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福島・富岡町唯一の病院が解体へ 4月避難指示解除予定も帰還準備は解除人口の3%の300人
http://gansokaiketu.sakura.ne.jp/sanjyou-fukushimano-ima-naiyou.htm#2017-02-28-fukushima-tomiokacho-yuiituno-byouinga-kaitaihe
福島・富岡町唯一の病院、無念の解体 帰還準備3%
http://mainichi.jp/articles/20170228/k00/00e/040/194000c
東京電力福島第1原発事故が起きるまで福島県富岡町内で唯一の病院だった「今村病院」が今春にも、解体される。院長だった今村諭さん(61)は昨年、新たな町立診療所の所長として地域医療の現場に戻った。4月1日に予定される避難指示解除後も帰還する住民は一部にとどまる見通しで、原発事故まで約20年間、守り続けてきた病院の経営が成り立たないと判断したからだ。【杉直樹、土江洋範】
ソファが並ぶ真新しい待合室に人の気配がない。最新の学会誌を読み込んで患者を待つが、1時間以上誰も来ない日も珍しくない。
今村さんは昨年10月、町が新設した「とみおか診療所」の所長に就任した。帰還に向けた準備宿泊を始めた住民は300人ほどで、解除対象人口の3%。外来患者は1日10〜20人程度で、廃炉作業員の定期健診や予防接種が「頼みの綱」だ。赤字分は今のところ、県が穴埋めする仕組みになっている。
「今村病院」は診療所から約700メートルの場所で解体を待つ。今村さんが1991年に開設した。90床のベッドはほとんど満床状態で、毎晩のように、救急車で運び込まれる患者の対応で月の半分は当直勤務に入った。地域医療を志したのは開業医だった父の影響だ。父は往診先で患者の愚痴を聞き、道で住民とすれ違うたび「先生」と声をかけられた。その姿に憧れた。
原発事故で町全域に避難指示が出て、入院患者約90人は転院を余儀なくされた。病院への自由な立ち入りが許されたのは約2年後だった。薄暗い病棟にエレベーターのアナウンスが響くと、事故前の当直勤務を思い出した。
「廃虚にしたくない」と床に散らばるカルテを整理し、施設を修繕したが、年数百万円の維持費がのしかかるだけで再開のめどは立たない。東京電力からの賠償金も多くが病院の債務返済に消えた。6億円近くかかる建物の解体費に国費が出ることもあり、「もはや病院は負の遺産だ」と苦渋の決断をした。
「先生、いつ始めるの」。診療所長を引き受けたのは再起の糸口を見いだせずにいたころ、住民の言葉に背中を押されたからだ。「診療を再開すればみんなが戻ってくるかもしれない」。2016年9月下旬、平屋建ての診療所の前で町長らと開所のテープカットをした。式典では「町の復興のシンボルに」とあいさつした。
開所日、初めて診察したのはなじみの患者だった。「私の病状をよく分かってくれているから」と避難先の東京から福島に戻ってきてくれた女性もいる。診療を休んでいた間、ずっと患者の体調が気にかかっていただけに、気持ちが少し軽くなった。
古里で必要とされる医者であり続けたいと思う。「今はもう前に、前に進むしかないね」
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