http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/678.html
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芸術家集団「悪魔のしるし」主宰・危口統之氏(42歳)が肺腺がんで亡くなった。
昨年12月にステージ4の肺腺がんであることを公表していたが、がんが見つかってから
わずか5ヶ月であった[1]。
闘病日記が公表されている。
「やまいだれ日記」
https://note.mu/kigch_akuma
がんが見つかったいきさつが書かれている第1回の日記を下に引用する。
肺腺がんは非喫煙者でも罹患し進行が速く転移もしやすいと言われるが、それにしても亡くなるのが
早すぎる[2]。
日記では放射能汚染については触れておらず気にしていなかったと思われる。
被ばくにより免疫力が落ち、がんの診断後余命が極端に短くなると言われているが、危口さんのがんも
放射性微粒子を吸い込んだか、あるいは汚染食品を食べたことに起因するのではないか[3]。
咳が続く、声がかすれる、背中が痛いなどの異常があったら、迷わず病院で診断を受けるべきだろう。
何よりも大切なことは、いつも言っているが、できるだけ放射性物質を取り込まないように気をつけることだ。
汚染地域からは移住し、汚染の懸念のある食品はできるだけ避けることが大切だ。
事故後満6年の今日でも、福島第一原発からは大量の放射性物質が放出されている。
福島原発事故前と全く同じ生活をしていたら、命がいくつあっても足りない。
演出の仕事もやっと軌道にのってきたところだったと危口さんは語っている。さぞ無念だっただろう。
40代といえば若い世代を指導育成する立場である。
こういった人たちが若くして亡くなるのは大変な社会的損失である。
政府は放射能被ばく対策に本腰を入れないと、あらゆる分野の"牽引"者が若くして亡くなり、
日本はどんどん衰退していくだろう。
--------(引用ここから)---------------------
「やまいだれ日記」 (2016/12/7)
https://note.mu/kigch_akuma/n/n52d6d54da4a8
はっきりと異変を自覚したのはふた月と少し前、9月から10月になる頃で、まず声が掠れて出なくなった。咳はもっと以前、夏から続いており、声の出なくなったのもそのせいだろうか、気管支炎などこじらせたかと思っていた。次いで背中が痛くなってきたが、これも数年前、工事現場で働いていた頃に痛めた古傷の再発だと思い込んでいた。
10/15に新宿歌舞伎町でパフォーマンスをやって、その数日後、あれこれ落ち着いたところで近所の病院に行き、レントゲン写真を睨みながら精密検査を受けるよう強くすすめてくる医師の表情を見て、アッ、これはもしかして、と覚悟したのだった。
翌週から二駅離れたところにある日本医科大学武蔵小杉病院に通い始めた。ときには短期入院もしながら幾つか.検査を受け、最後に医師の部屋に呼ばれた。職業について訊かれたので演出家ですと答え、続けて、まあなんとか喰えるようになったのは最近の話ですけど、と誰に対してなのかよくわからない言い訳のようなことをいうと、そっか、やっと食べられるようになったのに、と医師がつぶやくので、こちらとしてもある程度のことは諒解してしまうのだった。というか、この頃になるともう癌であることを悟っていたし、病院がそれを明らかにしないのも気遣いというよりは単にサイエンス的な理由だと感じていた。検査結果が出るまでは明言を避けるのが科学者だから。
とにかくこの時期、月でいえば11月まるごと全部、は検査検査検査の日々で、それぞれ経験としてとても面白かったので、またここでも詳しく書いてみたい。
先に書いたように、癌であること、それもそれなりに進行した癌であることはある時点からは明らかなことで、だから自然と思考は死というやつを中心に旋回し始めるのだったが、その軌道は自分でも意外なほど安定していた。そう遠くない将来に自分が死ぬということを淡々と受け容れていた。なぜだかはわからない。衝撃が大きすぎてボンヤリしているだけじゃないかとも考えたが、そうでもなさそうだった。この辺りに考えたこともけっこう面白いので、また機会を改めて書こうと思う。
武蔵小杉病院に通い始めてから実家の近くにある倉敷中央病院に入院するまでのあいだ実質的に僕のことを支えてくれたのが弟だった。彼は岡山大学の医学部を出て一旦は医師として働いていたが、もっと勉強したいということで今年の春から東京の某大学医学部の大学院生になっていたのだった。症状の判断から薬の指南、告知の立会まで何から何まで世話になった。ところが僕の妹――弟から見れば姉にあたる――は鍼灸師で、つまり東洋医学の徒だった。治療方針を巡って弟と妹のイデオロギーが鋭く対立したのもまた面白く感じたことのひとつだ。化学療法と自然療法、それぞれの勢力が僕の体の上で戦う絵面が浮かんできて、彼らの会話を聞きながらこりゃまた面白いネタだなあと密かにメモしたのだった。
そうして家族間の話し合いで今後の方針が定められ、結論として横浜から倉敷に居を移すことにした。それが11月の28日のことだ。入院の日取りから逆算すると引越し作業は11/30、僕自身の移動は12/1となる。
かなり急な決定だったにもかかわらず、話を聞いた友人たちがたくさん見舞いに来てくれて嬉しかった。この、横浜での最後の二日間のこともまた書きたい。
他にもいろんなことが起こったり、そしてその都度考えたりしたのだが、きりがないのでとりあえず今日はここで筆を擱く。整理しながら、あるいはしないまま色々と綴っていこうと思う。
危口統之
--------(引用ここまで)---------------------
(関連情報)
[1] 「悪魔のしるし・危口統之が肺腺がんを公表」 (CINRA.NET 2016/12/7)
http://www.cinra.net/news/20161207-akumanoshirushi
[2] 「肺腺癌とは?症状や原因、肺がんとの違いなどを紹介!」 (Hapila 2016/8/1)
https://hapila.jp/lung-adenocarcinoma
[3] 「チェルノブイリ事故後、がんの診断後余命が20分の1以下になった」 (拙稿 2014/11/24)
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/298.html
[4] 「非喫煙者も罹患 作家・山本兼一氏を襲った肺腺がんの恐怖」 (阿修羅・赤かぶ 2014/2/18)
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/272.html
[5] 「あっという間に病死 この間まであんなに元気だったのに、、、」 (拙稿 2016/9/26)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/528.html
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