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2年前に731部隊の投稿をしたが、今回は731部隊関係者で国立予防衛生研究所所長、
長崎大学長でもあった福見秀雄について調べてみた[1]。
---------(引用ここから)----------
福見秀雄 ふくみ-ひでお[2]
1914-1998 昭和時代後期の微生物学者。
大正3年4月20日生まれ。昭和22年創設の国立予防衛生研究所にはいり,細菌部長をへて,
53年所長。55年長崎大学長。藤野恒三郎(つねさぶろう)らと腸炎ビブリオを発見。
インフルエンザワクチンの開発,集団接種などに力をそそいだ。平成10年12月19日死去。
84歳。愛媛県出身。東京帝大卒。著作に「社会の中の感染症」など。
[略歴][3]
1914年4月20日 愛媛県松山市湊町1丁目に生まれる
1934年3月 松山高等学校(旧制)卒業
1938年3月 東京帝国大学医学部医学科卒業
1938年4月 東京帝国大学附属伝染病研究所嘱託(小島三郎教授研究部)
1947年7月 国立予防衛生研究所勤務(厚生技官)
1952年10月 国立予防衛生研究所細菌部長に昇任
1963年12月~1969年12月 長崎大学教授併任、長崎大学風土病研究所長
1964年1月 朝日文化賞受賞
1965年~1989年 小島三郎記念会代表
1965年10月~1989年 日米医学協力委員会(外務省)委員、コレラ専門部会長
1969年11月 野口英世記念医学賞受賞
1977年8月 国立予防衛生研究所長に昇任
1980年4月 国立予防衛生研究所定年退官
1980年10月 長崎大学学長
1984年10月 長崎大学退任
1986年4月 勲二等旭日重光章受章
1993年6月~1998年12月 財団法人 黒住医学研究振興財団理事長
1998年12月19日 逝去(84歳)、従三位
---------(引用ここまで)----------
一見輝かしい経歴だが、よく見ると戦争中の経歴が抜けている。
実は戦争中は陸軍軍医学校防疫研究室に勤めていた。これは731部隊の別名である[4][5][6]。
彼のまわりには元731部隊関係者が多く、勤めていた長崎大は元731関係者の巣窟であった[1]。
731部隊リクルーター係の田宮猛雄や731部隊別働隊の栄1644部隊にいた北岡正見とも一緒に
研究をしている。
彼はCIA工作員でもあった。
2007年に機密解除されたCIAの資料には、731部隊長・石井四郎を始め、岸信介、笹川良一、
児玉誉士夫、正力松太郎といった超大物とともに彼の名前が並んでいる[7][8]。
彼もまた医学界の大物だったのだ。
人体実験の罪を無罪放免にしてもらったのだから、米国の犬になることを拒否できなかったのは
当然である。CIAはこういったスネに傷をもつ人間を脅して、無理やり工作員をやらせるのである。
福見の最大の犯罪は、戦後も人体実験を続けたことだ。
芝田進午氏が予研が起こした事件をまとめている[9]。
その中から彼の名前が挙がっているものを引用しよう。
---------(引用ここから)----------
予研=感染研の反公共的・反国民的所業についての年表 芝田進午・編
(以下抜粋)
51 福見秀雄(細菌第2部長)、国立第1病院等で乳児に致死性大腸菌の感染人体実験を行ない、
感染性ありと報告。
52 福見秀雄ら、名古屋市立乳児院での大腸菌の感染人体実験に関与
57 福見秀雄ら、厚生省に幼児・学童への有害無益のインフルエンザワクチン接種の
任意接種制度をつくらせる(学校で行わせたので、事実上の強制接種)
59-67 福見秀雄ら、自衛隊員への赤痢菌人体実験を指導
62 福見秀雄ら、予研関係者、厚生省に働きかけ幼児・学童への有害無益な
インフルエンザワクチン接種の強力勧奨制度をつくらせる
67 福見秀雄らが指導して自衛隊員に赤痢菌と赤痢予防薬(未承認薬)の人体実験、
隊員1089人のうち577人に急性食中毒被害
69 福見秀雄、香港インフルエンザワクチンを少年自衛官335人に人体実験と『防衛衛生』が発表
76 福見秀雄ら、厚生省に幼児・学童への有害無益のインフルエンザワクチン接種義務制度をつくらせる
82/6 高杉晋吾「731部隊 細菌戦の医師を追え」で予研の人体実験を告発 (予研、反論できず)
87/6 福見秀雄ら、報告書「インフルエンザ流行防止に関する研究」発表。
有害無益のインフルエンザワクチンへの批判に反論できず。「研究班」に業界代表を入れて、業界と癒着
94/7 吉原賢二(全国予防接種被害者の会会長、東北大学名誉教授、令息がインフルエンザワクチンで
重度障害者にさせられた)が予研を弾劾。
「[インフルエンザワクチンは]こんないい加減なワクチなのに、日本の役人は大先生の言うことだからと飛びつき、
製薬会社は金儲けの種がふえたといって喜び、国民モルモット化の状態でこのワクチンが推進されたのである。
‥‥私は個人攻撃をするつもりはないが、公人としても 福見氏の罪は重く、万死に値するほどと思っている。
‥‥とくに厚生省傘下の国立予防衛生研究所の研究者に困った人たちがいる。インフルエンザワクチンを
専門に研究しているかれらはワクチンに肩を持って被害を軽視するし、インフルエンザワクチンに対する
反対運動を危険だとまで言って来た。」
(吉原賢二「インフルエンザワクチン接種の政策が野たれ死にするまで」、全国予防接種被害者の会機関誌
『わかぎ』1、94年7月)
---------(引用ここまで)----------
ワクチン禍、人体実験事件には必ずといっていよいほど彼の名前が登場する。
人体実験の被験者は、言葉も話せない幼児や上官の命令には逆らえない若い自衛隊員などが多く、
弱い立場の人間をひんぱんに利用した。実に卑劣である。
効果のないワクチンの接種制度をつくらせたのも彼である。
人間をモルモット代わりに使い、効き目の怪しいワクチンをでっち上げ、製薬会社や政府と癒着・結託して
ボロもうけする。
効き目がないだけならまだしも、死者や深刻な副作用被害が出ているのだ。
それなのに一切責任を取らずに涼しい顔で出世していく。
現在の子宮頸がんワクチン被害と問題の根は全く同じである。
米国の影もちらつく。何しろ弱みを握られている立場である。
米国では倫理上とてもできない実験も、依頼されればそれは実質上"命令"であり、拒否できない。
薬禍問題を追及するジャーナリストの高杉晋吾氏が、乳児に致死性大腸菌の感染人体実験を
行なった件について、福見本人に体当たり取材をしている[10]。
-------(引用ここから)--------
厚生省施設が人体実験の中心
私の調査では、それらの実験は、昭和二十七年以来、東大伝染病研究所(現医科研)、
国立予防衛生研究所、東京第一病院、都立駒込病院、婦人共立育児会病院を動員して
行なわれた。
その中心的組織は国立予防衛生研究所の元所長(当時細菌第二部長)福見秀雄であった。
私が調査したかぎりでは、その人体実験は、①国立東京第一病院で健康な乳児四名
(一~四号)にβ型大腸菌を牛乳に混ぜて飲ませた。②三号と四号は下痢を起こした。
③四十二日後に再び同じ菌を飲ませた。これは免疫を調べるためで、この結果、
乳児の菌への抵抗力強化が確認された。④婦人共立育児会病院でも十人の健康児を
三群に分け、生きたα型菌を一群と二群に飲ませ、三群(四人)には熱湯で死んだ菌を
飲ませた。⑤一群の乳児二人に顔面蒼白、食欲のおとろえ、吐きけ、微熱、口のまわりの
おデキ、などができた。
私は国立予研に福見氏を訪ねた。彼の論文にα型、β型菌の致死率の高さが書いてあるのだ。
にもかかわらずそれを飲ませたのは?
「人体実験などと君の質問はピントが外とりゃせんか?」
福見氏の応答はノッケから高飛車であった。
「名古屋のことは知っているが予研ではやってないよ。病原性は疫学的に調べただけ。
動物実験もやっていない。人間と動物は違うからそんなものやっても意味がない」
----ほう、そうですか?私がうかがったかぎりでは、乳児にサルの大腸菌をのませたとか。
「サルの大腸菌?ますます知らんな!」
----そうですか?サルの大腸菌と赤痢菌ですね。それは異種族の大腸菌の腸内における
争いや生存の状態を調べるために飲ませたという話ですが。
「飲ませたんじゃなくて調べてたんじゃないですか?」
実は、私はこれらの事実をほかならぬ福見の論文から調べ上げていたのだ。ほかの誰から
情報を得たのでもない。ところが論文を書いた本人が「知らぬ」というのである。
国立第一病院で行なわれた実験では、健康な乳幼児八人が選び出され、生後五ヵ月から
七ヵ月の男女乳児四人がまずサルの大腸菌を飲まされた。一歳七ヵ月から二歳三ヵ月の
四人に対する人体実験はサルの大腸菌を最初に飲まされ、ついで赤痢菌が「侵襲した」
(偶然?)と報告している。都立駒込病院と東大伝染病研究所付属病院では一連の実験の
一環として成人の赤痢患者にサルの大腸菌を飲ませている。これは志願者になされた
(「日本医事新報」昭和二十七年三月二十九日一四五七号「α及びβ大腸菌の病原問題」)。
-------(引用ここまで)--------
自分の公表した論文の内容についても、平気で知らぬ存ぜぬとウソをつく、シラを切る。
このやりとりだけでも、彼の人格がよくわかる。
福見は1980年に予研を定年退官後、長崎大学学長に就任した。
凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の関係者が国立大学学長に就任とは悪夢のような話であるが、
事実である。
これが日本という国なのだ。
公益財団法人・黒住医学研究振興財団は、毎年、優秀な医学研究者に福見秀雄賞を授与している[11][12]。
受賞者は誇らしげだが、福見秀雄の経歴を知っているのだろうか。
福見が長崎大学学長に就任した年に、教え子の長瀧重信氏が長崎大医学部教授に、
のちに医学部長になっている。長瀧教授の教え子が山下俊一教授、その後輩が高村昇教授である。
山下教授が福島原発事故直後に、 「福島県は世界最大の実験場」と発言して大ひんしゅくを買ったが、
こういった人脈、歴史的経緯を見れば、どうしてそういう発言をするのか、よく理解できるだろう[13]。
私利私欲のため人間を断りもなく平気でモルモットにする人体実験の伝統は、福見が最高責任者として
在籍した国立感染研究所(旧予研)や長崎大学において、731部隊からしっかりと受け継がれているのである。
極悪非道を行なった人間を責任追及しない、断罪しないから、繰り返し犯罪が行なわれる。
悪が当たり前のようにはびこり、いつまでたっても世の中が良くならない。
これが日本の慢性的な疾患であり、死に至る病である。
福見秀雄と彼の教え子たちはその典型例と言えるだろう。
731部隊に巣食った悪魔は、戦後71年目の現在も、人を変え場所を変え、脈々と生き続けているのだ。
(関連情報)
[1] 「驚愕! ご用意学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く」 (拙稿 2014/5/16)
http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/205.html
[2] 「福見秀雄」 (コトバング)
https://kotobank.jp/word/%E7%A6%8F%E8%A6%8B%E7%A7%80%E9%9B%84-1104983
[3] 「福見秀雄先生について 略歴」 (黒住医学研究振興財団)
http://www.kmf.or.jp/person/about_fukumi.html
[4] 「731部隊に関与した医師・医学関係者 作成者:小俣和一郎」
https://web.archive.org/web/20150807215132/http://hirukawamura.web.fc2.com/731/731.htm
[5] 「731部隊関係者のその後および厚労省との関係」
https://web.archive.org/web/20150617040251/http://www5.ocn.ne.jp/~kmatsu/iryou/731butai/kitikunoshokugyou.htm
[6] 「731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一」
(真相究明・堀田伸永オフィシャルサイト 2012/1/21)
https://web.archive.org/web/20150522040758/http://kyumei.me/?p=807
[7] 「Records of the Central Intelligence Agency (Record Group 263)」 (National Archives)
http://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release-name-files.html
[8] 「日本の中のCIAエージェント3 ~お前もか!東久邇稔彦、五島慶太・・・」 (青島航 るいネット 2014/11/8)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=297625
[9] 「科学者として」 (新井秀雄・著 幻冬舎 2000)
[10] 「七三一部隊細菌戦の医師を追え - 今も続く恐怖の人体実験」 (高杉晋吾・著 徳間書店 1982)
[11] 「福見秀雄賞」 (黒住医学研究振興財団)
http://www.kmf.or.jp/activity/guideline/fukumi.html
[12] 「小島三郎記念技術賞・福見秀雄賞」 (同上)
http://www.kmf.or.jp/activity/ceremony/kojima_technology.html
[13] 「『福島県は世界最大の実験場』 『1ミリで支援』山下俊一氏 (OurPlanet-TV)」 (拙稿 2015/5/20)
http://www.asyura2.com/15/genpatu42/msg/836.html
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