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母の死、虐待を乗り越え歌人となったホームレス少女 小学校にもまともに通えず拾った新聞で字を覚えた・・・
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46177
2016.2.29 岩岡 千景 JBpress
子どものころに母が目の前で自殺し、その後預けられた施設でいじめや虐待を受け、大人になってからもホームレスを経験し・・・。そんな過酷な経験を鮮烈に詠いあげ、注目を集めている人がいる。「鳥居」という名で活動する、女性歌人だ。
彼女は、母子家庭で暮らしていた小学5年生の時、母を亡くした。睡眠薬などを大量に飲んだことによる自殺だった。その時、彼女はまだ11歳。小学校から帰ってくると母はアパートの部屋で倒れていて、なすすべもないまま、死にゆく母を見ていたという。
〈あおぞらが、妙に乾いて、紫陽花が、あざやか なんで死んだの〉
鳥居の作品の1つだ。母が亡くなって悲しく、途方に暮れている自分。しかし世界はまるで何もなかったかのように変わらず、美しい――。そんな情景を詠み込んでいる。
■小学校にもまともに通えない生活
母を失った鳥居はしかし、その後も凄絶な運命に翻弄され続けた。母の死後、彼女は出身地の三重県にある施設に入る。だがそこは彼女にとって、心穏やかに暮らせる場所ではなかった。
ほかの子たちにいじめられ、けがや病気になっても手当してもらえず放置され・・・。
〈全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る〉
だれも頼れる大人がいない境遇に置かれた子は、どれほど孤独か。どれほど精神的に追い詰められるのか。鳥居の歌は読む者の心を掴み、さまざまな思索を呼び覚ます。
悲しみもつらさも受け止めてもらえない環境の中で、鳥居の心は枯れはて、不登校に。そのまま、中学校を形式上は卒業したが、実際には小学校にも中学校にもきちんと通えていない。
そんな自分を含め、義務教育を満足に受けられなかった人たちの学び直しの機会を求めて彼女はセーラー服を着て活動。「セーラー服の歌人」と呼ばれている。
〈慰めに「勉強など」と人は言う その勉強がしたかったのです〉
施設を出てからも、つらい経験は止まなかった。ある男性の脅迫から逃れるためにDVシェルター(近親者からの暴力などを受けた人の緊急避難施設)に入り、ホームレスになり・・・。
短歌に出会ったのは、DVシェルターにいた時だった。心の安寧を求めて訪ねた図書館で歌集を手にし、その中の一首に目を留めて「三十一文字(みそひともじ)の中に1本の映画ほどの世界が広がる」短歌に魅せられた。
歌集を読むようになった鳥居は、お気に入りの歌集『吉川宏志集』の著者である吉川さんにファンレターを書く。そして、思いも掛けず届いた返信に記された「歌でも何でもいいから、表現するといい」という助言にも後押しされて、好きな短歌を自分でも、見よう見まねで作り始めたのだった。
〈思い出の家壊される夏の日は時間が止まり何も聞こえぬ〉
鳥居の短歌は、2012年、全国短歌大会で佳作を受賞するなどして、しだいに注目されていく。2015年、新聞連載などをきっかけにその人気は上昇し2016年2月、初の歌集「キリンの子」(KADOKAWA アスキー・メディアワークス)を出版。
■弱い人の気持ちを代弁したい
彼女の半生を、短歌作品を織り交ぜながら記したノンフィクション「セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」(同)も同時出版された。
「セーラー服の歌人 鳥居 拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」(KADOKAWA アスキー・メディアワークス、税抜1300円
彼女は、過酷な運命の当然の結果ともいうべき「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」、そしてその主症状である「解離」に苦しめられている。頼る者がなく居場所のないつらさや精神の病のしんどさ、生活保護受給もためらわせる世間の冷たいまなざし・・・。
2冊の本に記された彼女の短歌と述懐は、現代社会で弱い立場に置かれた人々の気持ちを代弁。この異色の歌人への注目度はさらに高まりつつある。
だが、自らの半生をさらすことは彼女にとって、振り返りたくない痛みや恐ろしさを思い返す行為でもある。それでもなお、彼女が発信しようとするのは、なぜか。
それは、「短歌の素晴らしさを伝えたい」という思い以上に「自分と同じような弱い立場に置かれた人に寄り添いたい」という願いがあるからだ。
〈友達の破片が線路に落ちていて私とおなじ紺の制服〉
鳥居は、母だけでなく、思春期に友人も自殺で亡くしている。この経験から「自殺を食い止めたい」という思いを抱き続けてきた。
「人はたやすく死ねる。けれども、死のうと思ってしまった人を、そこから連れ戻すのは難しい。人を死の淵から連れ戻すほどの、言葉の力がほしい」と彼女は言う。その歌が人の心に響くのも、そうした力を込めようと必死の思いで創作しているからこそだろう。
2016年1月。鳥居は神奈川県内の定時制高校で短歌についての「出前授業」をした。
同校では、前年の春、東京(中日)新聞に連載された彼女の短歌と半生をつづった記事を、現代文の授業で使っていた。授業を担当した教諭は、生徒の感想をネットを通じて鳥居に伝え、それをきっかけに、出前授業は実現した。
「海を知らぬ少女って、どんな少女だと思いますか?」
授業で鳥居は、寺山修司作の短歌「海を知らぬ少女の前に麦藁(むぎわら)帽のわれは両手を広げていたり」を挙げて生徒たちに問いかけ、一首の中に広がる世界を想像する楽しさを伝えた。
そして最後に、母と友達を自殺で失っていることを告白。「自殺は(残された者が)悲しいのでやめてほしい」「短歌はお薦めだけれど、漫画でもゲームでも何でもいい。つらいことがあっても、好きなことをやって生き抜いて」と訴えた。
■生きづらいなら短歌をよもう
定時制高校には、小中学校や他の高校でいじめを受けたり、不登校だったりした生徒も少なくない。この授業を聴いていた生徒の中には、鳥居と重なる経験を持つ子もいた。「自殺しないでほしいっていうメッセージはすごく伝わった」。生徒の1人は授業後、そんな感想を紙に書いた。
「全ての人に理解されなくたっていい。伝わる人にだけ、伝わればいい」。後日、その感想を知った鳥居はそっと、つぶやいた。
親の自殺に直面し、いじめや虐待を受け、不登校や引きこもりを余儀なくされ、貧困に追い込まれ・・・。同じ経験があり、同じ目線で語るからこそ届き、通じる言葉があるのではないか。
言葉だけではない。彼女は目の前のいやな、つらい現実から一時でも離れさせてくれる手段も提示している。それが短歌であり、短歌を含めたすべての芸術だ。
鳥居は「生きづらいなら短歌をよもう」と呼びかけ、不登校や引きこもりの当事者を対象にした「生きづらさを抱えた人のための短歌会」(づらたん)も開いてきた。
彼女が活動の拠点にしている大阪にある、不登校などの当事者らの居場所「なるにわ」が、主な会場だ。この会に賛同する20代の女性は言う。「悩みがあるとき、物語や短歌を読んでその世界に入っていくと悩みが気にならなくなる。文学作品や言葉には力がある。『づらたん』は、その力を生かそうとする場所」
太宰治は「畜犬談」の中で「芸術は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」と書いた。彼女は「弱い者の味方」としての芸術を伝える「伝道師」のような存在。目指すのは亡くなった母や友人、あるいは自分と同様、生きることにつらさを感じている人に力ある言葉を届けること。そうして、ともに明日へと生きのびることだ。
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