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半世紀ほど以前、私の通った高校に「ノートルダムのせむし男」という綽名の通称ダムさんという名物教師がいて、優等生たちにも結構慕われていたから優秀な人だったのだろう、数学を教えていた。
そのダムさんがあるとき文系に進む生徒たちを集めて、これから君たちは数学の世界から離れてしまうけれど、しかし微分積分などというのはいったい何をしているのか、その見当だけは持ってほしいと特別講義をしてくれた。
微分とは… とても小さい数を扱うテクニックなのだということ。
0はいくつ足しても0だ。
では、0よりは大きいが限りなく小さい数をどこまでもどこまでも、無限に足していったら、どうなるだろうか。
いくら小さい数といっても、ずっと限りなく足し続けたらそれは限りなく大きくなるのではないか、生徒たちは考えた。
そこでダムさんはこういう例を出した。
まず最初は0。
その0に1を足すと… 1だ。
次にその足した数1の半分0.5を足す。1+0.5=1.5
次にその足した数0.5の半分0.25をさらに足す。1.5+0.25=1.75
次にその足した数0.25の半分0.125をさらに足す。1.75+0.125=1.875
次に… と足した数の二分の一ずつ足していくとその数はどうなるか。
最初の数が1なのだから、半分の半分の半分… といくらやっても0にならない。0より大きいが無限に小さくなる数を足していくと…。
ここで見方をかえてみよう。まず0点に立っているつもりになり、「2」のところに目印を立てる。0に1を足すと1、ということは0と2の真ん中まで進んだことになる。つぎに1に立っていてそれに0.5を足すと1.5、ということは1と2の真ん中まで進んだ。つぎに0.25をたすと1.5と2の真ん中まで… というように、最後に立っていた所と2の真ん中まで、さらにその真ん中と進んでいく。こうすると絶対に2にはたどり着けない。2にはならないがしかし無限に2に近づいてゆく。このとき、これは2として取り扱うことができる、2として取り扱う、これは2だ…。 というのが微分の考え方なのだそうだ。
なるほど。
ではここから本題。
じゃあ、0.9倍ずつ足していったらどうなるか。
最初は0。
0に1を足すと0+1=1
次にその足した数1の0.9倍・0.9を足すと1+0.9=1.9
次にその足した数0.9の0.9倍、0.81を足すと1+0.9+0.81=2.71
次に…
十分の一ずつ減っていく数をずっと足していくと、それは10になる。
周囲1メートルの鉄の玉を転がすと、2メートル、3メートル… と無限に進んでゆく。
しかしそれが雪の玉で、1回転がるごとに小さくなっていくとする。小さくなってゆく率を0.9倍とすると、その雪の玉は10メートルしか進めない。雪の玉ならそこで融けてなくなってしまうだろうけれど、数学上は限りなく小さくなって無限に回転し続ける。
いま、1万円の新投資があったとする。その1万円は国民の誰かの収入になる。国民はその1万円の10パーセントを貯蓄し9千円を支出し、何らかの商品を買う。するとその9千円は商品を売った国民の収入になる。その9千円の収入を得た国民はその10パーセントを貯蓄し、…とやっていくと、結局国民の収入は10万円になる。「1万円の投資が10万円の収入を生んだ、なんとすごい、魔法のようだ…。」 となるか、もしくは、「1万円が10万円になるはずがない。ケインズはいんちきトリックに違いない」となるだろうか。
この10万円とはいったい何か。
手にバケツを提げた人が一列にずっとならんでいたとする。
先頭の人のバケツに1リットルの水を入れる。先頭の人はその水を二番目の人のバケツに移す。しかしそのとき水の10パーセントが外にこぼれ、二時番目の人のバケツには0.9リットルしか入らない。三番目の人が水を受け取るときは0.81リットルになり… とやっていくと、水は最終的に10リットルになる、だろうか。
水は最終的には0になる。増えたわけではない。それぞれの時点である一瞬だけ存在した水を数字の上で集計しただけだ。10リットル分の水があるとき同時に存在するわけではない。
1メートルの背の高さの雪だるまが一日ごとに融けて言って10パーセントずつ小さくなっていく。それを毎日計って(1→0.9→0.81… )全部足すと10メートルになる。だからこの雪だるまは10メートルだったのだ、と言ったら、四歳児ならごまかせるかもしれないレベルのいんちきだ。
お金は人の手から手へ姿かたちを変えずに移動、回転する。フリードマンが『貨幣の悪戯』のなかで一年で十回転する場合の話をしているけれど、1万円がそのまま十回転すると一年で10万円の取引を決済する(収入が発生する)ことができる。10パーセントが貯蓄される世界では
10000+9000+8100+7290+6561+5904.9+5314.41+4782.969+4304.6721+3874.20489
は約6万5千円にしかならない。経済はどんどん縮んでしまう。経済を縮ませないためには、不断に減った分の購買力を追加してやらなければならない。その購買力はどこから出てくるか。本来は貯蓄から、貯蓄の全額が投資されなければならない。
井原西鶴の小説に『親金様』と言う言葉が出てくる。
商売で利益が出たとして、その金をただ飲み食いに使ってしまったら、それで終わってしまう。しかしその金を『おやがね』に追加すれば商売を大きくすることができる。
諸事始末(倹約)に努めて浮かせた分を少しでもおやがねにまわし、おやがねを大きくしていかなければいけない。…
これは日本の「資本主義の精神」だ。これなら投資と貯蓄はそんなことをいちいち考えなくても一致する。
(無限に回転する、と言うとき、数学なら「無限に回転する」というだけですむ。しかし実際の経済では無限に回転するのにどのくらい時間がかかるか。生産するのも消費するのもコメだけの世界を考えると、たとえば12万トンのコメ、12万ドルの貨幣、12万人の国民、と言う世界で、ひとりの国民が1ドルで雇われてコメを生産し、その1ドルでコメを勝って消費する、とすると、この世界で経済は1年で1回転する。では、12万トンのコメなら1年かかるが1万トンなら1ヶ月でよいかと言うとそうはいかない。1万トンでも、たとえ10粒であっても1年かかる。つまり回転時間は無限に小さくならない。歴史的時間のある点に無限に接近し、それを超えることがない、というような点は存在しない。
1万円の投資が10パーセントの貯蓄率で無限に進行すると最終的には10万円の収入を生み… と言うけれどそれは無限の時間ののちに、その時々の収入を全部集計すれば、ということだ。
貯蓄率0では収入が無限大になってしまい、ハイパーインフレになる、などというバカなことはない。1万円がそのまま無限に回転すれば、無限年後、無限の回転ののちに無限大の収入を生む、で当たり前だ。)
ところで、サミュエルソンは『経済学』13版の「信用創造」の項で同じ論法を使っている。
ミズ・ボンドフォルダーが1000ドルを預金する。
10パーセントは引き出しに備えた準備金とし、900ドルを貸し出す。その900ドルは… とやっていくと最終的には1万ドルの貸し出しができる。つまりお金が10倍になった。
それなら最初に1000ドルが預金された段階で1000ドルをそのまま準備金だということにして、10倍の1万ドルを貸し出せばよい…
これはいんちきではないか。
あるひとが1万円持ってデパートにやってきて、この1万円は最終的に10万円の買い物をするのだから、いま、この1万円であの10万円のスーツを売ってくれ、と言うのと同じだ。店員が、あ、そうですね、と言って10万円のスーツを渡したら、ばかじゃないか。
1メートルの雪の玉は10メートルの雪の玉と同じだ、と言っているに等しい。
1リットルの水は10リットルの水と同じだ、と言っているに等しい。
1万円が貯蓄率0で無限に回転すると無限大・円になる。だからこの1万円で無限の買い物ができる、などと言ったらそれがばかばかしいことは子供にも分かる。しかし間に数学トリックを介在させることによって、数学アレルギーのある一般国民を意図的にだましているのではないか。
これは銀行という私企業が贋金づくりを公認されているということなのではないか。
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