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2017年3月10日 林智裕
「人殺し」と言われたことがありますか?福島とデマ、6年目の訴え
はじめまして。福島県出身、在住の林智裕と申します。
唐突ですが、みなさんは誰かから「人殺し」と言われた経験がありますか?
私は、あります。しかし震災直後に福島で過ごした者にとってそれは特別な経験ではなく、特に食品に関わる人は酷い言われようでした。私の祖父もその一人で、「フクシマの農家は人殺しの加害者だ」との中傷が飛び交うなか「もう早く死にたい」と言いながら衰弱し、ほどなく他界しました。
友人の一人は、震災後のデマを信じて首都圏へ自主避難した配偶者やその実家から「子供を避難させないお前は人殺しだ」と言われたと聞きます。彼はその後離婚し、当時生まれたばかりであった子供と離ればなれになりました。
こうした被害の報道や言語化は「被曝」の陰に隠されており、原因となったデマや極端な言説もほぼ野放しにされています。私はこれらに対抗すべく、昨年出版された『福島第一原発廃炉図鑑』(開沼博・編)やシノドスにも記事を掲載してきました。
そうした喧噪を経てまもなく6年になる今、改めて「福島」と聞いてみなさんはどのようなイメージを持たれるでしょうか──。
立入禁止エリアは県全体の2.4%
県外で暮らす人は震災前の2.5%
福島県の面積は北海道、岩手県に次いで日本で3番目の大きさ。浜通り、中通り、会津の3地域に分けられ、いずれも独立した県として成立できるほど広大です。そして県全体では190万人以上の人が住んでいます。
まるで福島県全体が震災の、とりわけ原発事故の被害に覆われているかの印象を持たれている人もいるかもしれませんが、今も立ち入りができないエリア(期間困難地域)は、県全体の2.4%にすぎませんし、震災前に福島県で暮らしていた人のうち、県外で暮らしている人の割合は2.5%です(開沼博著『はじめての福島学』より)。
この数字を“たった”と見るか、“そんなに”と見るかは人それぞれです。
私が言いたいのは、当然、被害の状況や置かれた立場も異なりますし、「復興」という言葉の目指す意味合いも個人ごとに異なるということです。「福島の中」にも実に多様な考えがあり、今書いている私のこの記事もまた、福島の一つの声でしかありません。
一方で、原発事故は極めて政治的及び社会的影響が強い問題でもあり、「福島の外」の被害の当事者以外からの声も多数混じってしまいました。
むしろ声を大きく社会に響かせたり様々な議論を起こしたりすることは、社会的に大きな影響力や余力を持つ人にしかできない特権です。被災者にその力と余裕はありません。
そのため、「福島」あるいは「フクシマ」を語る声は、もはや矛盾と対立に満ちており、伝える力や手段を持たない者の声は存在すら気づかれないまま、いわば弱肉強食の様に大きな声にかき消されてしまっているのが現状です。
放射線の危険性を
極端な言説で煽った人々は今?
一例として、文部科学省HPにある資料「自主避難者の賠償について」の中に「自主的避難を決断するに当たって、参考にした情報は?」というアンケート項目があり、そこには「インターネット」「ブログ」「ツイッター」といった媒体の他、「武田邦彦」「広瀬隆」などの人名が繰り返し挙げられています。つまり、被災者の人生に大きな影響を与えた人々と言えます。実際、私の友人の元配偶者が自主避難をしたきっかけも、彼らの言説でした。
ところが、たとえば武田邦彦氏は今もテレビのバラエティ番組などに引っ張りだこですが、震災当初から放射線の危険性を極端な言説で煽り、2012年には「あと3年…日本に住めなくなる日 2015年3月31日」とまで予言していました。
広瀬隆氏は、著書『東京が壊滅する日─フクシマと日本の運命』(ダイヤモンド社)で、「タイムリミットは1年しかない」と煽りましたが、2016年7月17日で刊行から1年が経ち、同氏が自ら設定したタイムリミットはとうに過ぎています。
これはほんの一例に過ぎませんが、たくさんの人生の選択に影響を与えた彼らは、何事もなかったかのように今も変わらず活動を続けています。荒唐無稽な言説で多額の利益や地位を得たはずですが、今も彼らは何の責任も取ってはいないのです。こうした事態に対して、社会は「言論の自由」として寛容なままですが、梯子を外された被災者たちの立場はどうなるのでしょうか。言論の自由とは、言論の責任を弱者に押しつけて力づくで搾取する自由なのでしょうか。
(こうしたデマの例は、『福島第一原発廃炉図鑑』やシノドス記事「あなたが思う福島はどんな福島ですか」にて具体的な検証をしています)
こうした事態を引き起こした大きな原因は、社会が福島に関しての正しい情報を円滑に更新できていないことにあるのではないかとも思います。放射性物質やその影響について判っていることは多いのに、まるで「タタリ神」のように怖れられてきた状況は、原発安全神話のアンチテーゼとして表裏一体の、いわば「フクシマ危険神話」とも言えるかもしれません。
しかし、「放射能」は断じて神ではありません。
正体を「知ろうとすること」自体が罰当たりであるかのように怖れ、被災地を「ケガレ」として忌み嫌う風潮も生まれました。原子力を「神の火」にたとえて怖れたりすることや、核をやたらと神話化させて恐怖を煽るだけの現実離れしたポエムや怪談も喧伝されました。これらは全く被災地復興の役に立たないばかりか、風評による国内外に対する莫大な経済的損失や被災者への人権問題、自殺者を含めた震災関連死の増加などの二次被害を拡大させてきました。最近では自主避難者が避難先で「菌」と呼ばれるなどのイジメ報道が相次ぎましたが、それらですらも氷山の一角です。
当然ながら、この日本において「言論の自由」は強く守られるべきものです。しかし同時にそれは批判されない自由ではなく、言論の責任からの自由も意味しません。原発事故を起こした原因や一次被害の責任は国や東京電力にありますが、デマなどの人災による二次被害の責任は、あくまでもそれを拡散してきた方々にあります。
「神話上のフクシマ」でない
福島の6年目の現実
震災以降大げさに喧伝されてきた「神話上のフクシマ」や「フクシマの真実」とは全く違う、福島の6年目の現実は、どれだけ知られているのでしょうか。
たとえば、WHO(世界保健機関)が放射線被曝の影響が人間の遺伝に世代を超えての影響を与えないと言っていることは?
・参考資料:「健康リスクアセスメントに関するFAQ」(WHO)
http://www.who.int/ionizing_radiation/pub_meet/faqs_fukushima_risk_assessment/en/
福島のテレビや新聞では毎日放射線量が発表され、日曜版の新聞では各地モニタリングポストや全国、全世界の他の都市との具体的な数値比較ができるようになっていて、県内の数値が高くないこと。ガラスバッジなどでの実測被曝量もそれらのデータを裏付けると共に、外部内部ともに他地域との差がほとんどなく、影響は無視できるという実測データが出揃っていることは?
・参考資料:原子力規制委員会「全国放射線モニタリング情報」
http://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/
BUuzFeed「『福島の外部被曝線量は高くない』高校生執筆の論文が世界で話題に」
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/fukujima-no-gaibu-hibaku-senryou-ha-taka-ku-na-i-koukousei-s?utm_term=.pqx0kdmVPd#.buRryPwNGP
そもそも影響を無視できる程度の被曝量なのに「多発」と言われている福島の甲状腺ガンは、当然、被曝が原因ではなく過剰診断での掘り起こしだと国連機関が繰り返し明言していることは?
・参考資料:「福島民友新聞」2016年11月17日付社説
http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20161117-127779.php
アメリカなどに比べ10倍以上厳しい食品に対する日本の放射性物質の基準と、仮にそれを超えた場合に具体的にどの程度の影響があるのか、放射線以外のリスクと比べての相場観は?
「万が一基準値を超えた場合のリスク」を想定する以前に、福島では米に至っては1000万袋以上に及ぶ全生産量を検査しており、全てがその厳しすぎる基準値以下であることはもちろん、99.99%以上が検出限界値未満。その他の出荷されている食品も同様に検出限界値未満ばかりで、すでに想定の必要性すらなくなっていることは?
・参考資料:コープふくしま「2014年度陰膳方式による放射性物質測定調査結果」
平成28年産福島県全域(市町村別) 検査点数10,172,619点のスクリーニング検査
http://www.fukushima.coop/kagezen/2014.html
http://diamond.jp/mwimgs/9/b/-/img_9b0aa1282a74db83df355ca6b9c1258360316.jpg
震災直後と違い、それらを隠蔽だと強弁することができないほどに、安全性を示す客観的な証拠が揃いすぎていることは?
このように積み重ねられた客観的な事実が、県外では一体今までどれだけ報道され、どれだけの人にきちんと伝わっているのでしょうか。
たとえば去年の3月11日近辺のテレビ番組も、誤解を誘発する酷いものばかりが目立ちました。NHKの「被曝の森」という番組では、放射線被曝を原因とする悪影響がデータ上見られないにもかかわらず、逆に誤解させるような恣意的なグラフと音楽とで恐怖を煽りました(https://togetter.com/li/946766)。
テレビ朝日の報道ステーションでは福島に震災後に開設された、地元紙では中核派の拠点と報道されている診療所を以前から紹介していましたが、3月11日には番組の最初から最後まで、この診療所が主張する通りに甲状腺ガンが被曝の影響で増えたかのような印象を受ける番組を続けていました(繰り返しになりますが、国連から何度も発表されているように甲状腺ガンの増加は調査数と機器精度向上による発見数の増加であり、発症率の増加ではありません)。
言葉の凶器を振りかざす人々に
届けたい「水俣市のメッセージ」
今年もおそらく同様に、そうした言説が幅を利かせ、意味も分からず拾った言葉の凶器を得意気に振り回す人たちで溢れるのかもしれません。毎年3月11日が近づくたびに何度も繰り返されてきた光景です。
センセーショナルな情報や負のイメージは、きっかけが善意からだろうが悪意からであろうが、ときには正しいかどうかすら無関係に容易に広まります。しかしながら、一度広まったイメージや誤った情報を更新する為には多大な労力と大勢の方の協力が必要になります。「タタリ神」のような扱いに神格化されてしまった「放射能」が相手ともなれば、なおさらです。
あれから6年になろうとする今も、被災地の支援には何が必要ですか?と時折聞かれます。とてもありがたいお言葉で、感謝しきれないほどです。
私は、事実に根ざした上での「知ろうとすること」をできる限り多くの方に続けていただくことが、今は一番の支援になると思います。その積み重ねの結果として社会に望むことは3つ。
1つ目は、事故直後の混乱と喧噪の中で「力の支配」によって定着してしまったままの、原発事故に対する偏った情報と被害認識が、それらに代わる「最新のデータと知見を基にした客観的判断基準」の中で再定義されること。
それによって「フクシマ」という震災直後のまま変わらない虚像が、最新の「福島」という現実に修正されアップデートされることが2つ目。
3つ目に一番大切な事として、それらが誤った情報を広めた時以上の規模で社会に広く共有され、福島に対する差別や偏見、負の烙印を次世代に残さないことです。皆さん一人ひとりが福島の今を「知ろうとすること」こそが、この上なく大きな力になると、私は思います。
過去に公害病で苦しんだ歴史から、しばしば福島と共に「公権力による被害者」としての文脈で語られがちな水俣市からは、震災直後に緊急メッセージが出されました。
「放射線は確かに恐ろしいものです。しかし、事実に基づかない偏見差別、誹謗中傷は、人としてもっと怖く悲しい行動です」──。
この緊急メッセージが出されてからも、間もなく6年。どれだけの方まで、このメッセージは届いたのでしょうか。もしも、このメッセージを無視して水俣の被害者性だけを政治的イデオロギーや利益のために搾取しようとするならば、それは水俣と福島双方に対して大変失礼なことです。
「神話」とは現実からはあまりにも遠いものであって、当然ながら現実から離れたところに「真実」などはありません。震災前の原発安全神話とて、現実から離れて神話化したからこそ適切な事故予防や対処ができず破綻しました。
崩壊した神話の後になすべきは、新たな「神話」を創作することではなく、思い込みを排除した客観的な事実、空想ではなく現実に向き合い続けることでしょう。危険ならば危険、安全ならば安全。それは客観的な事実の積み重ねのみによって語られるべきです。
いつまでも現実から離れ続けようとする「神話の時代」がいつか終わりとなる日を、私は切に待ち続けています。6年を越えようとする今、少しずつその日は近づいてきているのでしょうか。
(フリーライター 林智裕)
http://diamond.jp/articles/-/120730?
「福島の外部被曝線量は高くない」 高校生執筆の論文が世界で話題に
福島は他の県や国に比べて高いのか。高校生の素朴な疑問は他に類を見ない研究に。
posted on 2016/02/08 21:58
Satoru Ishido
Satoru Ishido
石戸諭 BuzzFeed News Reporter, Japan
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Satoru Ishido / BuzzFeed
福島の高校生は被曝線量が高い?
福島第一原発事故が起きた、福島県の高校生と、他県、他国の外部被曝線量はどれだけ違うのか。福島高校の生徒を中心に216人のデータを比較した英語の研究論文が昨年11月、専門誌に掲載された。オンライン版は無料で公開されており、全世界で3万ダウンロードを超えている。
執筆した福島高校3年の小野寺悠さんと、論文執筆をサポートした東京大大学院の早野龍五教授(物理学)が2月8日、日本外国特派員協会での会見後にBuzzFeed Newsの取材に応じた。
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発端は素朴な疑問
論文執筆プロジェクトの発端は小野寺さんら高校生たちの素朴な疑問だ。
「福島県で生活する私たちの被曝線量は国内の他の地域や、他国と比べて高いのか」
小野寺さんたちは、実際の生活パターンから測ってみたいと考えた。1時間ごとの外部被曝線量を調べることができる個人線量計「D-シャトル」を使えば、それが可能になる。福島高校の教諭のつながりや、事故後に高校で特別講義をするなど交流を深めていた早野さんら科学者のネットワークを使い、比較研究の土台を作り上げた。
福島市周辺、いわき市など沿岸部、そして会津と県内各地から6高校、神奈川県や広島県など国内6校、フランスからは40人、ポーランドから28人、ベラルーシから12人の高校生、教員が参加した。教員も含めて協力者は216人に及んだ。
Satoru Ishido / BuzzFeed
調査に参加した216人は2014年6月〜12月の期間中、原則として2週間、線量計をつけて生活した。どこにいたか日誌もつけてもらった。データをもとに年間の被曝線量を換算すると、差はごくわずかだった。集団の真ん中にあたる中央値で比較すると、福島県内では0.63〜0.97ミリシーベルト、県外では0.55から0.87ミリシーベルト、海外0.51〜1.1ミリシーベルトだ。
フランスの高校生が発した一言「福島に人は住んでいるのか」
英訳など論文をサポートした早野さんには忘れられない問いかけがある。2014年、フランスの高校生からこう質問された。
「本当に福島に人は住んでいるのか」
確かに、原発周辺の地域は人が戻っていないが、小野寺さんが住む福島市内も沿岸部のいわき市も、郡山市も、そこで暮らしている人たちがいる。
「その高校生は無邪気に聞いている。だからこそ問題は根深い。広島や長崎と同じように、福島の高校生が成長して海外に行くたび、同じ質問を投げかけられるのではないか。その時に大事なのは、しっかり根拠を持って、発信できる力をつけることだ」
そう考えた早野さんは、論文の英訳は手伝ったが、基本はすべて生徒たちに委ねた。
会見後に記者からの質問に答える小野寺さん Satoru Ishido / BuzzFeed
「客観的な根拠と事実から判断する」
専門誌掲載にあたって、査読者から「なぜ2週間の記録で、年間の被曝量に換算できるのか」という質問があった。早野さん自身は答えなかった。「日本語でいいから、回答を考えてほしい」。小野寺さんにボールを投げた。
小野寺さんの回答はこうだ。「高校生がデータをとった2週間は、朝起きて、登校し、授業を受けて下校するという高校生の基本的な生活を送っているときに計測したもの。1年間で換算しても問題はない」
小野寺さんは、論文執筆を通して学んだことがある。
「計測の結果、線量が高かったとしても、公表していました。データは計測するだけでなく、公表して、みんなで考える。リスクがあれば、それを回避する方法を考えればいい。客観的な根拠と事実に基づいて、判断することが大事なのだと思います」
「伝統になってほしい」
震災発生時、中学1年だった小野寺さんは一時的に親族を頼って関東に避難した。父親の指示で、室内でも放射線量の低い場所で生活していたという。その頃、早野さんはTwitterで原発事故や放射線について発信を続けていた。来年には定年を迎える。
もうすぐ震災から5年。取材の合間に「福島高校の伝統になるといいな」と早野さんがつぶやいた。
「科学の方法をつかって考えること、福島から情報を発信すること。高校生から考えること」。それが早野さんが願う「伝統」だ。
https://www.buzzfeed.com/satoruishido/fukujima-no-gaibu-hibaku-senryou-ha-taka-ku-na-i-koukousei-s
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