果を発揮する。日本は過去20年以上、非伝統的金融政策を使っても思うように物価が上がらなかった。意思決定の仕組みが複雑な欧州に比べれば、はるかに実施できるチャンスはある。政府や日銀はあらゆる可能性を排除すべきではない。
このコラムについて
迫る世界デフレ HOYA、TDK、三菱ケミが示す克服法
物価がなかなか上がらず、デフレ脱却は難しい――。日本の政策担当者から、しばしばそんな声が聞こえてくる。しかし、そんな環境認識は誤りだ。景気減速が鮮明な中国では、デフレが輸出されている。韓国で、欧州で、「失われた20年」に日本で見られた光景と同じものが目に入る。米国も、長い目で見れば停滞への道を確実に歩んでいる。世界は「同時デフレ時代」に突入しようとしているのだ。光明が見えにくい低需要時代を企業は生き抜けるのか。心配はご無用。日本企業は長いデフレを生き抜いてきた。培った教訓やノウハウは、これからの時代にも通用するはずだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/042800037/042800001/
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