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結婚・出産なんてゼイタクだ! 大人が知らない「貧困世代」のリアル 日本を衰退させる大問題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48228
2016年03月25日(金) 藤田孝典 現代ビジネス
「結婚・出産なんてぜいたくだ」――。いつから若者たちはこんなに追い詰められてしまったのか。貧困問題を取材し、その結果を『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』にまとめた藤田孝典氏の特別リポート。
文/藤田孝典
わたしが所属しているNPO法人「ほっとプラス」(埼玉県さいたま市)には、食べるものに困り、栄養失調状態で訪れる10代や20代の若者もいる。
何日も食事をしていない若者が相談に来たら、支援団体から配給してもらった乾パンやアルファ米(乾燥加工米)、カップラーメンなどの食糧を提供する。栄養状態が著しく悪い場合は、病院に付き添ったり、実際に救急車を手配したこともある。こんな切迫した若者の相談は後を絶たない。
これから紹介するのは、特殊な事例では決してない。わたしが向き合ってきた、生活上の課題や生きにくさを抱える人たちの実例である。
■所持金13円で野宿していた伊藤さん(21歳男性)
蒸し暑い真夏のある日、苦しそうに顔を歪めながら、くたびれたTシャツとジーンズ姿で突然「ほっとプラス」に現れた伊藤さん(仮名)は、倒れこむように相談の席につくと、身の上話を聞いているうちに意識を失ってしまった。あとでわかったことだが、群馬県前橋市から、埼玉県さいたま市まで、歩いて(!)きたそうだ。
工業高校卒業後に建設会社に就職した伊藤さんは、会社の社員寮に住みながら、首都圏を中心に建設現場でビル建設の足場を設置する作業に従事していた。
しかしある日、足場から転落して左足を骨折し、後遺症を抱えてしまう。それをきっかけに、仕事を休みがちになった。当時、労働者災害補償保険(労災)は申請せず、給与は働いた分しか支給されなかったため、会社の寮費が払えなくなったという。それからも寮費の滞納が続き、生活費も足りないことから仕事を辞め、友人宅を転々とする生活が始まった。
初めのころは友人も快く部屋や食事を提供してくれていたが、それが長期化するにしたがって、援助を断られるようになった。伊藤さんには青森県で暮らす両親と兄がいる。しかし、家族はそれぞれ貧しい暮らしをしており、頼れる状況にはない。そのため、実家にも帰れないという。
頼れる友人もいなくなった伊藤さんは、最後に食事をさせてもらった群馬県前橋市の友人宅から、以前、短期間の住み込み仕事をしたことがある企業に行こうと決意し、さいたま市大宮区を目指して歩いたという。所持金はたったの13円であったため、電車には乗れない。
途中の公園で野宿をしながら、水道水を飲み、スーパーマーケットで試食を繰り返し、飢えをしのいで4日間歩き、さいたま市に到着した。早速、企業に相談したがあいにくすぐに雇用されることはなく、ただちにハローワークに通ったが、自身の住所がないため、就職先も見つからなかった。
いよいよ空腹と腹痛のため、交番に助けを求めた。警察官による情報提供によって、わたしたちのNPOの存在を知り、倒れこむように来所されたのだ。
彼の身長は173p。体重は68sあったそうだが、相談に来られた時には54sまで減っていた。わたしは救急車を手配し、意識の回復を待って、病院から生活保護申請をしたことを鮮明に覚えている。
伊藤さんは栄養状態も回復し、現在は生活保護から脱却して、非正規雇用ではあるが建設現場の仕事を再開した。当時を思い出すと、誰を頼ればいいのかもわからず、いつ餓死してもおかしくなかったと語る。伊藤さんのように食事すらできず、家も失った状態で相談に来る若者は後を絶たない。
年間1件や2件であれば、特異な事例として理解することもできるかもしれない。しかしその数たるや数え切れないほどなのである。次々と駆け込んで来る若者の困窮度合いは共通して、極まっている。生命の危険すらある状況も一般的な現場だ。
■生活保護を受けている加藤さん(34歳女性)
加藤さん(仮名)は、埼玉県内で暮らしており、生活保護を3年ほど受給している。生活保護費は、月額約11万円。そこから4万4000円のアパート家賃を支払い、6万5000円程度で月々の生活を送っている。
近くのスーパーマーケットに夕方以降に向かい、安い食材がさらに割り引きになるタイミングで買い込み、自炊しながら暮らしている。ある日の食生活を見ると、わずかな食費で何とか食事らしい食事をとろうと工夫して、やりくりしている様子がわかる。食費1日260円ほどの生活が毎日続くことを、あなたは想像できるだろうか。
趣味の本や雑誌を購入することや映画を観ることもできていない。しかし、「やれる範囲でやるしかないし、生活保護を受けることで自分らしく生きることができていると実感しています」と明るく話してくれた。
加藤さんは、過去につらいことがたくさんあっただろうに、そんなことを感じさせない優しい笑顔を振りまきながら語る。
街中の量販店や古着屋で購入した安価な服を何年も着続けている。基本的に洋服は、よほど汚れたり破れたりしない限りは購入しない。というよりも購入できないと言う。100円ショップで買った化粧品などを使用し、工夫しながら化粧をしている。もちろん、体調不良だということもあるが、とても痩せている。
しかし、服装や身なりを見ても困窮ぶりを感じさせない佇まいである。彼女に街中で会っても、生活保護を受給しているとは誰も想像がつかないはずだ。
ではなぜ加藤さんは、生活保護を受けなくてはいけないのだろうか。
■安心できる場所がなかった
「10代のころから親子関係が悪くて、中学校でもいじめを受けてしまい、その時から不安障害を発症したからです」
と彼女は語る。特に父親との関係が悪く、ケンカや口論になることが多かったそうだ。家には幼いころから安心できる場所がなかった。学校の悩みを両親に打ち明けられる環境ではなかった。自分自身の居場所のなさをずっと感じていたそうだ。無条件で愛してもらえる環境に乏しかった。
加藤さんのある日の献立
加藤さんは、いわゆる不登校の状態を経験し、中学校の途中からフリースクールに居場所を求めた。そこで友人や仲間に巡り合えたそうだ。同じような境遇に身を置き居場所を喪失して出会う仲間とは意気投合することもあり、楽しい経験も多かったという。
それでも彼女が10代のころ、家出をし、友人宅を転々としていた時期もあった。
「家に居場所がない、理解者がいないと思い、居場所を求めてさまよっていました。今なら笑えるけれど、本当にフラフラとしていましたね」
自分勝手で、放蕩をしてきたように思う人がいるかもしれない。しかし、その当時のことを聞いてみると、「好きでフラフラしていたわけじゃない。とてもつらかった。自分の状況を理解してくれる人は本当に少なかった」と言う。
発症してしまった不安障害と付き合い、現在も加藤さんは都内の病院に通って治療を受けている。現在でこそ、不登校を前向きに評価する観点が広がってきたが、当時は学校に通わないことへの無理解のほうが多かったように記憶している。
学校のような強固にできあがった教育システムに対して、「逃げられること」「つらいと言えること」は加藤さんの強みである。若者が一定の規範から「逸脱」することを前向きに評価する観点を、よりいっそう広げていく必要があるのではないだろうか。
わたしは加藤さんの話を聞きながら、生き方の多様性を尊重することについて具体的な取り組みを進める必要があることに気づかされた。
■絶望を感じる若者たち
この事例に登場したのは何も、特殊で風変わりな若者たちではない。
教育現場からの排除、奨学金返済や年金保険料支払いの重苦、雇用や労働現場の劣化、支える家族機能の縮小、住宅政策の不備、幾重にも重なる社会構造が若者を追いつめてきている現代日本で、頻繁に見受けられる事例である。実際に今も社会で生きている生身の人間である。
彼ら「貧困世代」が働きながら生活を営んでいくうえで、労働現場が重要であることは言うまでもない。そのような中、急速に若者たちを使いつぶす企業が蔓延してきたことも、彼らの生きにくさを助長している。労働現場を震源地とする生活のしにくさの拡大は、日本社会に暗い影を落とす。
若者は貯蓄が十分でないため、家族などに扶養能力がなければ軽々と退職することはできない。ましてや若者自身に扶養している家族がいる場合にはどうだろうか。過酷な労働環境であっても辞めることは困難ではないだろうか。
日本の社会保障は、失業者に対して、手当の給付水準もその期間も、職業訓練も十分ではない。諸外国にある扶養家族に合わせた失業給付制度もない。そのため、失業中の生活費は激減するし、早く別の仕事を探さなければならず、不安を加速させる。
「仕事を辞めても生活がよくなるとは限らない。だから辞めるわけにもいかず、いかなる労働環境であれ、我慢せざるを得なくて苦しい」という声は、日本中いたるところで聞かれる。当然、相談者から聞かれることでもある。そんな働き方を強いられている若者たちがどれほどいることだろうか。
生活が破綻してしまうため、無茶苦茶な労働環境を甘んじて受け入れて耐え忍ぶ一方、精神疾患などを発症してリタイアしていく若者たちも多数存在する。
過去に様々な経験ができた高齢者であれば、「やりたいことがあと少しできれば、まあいい人生だったなぁ」などと人生への諦めや落としどころがつくかもしれない。だが、若者たちはそもそもやりたいことが生涯できない状態に置かれているのではないだろうか。
青春を謳歌する活力を持ちながらも、それをまったく生かせずにもがいている。これは日本を衰退させる大問題のように思える。
一番人生を諦めてはならないはずの若い世代が、人生を諦めざるを得ない。あるいは自身の生き方を制限せざるを得ない環境に置かれている。
これらを「監獄に閉じ込められた悲劇」と言わずして何と言うべきか? ある意味では、貧困世代は下流老人よりも、悲劇的であると言えはしないだろうか?
人生に悲観する若者は彼に限ったことではない。絶望を感じる若者がわたしたちの身近に存在しているし、その数は今も増え続けている。
追いつめられた「彼ら」の実態に迫った一冊。
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