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田老の山あいに広がる仮設住宅。高台の復興住宅への転居が進んで入居率は半分を切る(撮影/松本創)
「孤独死が止まらない」復興住宅なのに高まるリスク〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160310-00000001-sasahi-soci
週刊朝日 2016年3月18日号より抜粋
「世界一の大防潮堤」で知られた岩手県宮古市田老。5年前の大津波はそれを越えて襲ってきた。根こそぎ流された町の中心部から車で15分ほど。山あいに400戸あまりの仮設住宅が立ち並ぶ。その一室で、一人の男性が遺体で見つかったのは、2014年の大みそかのことだった。
元市役所職員の59歳男性。住民の通報で駆け付けた警察官が1Kの室内に入ると、古新聞や酒瓶で足の踏み場もない。万年床に倒れていた。死後3日で、死因は「急性心臓死」だった。
「心臓が悪かったわけでねえけども、仮設に入ってから『眠られねえ、眠られねえ』ばかり言ってた。どんどん顔色が悪ぐなって、痩せていって。酒ばかり飲んでねえでちゃんと食べろと言っても『食えねえんだ』って。倒れても電話する力もなかったんだべな……」
同じ仮設住宅の別棟に住む88歳の母親は、息子の死を半ば覚悟していたかのように淡々と語った。彼の死から4カ月後に訪ねたときのことだ。私は生前の彼と少しだけ面識があった。
田老で生まれ育った男性は、合併前の旧田老町役場に入り、長く広報を担当して活躍した。
「明治・昭和の大津波で村がほぼ全滅するなど、津波と繰り返し闘い、立ち上がってきた田老の町と人びとの歴史をいつか本に書きたい」
男性はそんな夢を語っていたが、自分自身が「平成の大津波」に遭遇してしまう。大防潮堤のすぐ内側に立っていた自宅は流され、長年コツコツと集めてきた史料もすべて失われた。
その落胆もあったのか、津波の約1年後に市役所を早期退職。独りで仮設住宅にこもるようになった。結婚歴はない。町職員時代は広報の仕事に熱心だったが、一匹おおかみ的なタイプで、人付き合いは苦手。兄弟はみんな田老を離れていた。
孤独を深め、もともと好きだった酒を昼夜分かたず飲むようになった。老いた両親を車で病院や買い物に送り迎えする。それだけが、数少ない外出だった。
市役所を辞めて数カ月後に訪ねたとき、うつろな表情は、その後を予感させた。
「海に近い元の場所に家を建てたいけど、危険区域に指定されて、できなくなった。高台移転の話が進んでるけど、そこには住みたくねえ。今は様子見だ」
何もかもあきらめたようなため息に、かすかなアルコール臭が混じる。かける言葉が見つからなかった。
行政も手をこまねいていたわけではない。市の担当職員や保健師、仮設住宅の支援員は彼の情報を共有し、定期的に訪問していた。食生活の改善や病院の受診も勧めたが、彼自身が受け入れない。そのうち訪問を拒否されるようになった。
津波ですべてを失い、復興へ変わりゆく故郷を受け入れられず、自ら立ち上がる気力も持てない――。彼のような被災者を、どうすれば救えるのだろう。いや、周囲の助けで生き延びたところで彼は幸せだっただろうか。そんな疑問が頭をよぎる。
東日本大震災から5年。岩手、宮城、福島の3県では仮設住宅での、いわゆる「孤独死」が増え続け、昨年までに計190人に上ったという(朝日新聞調べ)。ちょうど5年で仮設住宅が解消された阪神・淡路大震災では233人だったから、ある程度は「教訓が生きた」と言えるのかもしれない。
だが、男性が孤独死の7割を占め、その多くがアルコール依存をきっかけに衰弱死へと向かうパターンは変わらない。災害のショックと仮設暮らしで疲弊を募らせ、生きる気力を失っていく被災者をどう支えればよいのか。プライバシーにどこまで踏み込めるのか。答えは簡単に出ぬまま、東北ではまだこの先、数年は仮設住宅が残るとみられている。(ジャーナリスト・松本 創)
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