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NHK解説委員「水野さん」が語る、いま福島で起きていること 人は忘れていく。だからこそ伝えたい
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51176
2017.03.11 週刊現代 :現代ビジネス
「非常に危険な状況です。一刻も早く燃料棒を冷やすことです」――。
6年前のあの日、NHK解説委員・水野倫之さんの切実な声を聞いた視聴者は、「この人は信用できる」と思った。水野さんはいまも福島に通い続けている。
■問題は何も終わっていない
震災から6年が経ち、福島への関心は日々、薄らいでいるように思えます。月日が経ったのですから、いたしかたない面もありますが、実際には原発の廃炉にしろ、復興の問題にしろ、まだ、何も終わっていませんし、解決していません。
廃炉作業は困難の連続で、今も8万人の方々が避難生活を余儀なくされています。問題は山積しているのです。それなのに大きな変化がないとなかなか注目されない。
事故がどうして起きたのか、その時、何が起こったのか、そして今、何が起こっているのか。それらを伝え続けなくてはいけない……。切り口を変えてみたり、タイミング良く解説するにはどうしたらよいのかと、悪戦苦闘しています。
人は震災や事故のような悲しい思い出は手放そうとする生き物です。そうでないと辛くて生きていけませんから。でも、復興も除染も廃炉も賠償も現実を見つめ、なるべく早く進める必要がある。そうでないと帰還を願いながらも果たせずに人生を終えてしまう方々が出てしまいます。
東日本大震災により福島第一原発はメルトダウンを起こし、大量の放射性物質を広範囲にまき散らす重大な事故を起こしました。
政府と東京電力は最長40年で廃炉にする工程表を掲げ、2021年には溶けた燃料の取り出しを始める計画を立てました。
しかし、原子炉を突き破って格納容器まで溶け落ちた燃料を取り出すのは世界でも初めてのこと。その前段階として、格納容器内がどうなっているのか、溶けた核燃料がどういう状態になっているかを、まず調べなければならない。
そこで先日、探査ロボットの通称「サソリ」が格納容器内に投入されたのですが、正体のよくわからない堆積物に阻まれ故障し、すぐに動かなくなってしまった。
今年の夏には溶けた核燃料をどうやって取り出すのか、その方針を決める予定です。
しかし、このように内部の詳細もまだ分からない状況で「取り出し方針」が決められるものなのか。工程を優先しすぎると現場にしわ寄せが行き、安全がおろそかになるおそれもあります。一旦決めたことにこだわるのではなく、実態に合わせて工程を見直していかなければならないと思います。
■廃炉に立ちはだかる壁
今、福島で進められている廃炉計画は、溶けた核燃料を全量取りだすというもの。これに対してチェルノブイリでは「石棺」方式が取られました。溶けた燃料をすぐに取り出すのは無理なので、上からコンクリートで何重にも固めて放射性物質が外に漏れ出ないように、文字どおり石棺のように固めるという方法です。
実は去年、福島についても廃炉に関わる技術者たちから、取り出すことを大前提としつつも「石棺も選択肢のひとつ」とした計画案が示されました。「取り出し」は相当な困難を伴うという思いからです。
これに対して福島県は「石棺はあり得ない、そういうことを考えてもらっては困る」と強く反発しました。福島県からすれば、溶けた核燃料を除去しない限り、危険物質がそこに存在し続けることになるわけで、それでは復興の妨げになるという考えです。その心情は確かに理解できます。
ただ、私がこの一件で最も問題だと思ったことは、その後、経産省が技術者の責任者を呼び出して注意をし、計画案から石棺方式を削除させたことです。
政府として絶対に「取り出す」というのであれば、技術者の意見を聞いた上で、「石棺方式は取らない」という判断を示せばいいだけです。何も技術者を呼んで叱りつける必要はありません。技術者には政策判断とは別に、あらゆる技術的可能性を提示してもらうべきでしょう。
技術者を萎縮させては、いいアイデアも出なくなり、結果として廃炉のマイナスになってしまいかねない。
これまでの廃炉作業を見ていると、うまくいかないことの連続です。やはりそうした場合の代替案も今のうちから考えておかないと。あわてて策を考えているようでは時間がかかるばかりです。
私は、福島の事故前から、次に原子力施設で何か大きな事故があるとしたら原発なのではないかと思っていました。そう考えたきっかけは、1999年に茨城県東海村の核燃料の加工工場で起きた臨界事故です。中性子線という強烈な放射線が放出され、2人の作業員が亡くなりました。
この時、事故の収束に手間取ったことを教訓にロボットが必要だという結論に至った。国の予算で研究機関が試作品を作ったというので、私も取材に行きました。
ところが、行ってみると研究者たちが、困っている。せっかく作った試作品も実用化するには電力会社に引き取ってもらい各地の原発に配備してもらうしかありません。
しかし電力会社は「ロボットを置くということは、すなわち事故が起こる可能性を認めることになる」という理屈で、原発では不要だというのです。この時実用化しておけば、福島の事故で役立ったことは間違いありません。まさに“安全神話”の典型でした。
電力会社は「事故は燃料加工会社が起こしたもので自分たちは違う」と全く対岸の火事を見ている状態で、そこから教訓を見出そうとはしていなかった。
こうした状況を見聞きして私は「次に事故が起きるとしたら電力会社の原発だ」という思いを強くし、備えをしなければと考えるようになりました。
各原発を取材し、同時に現場を知り確かな知識を併せ持つ専門家を探しました。一番詳しかったのは、原発を実際に作っているメーカーの技術者たちで、日頃から意見交換してきました。ですから、福島の事故の時は、スタジオ解説の合間に彼らに連絡を入れ、何が起きているのか、確認を続けていました。
■六ヶ所村で知ったこと
私は大学の法学部を卒業し、NHKに記者として入局しました。原発問題を担当するようになったのは運命としか言いようがありません。
初任地が青森で、最初の2年間は、警察で事件事故を取材するいわゆる「サツまわり」。その後、上司に言われて「六ヶ所村」を担当することになりましたが、どんな原子力施設なのかも知らなかった。
もともと文系の人間ですから、科学の知識もそれほどない。よく理解しないままに書いた最初の原稿はひどいもので上司にこっぴどく怒られました。それから専門家のところに行き頭を下げて一から教えてもらい、自分自身で噛み砕きながら理解していったのです。
その後、東京に異動することになったのですが、引き続き、この問題に関わりたいと希望を出しました。青森で取材している時、「核のゴミなどやっかいなものを、青森に押し付けようとしているのではないか。東京で誰がどうやって政策を決めているのか知りたい」と思ったからです。
'11年3月11日、地震と津波のため「福島第一原発が冷却できない。核燃料が露出したかもしれない」という情報が入ってきた時、これまで日本国内で起きた事故とはまったく違うレベルのものだと察知し、ショックを受けました。それを一体、テレビでどう伝えたらいいのか。
その後、原発の建屋が爆発したり、使用済み燃料プールの水が蒸発するなど、いたるところから黒煙や白煙が上がっていました。隣にいるアナウンサーからは、「あの煙は何ですか」といった質問が飛んでくる。
でも、まず伝えなければならないのは煙の説明ではなく、原発が今、危機的な状況にあるということです。原発にある放射能の99.9%以上は燃料の中に閉じ込められていますが、溶ければそれが放出されるわけです。
スリーマイル島やチェルノブイリ級の事故が今まさに起きようとしていたのです。まずそれを伝えなければならなかった。木を見て森を見ず、という解説になってはいけないと必死で話しました。
あの時は、少し仮眠を取ってはスタジオに入るという状況でしたから、世間がどういう状態になっているのかわからなかった。当分、帰れそうもないので自宅に電話し、家族に「しばらく実家にでも行っていたらどうか」と深い意味はなく口にしました。
すると妻が、「今、うちが移動したらご近所がパニックになってしまう」という。あの頃は首都圏も安全なのかと皆さん疑心暗鬼になっていたようで近所の人からは「避難したほうがいいとなったなら教えてくれ」と言われていたそうです。
そんな中、旅行かばんを抱えて玄関を出たら「水野家が動くということは、いよいよ首都圏も危ないんだ。それで出て行ったんだ」と見られてしまうから、と。世の中は今、そんな風になっているのかと驚きました。
現在は事故直後と違って福島原発の話題なら、なんでもニュースになるという状況ではなくなりました。だからこそ、伝える意味はどこにあるのかを考え、見せ方、出し方に工夫を凝らしつつ、課題を指摘し、「こうしたらいいのではないか」といった提言をするよう努力しています。
昨今では福島から避難した子どもに対するイジメや差別といった問題も起こっています。こういったことも、福島の現状や放射能についてよく知らないことから起きているケースが少なくありません。やはり原発の今、福島の今を伝え続けなければならない。メディアの役割は重要だと思います。
■私が感じている「責任」
廃炉作業は日本全体の問題です。英知を結集させて取り組まなくてはなりません。
東電はトラブルを起こしたり通報が遅くなったりとよく問題を起こしますが、廃炉は彼らを中心にやり遂げてもらわなければならない。そのためにも報道の立場から、正しく問題点を指摘し続けなければならないと思っています。
NHKという組織だからこそ、自分は継続的に原発問題に携わることができたわけで、それだけに責任も感じています。
今、廃炉の現場は、若い技術者の確保にも頭を悩ませています。どうしても後ろ向きなイメージが付きまとい、若い人に敬遠されがちなのです。
でも、廃炉は大事な国家事業であり、最先端のロボットを設計したり取り出し技術を開発する、やりがいのある研究開発現場でもあります。そういった点も交えて、もっと幅の広い視点で廃炉作業を、メディアも伝えるべきなのかもしれません。
政府は40年で廃炉を完了させると言っていますが、取り出した核燃料の最終処分も考えればもっと時間がかかる可能性もあります。今、生きている人で福島の廃炉を見届けられる人が、一体どれだけいるのか。
私の先輩の解説委員からは「お前、廃炉になった福島原発の前で最後のリポートをしろよ」と言われ、是非そうしたいと思ってはいますが、そこまで私が現役でいられるかどうか……。でも、誰に何と言われようが私はその過程を見届けていきたい。これからも伝え続けます。
構成・石井妙子
「週刊現代」2017年3月18日号より
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