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住宅購入、35年間ローン払い続け老朽化住宅を手にする悲劇…低金利=今買うべきの盲点
http://biz-journal.jp/2016/02/post_13870.html
2016.02.19 文=牧野知弘/オラガHSC代表取締役 Business Journal
1月29日、日本銀行はマイナス金利政策導入を発表し、世界の金融市場を驚かせた。
中国経済の減速感が広がり、アメリカ景気の持続的な成長にも不安材料が見え隠れするなか、一部大企業の収益には相当の改善が見られたものの、ここで稼ぎ出されたマネーは国内市場へは向かわない。政府がどんなに「賃上げ」を声高に唱えたところで、今や収益の多くを「海外」で叩き出すこれらの企業にとっては、おいそれと賃金を上げる、あるいは国内での新たな設備投資を実行する勇気を持つには至っていないのが現状である。
こんな状況にしびれをきらしたのか、日銀は世界を驚かせる「マイナス金利政策」を導入。この政策によって、円安誘導による輸出産業を中心とした産業の活性化、および市場に潤沢なマネーを供給することによる株式や不動産などの実物資産購入の推進によって景気の浮揚を図ろうとしたのだ。
しかし、政策導入発表を行って数週間。マーケットは日銀の狙いとは別に、まったく想像だにしなかった展開を見せ始めている。世界金融マーケット全体への不信感から、安定通貨といわれている円買いが進み、なんと急激な「円高」を演出。さらには、通貨の強さとは異なり、一向に改善の兆しを見せない日本の個人消費の弱さやアベノミクスの政策的効果の限界を見越したからか、2万円を窺っていたはずの日経平均株価もこの間に一時20%以上も下落するという「大火事」に発展してしまったのである。
この現象は我々が経済学の教科書で習う経済原則とはまったく異なる「異常現象」とも呼べるものだが、今やこうした金融政策に対してマーケットは期待通りの反応を示さなくなっているのだ。これはあたかも重症患者に対して、痛み止めとしてモルヒネを与え続けても、そのうちその効果はどんどん減じられてしまい、治療方法としての「打つ手」がなくなる現象と似ているともいえる。
今回の円高と株価下落は、これまで政府日銀が繰り出してきたマネーによる景気刺激に対する限界を、いみじくも露呈したものといえるかもしれない。つまり、金融政策がもはや正常に機能しないほどに、「引きずり回されてしまった」日本経済に対して、今厳しい「反作用の嵐」が吹きつけているのだ。
■「決定的に欠けている」ポイント
さて、こうした状況のなか、「金利がマイナスになったのだから、実物資産、不動産に追い風になるだろう」との、なんとも能天気な言論が目につき始めた。
この論調の根拠は次のようなものだ。金融機関は日銀にお金を預けるとマイナス金利、つまり金利を取られてしまうから、「貸さなくてはならない」。一時にたくさんのお金を貸せて安全な貸出は何か? そうだ、不動産なら「担保」がとれるから「安全」だ。だから不動産にばんばんお金を貸そう。そうすれば、みんなが不動産を買うから、不動産はどんどん値上がりする。だから不動産は「今、買い時なり」。
あふれかえったマネーが、不動産投資に向かうのではないか。この思惑で今、不動産関連業界は勇気づけられている、というわけだ。
これらの議論で実は「決定的に欠けている」ポイントが、投資には必ず出口が必要だということだ。どうも日本の多くの評論家やメディアは相変わらず、不動産に投資する(お金を使う)という行為が、まったくといってよいほど理解できていない。
彼らの論拠はあくまでも投資の「入口」の話をしているにすぎない。果たして、今の日本の不動産に明るい「出口」が用意されているのだろうか。現実は投資マネーが好む一部のエリアを除いて、日本の多くの不動産にバラ色の将来価値を思い描くことは困難になりつつある。
金融機関がよく見誤るのが不動産の担保価値だ。担保価値とは、「売ってなんぼ」の価値であるはずだ。担保にとってさえしまえば「安心」なのではない。売りたいときにその不動産は担保評価しただけの価値で自由にいつでも売ることができるとの勝手な思い込みがあまりに多すぎるのではないだろうか。
■質の悪いジョーク
もうひとつ。この論拠に決定的に欠けているのが、不動産に対する「実需」の見方だ。たしかに不動産は証券化という手法を通じて日々マーケットでも取引ができるようになっているが、その価格を形成する不動産価値とは、土地あるいは建物にどのような「実需=ニーズ」が存在するかということだ。
今の不動産取引はそんな実需のことなどお構いなしに、他の金融商品と同じようなものとして取り扱っているのではないか。株式でも債券でもその発行体については、どの金融機関でもきちんと調べて、リスク・リターンを分析したうえで、評価を与えるはずである。
ところが今行われている議論は「マネーがあふれるので、そのマネーは不動産へ」という、ほとんどなんら根拠のない期待と思い込みで不動産を語っているように感じられる。やがて、彼らが「担保」と信じ込んでいた不動産に、実はなんのニーズもない、つまりソフトウェアのないただのハコだったと気づいたときに、多くの不動産が「出口」を見失い、「バブルの崩壊」はスタートするのだ。
不動産投資の猛者たちが勝手に傷つき、敗者となるのはまだしも、気の毒なのは明らかに情報リテラシーのない一般庶民だ。金利が下がったので住宅を「慌てて買わなければならない」、これはちょっと質の悪いジョークにしか聞こえない。
■こんな不動産投資は、本当は「やってはいけない」
住宅を買う人は今一度、自分の買う住宅の将来をよくシミュレーションしてみることだ。会社勤めなら、自分が定年になるまでの、いわば一生分の給料債権を(金融機関に)差し出して住宅を買い、すべてのローン支払いが終了したときに目にするその住宅がどのようなものであるかを考えてみることだ。
築30年以上を経たデザインはきっと「今どき」ではない、パッとしないマンションに変わり果てているはずだ。その頃には、大規模修繕や建替えをめぐって管理組合の意思統一を図ることも大きな問題となっているかもしれない。以前のように人口は右肩上がり、みんなが住宅困窮者で、自分の持っている不動産をいざマーケットに売りに出せば必ず売れる、そんな時代はとうの昔に過ぎ去っている。
今、街中にある築30〜40年のマンションをもう一度じっくりと観察してみることだ。これが、あなたが苦労してローンを払い続けた結果として「所有」する不動産なのだ。ときめきを感じることができる人はどれだけいるのだろうか。
こんな状態になっても、新築時のような不動産の「担保価値」があると考えられるだろうか。不動産に投資する目線にはこの「時間軸」の考え方が絶対に必要なのだ。特に、マンションのような建物価値にウェートが大きい(通常のマンションは売り出し時点で土地代の割合が3割程度、建物が7割程度である)不動産は、投資としての「出口」で、建物価値が大幅に落ち込んでしまう。こんな不動産投資は、本当は「やってはいけない」のだ。
■悲劇
さて話を再びマイナス金利に戻そう。金利はその国の「成長速度」を図るモノサシである。日本は長らく「低金利」のまま世界経済の成長から放置され続けてきた。日本は少なくとも国内の需要だけで、今後大いに発展していくことは難しい国になってしまったからだ。
実需がしぼんでいく国の金利が上がるわけがない。低金利を中心とした金融緩和策をどんなに続けても、そのお金は国が期待する経済エンジンに火をつけることはなく、行き場を失ったマネーが、「実需」が増える見込みもない不動産に振り向けられるのだ。
入口の「甘い汁」を信じた一般庶民はあわてて住宅を買う。もはや年々流動性を失うことで価値が下落していく日本の不動産マーケットのことなど何も考えずに、ただ「おトク」と思って買うのだ。その不動産の30年後の姿を想像することもなく。
そして「出口が見えない」、担保価値を失っていく住宅に一生分の給与を捧げ続けることのばかばかしさに年老いてから気づくことになるのだ。これを悲劇といわずしてなんというのだろうか。
(文=牧野知弘/オラガHSC代表取締役)
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