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松田商工の松田学社長
この中小企業を見よ!ゼロから創業60年、成長し続ける秘密…新卒入社の退職者ゼロ
http://biz-journal.jp/2016/04/post_14912.html
2016.04.29 文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント Business Journal
本連載前回記事『ディズニーR隣に同じ広さの「鉄の国」があった!壮観な工場群・浦安鉄鋼団地の秘密』(http://biz-journal.jp/2016/04/post_14792.html)で千葉県浦安にある広大な浦安鉄鋼団地を紹介した。東京ディズニーリゾートに近い埋立地に造成された107万平方メートルという広大な敷地に270もの事業所が操業している。そのすべてが鋼材を加工する工場か、その物流に携わっているという、ほかに類を見ない単一業界の工業団地だ。私は「鉄の秋葉原」と前回記事で形容した。
約270の事業所は、およそ200の企業が保有・操業している。どのような会社がこの鉄鋼団地で事業を営んでいるのか。『MONUMENT 浦安鐵鋼団地協同組合創立50周年記念誌』に同団地造成初期から操業している枢要な数社が紹介されているので、そのなかにあった株式会社松田商工を事例として取り上げたい。
創業者の松田秀夫氏(現相談役)は、1930年生まれ。16歳で生まれた北海道岩見沢市で国鉄の駅員となった。20歳のときに上京して鉄屑屋に飛び込み、24歳で独立して松田商店を創業した。やがて亀戸に2つの鋼材加工工場を持つが、いずれも60坪ほどの広さだった。中小というより零細といっていい典型的な町工場だったわけだ。
62年に鉄鋼団地の募集があったとき、いきなり4コマ分として1600坪の申し込みをして同業者を驚かせた。それまでの規模の10倍以上を申請したからだ。
この勝負が見事に成功した松田氏は、10年後の同団地第2期募集ではさらに1800坪を買い増し、第2工場を竣工するに至っている。75年に現社名とした。
第1工場はガス溶断を主業務としていたが、第2工場は折り曲げ、ロールを増設して加工専門の工場として発足した。折り曲げロール加工に進出したことが、同社の発展を今に至るまで支えた英断といっていい。
2代目社長だった松田中氏(創業者の甥)を挟んで、松田学氏が現在の3代目社長に就任したのは2008年。学氏は創業者の長男で、そのとき50歳、満を持しての登板だった。今回は松田学社長に話をうかがった。
■コツコツ、コツコツ、とにかく地道にがんばるのが中小企業
――松田社長は学卒ですぐに家業に入社されたのですか。
松田氏 いいえ、新卒したときは鋼材専業の商社で勉強させてもらいました。松田商工に入社したのは26歳のときです。
――社長に就任なさってから8年。ビジネスはどんな具合に発展したのでしょうか。
松田氏 社員の数でいえば、55名だったのが95名になりました。近いうちに100名の大台に乗せられれば、と願っています。年商は23億円ほどです。
――経営者としてどんなところに力を入れているのですか?
松田氏 それは、技術なんですね。鋼材の加工というのは、いってみれば匠の技術なのですが、匠の技術だからこそ他社では再現しにくいという側面があります。
――そうすると、現場作業者の養成、そして確保が重要となるわけですね。
松田氏 私どもが考えているのは「鉄を通して、社員の成長とお客様の繁栄を実現したい」ということですが、具体的には「折り曲げ」と「ロール」という加工を、当社の強みとして追及しています。
――社員数が倍になったということで、昨年から大きな動きがあったわけですね。
松田氏 2つの工場でキャパシティがきつくなっていました。数年前から第3工場をと考えていたのですが、ある会社が営業をやめるというのを業界紙で目にしました。思い切って交渉にうかがいましたら、昨年早々に現在の第3工場を譲渡していただいたのです。
――規模はどれくらいでしょうか。
松田氏 第3工場は約2400平方メートルありますので、第1、第2より大きい工場になります。
松田商工第3工場
――昨年は、もうひとつ大きな動きがありましたね。
松田氏 同業の東工建(あずまこうけん)を事業承継しました。経営者が高齢となり、後継者もいないということで、取引先でもありましたので経営を引き継がせてもらいました。
――どんなシナジー(相乗)効果を見通したのですか。
松田氏 東工建も当社と同じく、各種形鋼のロール曲げ技術に定評と実績があるので、当社が目指すところと同じだと判断しました。工場と本社も同じ鉄鋼団地の中にあり、行き来など何かとやりやすい。
■社員を大事にして次のステージへ
――社長が社員の人たちに呼びかけているのは、どのようなことでしょうか。
松田氏 大層に聞こえるかもしれませんが、「東日本NO.1の鋼板加工会社になる」ということを呼びかけています。特に、鉄板の「折り曲げ」と「ロール」という技術分野にこだわっていこうと言っています。
――失礼ながら、結構具体的で明確に進んでいらっしゃるのですね。
松田氏 何とかそうしよう、と(笑い)。でも、それを実現してくれるのはお客様と社員たちです。当社のお客様は、取引の歴史も長く、“松田商工の技術力”を信頼してご依頼いただいております。高いご期待に応えていく、やりがいを実感できます。
――現場で拝見したのですが、たとえば鉄板を幅広側の径が1メートル以上もある大きな漏斗状に加工するなどしていました。
松田 はい。手作業加工で、一発勝負で仕上げます。
――本当に匠のわざですね。社員の皆さんもイキイキとされているようにみえます。
松田氏 大卒の新卒採用を5年前から始めました。おかげさまで退職者はゼロです。社員には、安定した生活を送りながら充実した仕事をしてほしい、と願っています。東工建も入れれば、4工場となったので着実に130名体制を実現したい。
――中途採用も進めていくということですか。
松田氏 はい。現場のほうも経験者は大歓迎します。当社で何より匠の技術を向上してもらえれば、それに越したことはありません。
■中小企業の生き残り戦略とは
松田社長にインタビューして感じたことは、数十名規模の会社が堅実に伸びていくには、やはりその規模に適した戦略がある、ということだ。ポイントを集約すると、次のようなことになる。
1.社員を大事にする。会社は社長ひとりでは回せない、育てられない。
2.小さいなりに特色を出す。戦略的には差別化点をつくれ、ということだ。
3.経営者が経営に絶対的に集中すること。それを見て社員も奮起する。
松田商工を取材してもうひとつ感じたのは、同族企業における経営陣の確保ということだ。東工建もまた第3工場を保有していた会社も、後継経営者の確保が問題となり、松田商工に後を託した。
対照的に松田商工は、1代目から3代目までの社長が同族内で順調に承継されてきた。さらに現経営陣を見ると、副社長が社長の実弟、取締役が社長の義理の弟で年代的にそんなに離れていないということもあり「松田3兄弟」による経営が具現化されている。そして拝見したところ、とてもチームワークがよさそうだ。
これは、日本で99%以上を占める同族企業にとってはうらやましい状況のはずだ。着実な体制で固めている同社の未来は、明るいのではないか。
(文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント)
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