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googleの自動運転車(「google HP」より)
交通事故の可能性解消へ…夜中に寝ながら移動も現実に 自動運転普及のインパクト
http://biz-journal.jp/2016/03/post_14447.html
2016.03.29 文=星野達也/ナインシグマ・ジャパン取締役 ヴァイスプレジデント Business Journal
軽井沢のスキーバス転落事故、大阪・梅田での暴走事故など、痛ましい交通事故が相次いでいる。このような悲惨な事故が起こるたびに、自動車の自動運転に関する社会の関心が高まる。
一方で、自動運転というと、ついつい事故が起きた場合の責任はどうするのか、運転免許はどうなるのか、保険はどうなるのかといった実用化のためのハードルに目がいってしまい、思考停止に陥りがちである。
いまや、実現のためのテクノロジーはすべてそろったといわれており、実用化のハードルがいずれ解決すれば、将来自動運転が本格的に普及することは間違いない。そこで今回は、自動運転が実用化し、一般社会に普及した将来を想像しながら、その先にある未来について思いをめぐらせてみたい。
■交通事故の根絶
自動運転が実現すると、いったい何が起こるのか。大きく2つのインパクトがあると考える。ひとつは「交通事故の根絶」、そしてもうひとつが「運転する機会の消滅」である。
交通事故の根絶のインパクトとして真っ先に思い浮かぶのは、交通事故による損失が解消されることだろう。つまり、毎年交通事故で失われる数千人の尊い命と、その数倍いる負傷者、そしてその家族にかかわるさまざまな損失がなくなるのである。
これだけでも十分意義深いが、さらに一歩踏み込んで考えるとほかにも大きなメリットがみえてくる。
たとえば、現在の自動車は「交通事故に遭遇する可能性がある」という前提で設計されている。そのため、万が一事故にあった場合に車内の搭乗者を守るため、硬くて重い鉄板で全体を覆い、さらに多くの安全装置を施しているが、その重量だけでも相当なものになる。
もし、交通事故が起こらないという前提で考えることができるのであれば、これらの常識が一変する。極端な話、車体は風よけ程度の軽い樹脂で十分であり、結果として車体重量は劇的に軽減可能だ。
さらに、車体が劇的に軽くなることで、大きな波及効果も期待できる。たとえば、エンジンの小型化だ。車が軽くなれば今のような大きな排気量のエンジンは必要がなくなり、せいぜい数百CC程度の、オートバイ並みのエンジンで十分になるだろう。また、衝突する心配がなければ、車間距離を小さく取ることができるため、空気抵抗を最小化できる(前方を走る車両を風よけに使える)。そうなれば、さらに燃費が改善されることになる。
燃費が良くなることで、消費する化石燃料が大幅に削減できるというメリットが思いつくが、そのサイズであれば、動力はむしろ電池式モーターで十分かもしれない。現在、電気自動車の決定的な課題として走行可能距離の短さが指摘されているが、車体重量が軽減できれば、当然走行距離も長くなり、その問題が解決されるだろう。
つまり、自動運転が本格化すると、電池式のモーターを積んだ軽量の自動車で十分になるのだ。そうなると、ガソリンエンジンのような燃焼系エンジンの必要性は相対的に低くなるのかもしれない。ましてや、燃料電池車に至っては、インフラ整備に多大なコストがかかることから、根本からその必要性が問い直されるかもしれない。
■運転する機会の消滅
そして、もうひとつのインパクトである「運転する機会の消滅」について考えてみる。
今の自動車は4人乗り、5人乗りが当たり前であるが、それは、運転できる人とできない人がいるという前提のもと、1人の運転手が、複数の同乗者を乗せて運転することを想定してつくられている。しかしながら、自動運転が実用化すれば、運転者とそれ以外という区別がなくなる。子供や高齢者など、運転手が必要な人たちも自由に移動ができるようになるため、子供の通学や通塾の自由度が上がるし、お年寄りが社会参加しやすくなるという面も期待できる。
あたかも、孫悟空が移動に使う筋斗雲(キントウン:自由に移動できる雲)のように、必要があれば誰でもそれに乗って自由に移動できる、そんな時代になるのだ。
考え始めると、妄想は尽きない。梅田の事故は、運転中に運転手が意識を失ったことが原因であるが、自動運転の場合、体調に変化をきたした搭乗者がいれば、そのまま行き先を病院に変更できるかもしれない。
また、お盆や正月の帰省ラッシュの憂鬱からも解消されるだろう。交通渋滞の中をノロノロ運転しストレスがたまることがなくなり、たとえば家族で団らんしながら、あるいは映画を見ながら移動ができるのだ。これまでストレスの塊だった空間が、一気に憩いの場になるかもしれない。
そもそも人間が運転しないのであれば、夜中に寝ながら移動してもよいので、昼間に移動する必要がなくなり渋滞も緩和されるだろう。
産業にとってのインパクトも大きい。運転手の数と労働時間によって制約を受ける流通が、一気に活性化されるというメリットもあるだろう。人間が運転する必要がなくなれば、睡眠や休憩の必要がなく24時間運搬が可能だし、トラックの大型化もできる。
しかし、ここまで考えると、運転好きのお父さんたちにとってはとんでもない話に聞こえてくる。いくら自動運転が浸透しても、当然のことながら、運転の喜びが忘れられず、どうしても自動車を運転したいというドライバーも一定の割合で存在するだろう。そういう人は、近所のサーキット(車の運転が許される場所)に行って、お金を払って運転を楽しむようになるのではなかろうか。
馬から自動車に移動手段が置き換わっても、一定割合で乗馬を楽しむ人がいるように、車の運転が、お金持ちの贅沢な趣味となる時代になるのかもしれない。
(文=星野達也/ナインシグマ・ジャパン取締役 ヴァイスプレジデント)
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