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「[元テレビキャスター 丸岡いずみさん]うつ病(1)被災地での取材 頭皮に発疹」
(ヨミドクター 2013/12/12)
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20131212-OYTEW54269/
テレビから一昨年の夏、突然消えた。眠れず、食べられず、の体調不良が1週間も続いていた。「このまま東京にいたら、死んでしまうかもしれない」とまで思い詰め、徳島県の実家に帰っていた。
北海道の地方局のアナウンサーから、29歳で日本テレビの中途採用試験に合格した。初めは報道局の社会部記者も経験した。人気番組での司会者との掛け合いが評判となり、その容姿と当時の年齢から「奇跡の38歳」と言われた。2010年から夕方のニュース番組の看板キャスターを務めていた。
「東京のキー局での仕事は、高速道路をノンストップ、ハイスピードで爆走している感じでした」。雑誌カメラマンの追っかけや隠し撮りにも、神経を使っていた。
運命の年となる1<年は、格別に忙しかった。2月のニュージーランド大地震では、翌日には現地入りした。帰国して間もなく、東日本大震災が起きた。帰宅難民で大混乱の東京都内の取材が終わると、翌朝、被災地に向かった。
津波に傷つけられた数多くの遺体と、がれきの山。「あまりにも悲惨で、私のすべての感情が一瞬にして凍りついた気がした」
1回目の現地取材は約2週間だった。その間に頭皮に発疹ができ、どんどん広がっていった。これこそ、あの病気の前兆だった。
東日本大震災から間もない2011年4月、英国皇太子の結婚式をロンドンでリポートした。帰国すると、また定期的に大震災の被災地に入った。
6月には海上自衛隊の護衛艦に同乗して、行方不明者の捜索を独占取材した。小型ボートで海上にも出た。かなりの時間がたった遺体に、息をのんだ。艦内には女性用の部屋も風呂もなく、緊張感に包まれた4日間だった。
翌月からあまり眠れず、食欲がなくなってきた。8月後半になると、一睡もできなくなった。「心も体も悲鳴をあげている状態でした」
民主党代表選挙の会場から秒刻みでリポートしていて、ついに言葉に詰まった。「ポキンと折れた」と自覚し、局に休暇を申し出た。「しばらくは東京には戻れない」と覚悟して 故郷の徳島に戻った。
親類が勤務する総合病院に入院し、週1回、別の病院の精神科に通った。予想していた通り、「うつ病」と診断された。だが、処方された薬が飲めなかった。この病気に偏見を持っていて、「この薬を飲んだら、本当のうつ病患者になってしまう」と思い込んでいた。
病状は悪化する一方だった。インターネットのニュースに「長期休暇の真相は、うつ病」という記事が流れた。周辺が騒がしくなり、さらに追い詰められていった。
テレビから突然消えて1か月がたった2011年9月末、うつ病の診断書を会社に提出した。そして、看板キャスターを務めていた夕方のニュース番組の降板が発表された。
もらった薬は、こっそり病室の隅に放り投げていたから、体調は悪化するばかりだった。しかし、2か月も入院したので、帰宅することになった。マッサージや神社に祈願などに通ったが、回復しなかった。体力が落ちて、実家の2階へは、階段をお尻ではって移動した。
悪いことばかり考えていた。髪が数本抜けると、「全部抜けて、ツルツルになるに違いない」と。父のズボンのベルトを見たら、「これで首をつったら、らくになるだろう」とも。
「親たちには、うつ病で帰ってきた娘は重荷でしかないはずだ」などと思い込んだ。「こんな状態になったのは、母がヒ素を盛ったからだ」とさえ信じ始めた。被害妄想に陥っていた。
とうとう過呼吸で、口がパクパクの状態になる「過換気症候群」を起こし、精神科の病院に入院した。この入院がすべてを救ってくれた。看護師の前で薬を飲まねばならず、ごまかせなかったのだ。
きちんと薬を飲むようになると、すぐに眠れるようになり、食欲も出てきた。わずか2週間で体調が戻り、被災地の取材から出来た頭の発疹も消えていた。
薬を飲んだら、すぐ快方に向かい、精神科の医師からは「薬が教科書的に効く人ですね」と言われた。入院してから1か月足らずの大みそかに仮退院できた。
家族と穏やかな正月を過ごした。突然の帰郷以来、4か月ぶりにテレビを見た。「うつ地獄から帰ってきたことを実感しました」。間もなく正式に退院した。
父がガーデニングをやっていたので、一緒に初めての土いじりを楽しんだ。ところが、「農家に転身」という記事を書かれてしまった。うつ病発症の前だったら動揺しただろうが、「どん底まで落ちて戻ってきたので、好き勝手にお書きくださいと、開き直ることができました」。
発病の前後に知り合った映画コメンテーター、有村昆さんの存在が、退院後の支えとなった。当初は男性として意識していなかったが、東京から徳島まで何度も会いに来てくれた。2012年8月に東京で2人の生活を始め、翌月、退社した。
体調は8割まで戻ってきたと感じている。でも、「ニュースキャスターの仕事は自分では全うした気持ちなので、しばらくは距離を置こうと思っています」。
今回の闘病を通してこう呼びかける。「うつ病は“心の風邪”ではなく、脳の病気。きちんと薬を飲んで治しましょう」
(文・斉藤勝久、写真・竹田津敦史)
--------(引用ここまで)-------------------------
丸岡いずみさんのうつ病は、おそらく原発事故の取材で受けた被ばくによるうつの典型例でしょう。
彼女の場合、抗うつ薬の効果もあったのでしょうが、汚染のない徳島県の実家で療養したことが
回復に一番効きめがあったと思われます。
放射能被ばくが深刻なうつ、そして衝動的な自殺を引き起こすことはよく知られています。
チェルノブイリ周辺国や旧ソ連の核実験場があったカザフスタンでは、未だに自殺が非常に多いのです。
福島でも自殺が多発しています。
震災によるショックや死別、生活苦、貧困、孤独などが原因とされていますが、おそらく自殺の多くは
被ばくが直接引き起こしたうつによるものでしょう。
今後、被ばくによる自殺は激増する可能性がありますが、すでに警察庁は自殺を変死体扱いにして
自殺件数が増えないようごまかしを始めています。
(関連情報)
「丸岡いずみ「ミヤネ屋」でうつの苦悩語る…宮根アナが反省」 (阿修羅・やきとり 2013/9/19)
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/110.html
「丸岡いずみの休養理由は震災うつとの証言 被災地取材で無力感」
(阿修羅・めちゃホリディ 2011/11/10)
http://www.asyura2.com/09/geinou2/msg/420.html
「丸岡いずみ『告白本で初めて明かした“凄絶うつ地獄”の恐怖』」 (アサ芸プラス 2013/9/12)
http://www.asagei.com/excerpt/15431
「福島で自殺率が震災4年後から上昇 -- 衝撃が走っているが、被ばくが原因であり不思議はない」
(拙稿 2017/1/13)
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/288.html
「自殺者7年連続減に“トリック” 元刑事・飛松五男氏が解説 (日刊ゲンダイ)」
(拙稿 2017/2/2)
http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/422.html
「発病、病死した有名人・芸能人の多くは高汚染地域を訪問していた」 (拙稿 2016/3/26)
http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/376.html
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