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かつては世界に誇る日本企業のひとつであったシャープ(※イメージ)
田原総一朗「変化を恐れつまずいたシャープに日本企業が学ぶべきこと」〈週刊朝日〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160210-00000000-sasahi-bus_all
週刊朝日 2016年2月19日号
かつては世界に誇る日本企業のひとつであったシャープ。しかし、2012年以降の経営危機から再建の目途が立たず、鴻海精密工業(台湾)の傘下となる可能性が濃厚となった。なぜ、シャープは自力で再建できなかったのか。ジャーナリストの田原総一朗氏はその傲慢な姿勢を指摘する。
* * *
かつて液晶技術で世界をリードしたシャープが、台湾の鴻海精密工業の傘下に入ることになった。
シャープは当初、政府が出資する「国策ファンド」である産業革新機構の再建案を受け入れるとみられていた。機構はシャープ本体に3千億円規模の出資をすると同時に、液晶事業を分社。2018年をめどに革新機構傘下の中小型パネル大手・ジャパンディスプレイと統合することを目指していた。
それに対して、鴻海は7千億円規模の再建案を示しているとみられ、シャープの雇用や経営陣も維持する考えを伝えたようだ。
それにしても、液晶技術で世界最強だったシャープが、なぜ台湾企業の傘下に入ることになったのか。
実は、11年に経済産業省がシャープにジャパンディスプレイへの合流をうながしたことがあった。韓国や台湾の官民一体となった液晶企業の攻勢に、民間だけでは抗しきれないのではないか、と経産省が危ぶみ、シャープとジャパンディスプレイという、液晶の日本代表企業をつくろうと図ったのである。だが、シャープは経産省の誘いを断った。
「液晶で世界最強のシャープが、なぜ負け組と一緒になる必要があるんだ」
当時の町田勝彦会長は、こううそぶいたという。たしかにジャパンディスプレイの筆頭株主は産業革新機構で、政府に助けてもらっている企業ではあった。だが、このころからシャープの業績は坂道を転がるようにして落ちていくのである。
12年には鴻海と提携し、大型液晶パネルの新鋭工場である堺工場の半分を鴻海会長の郭台銘(テリー・ゴウ)に売ることになった。
実はこのとき、町田は郭と話し、鴻海がシャープ本体に出資することでも合意していたのである。だが、この話は実現しなかった。町田が次のように述懐している。
「格下だと思っていた鴻海の工場を見せられたとき、シャープはもうとっくに抜かれている、と悟った。しかしシャープの社員は自分たちが上だと信じ込んでいた」
町田は、鴻海の出資は劇薬だが、それによりシャープの社員たちの意識が変わると考えた。だが、12年に町田が会長を退くと、役員も社員も一致して鴻海との提携を拒んだ。町田の後の会長になった片山幹雄は「格下企業」として鴻海を毛嫌いし、役員陣も総じて反鴻海であった。
「テリー・ゴーをカルロス・ゴーンに見立て、シャープを日産自動車のようによみがえらせる町田の構想は、変化を恐れるサラリーマン集団によって阻止された」(日経ビジネス「日本が危ない」から)
私は、かつてカルロス・ゴーンに取材したことがある。「日産はタテ割りで、企業内で情報が開示されていないので、企業のどこにどんな問題があるのかが、ほとんどの社員にわかっていなくて、危機感が共有できていない。そして変わることを恐れている。これを変えるのに苦労した」とゴーンは語った。
シャープは鴻海を拒絶したが、再建のアイデアは誰にもなく、座して待つうちに資金が底を突き、片山の後の社長たちは各銀行や経産省などに支援を要請している間に持ち時間を使い果たしてしまったのである。
攻めを忘れて守りの姿勢になり、何よりも変化を恐れる。東芝の不正会計もその一例だが、こうした企業が数多くあるのではないか。
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