>>14、多摩散人、まあ、君がこのスレでさらにその馬鹿を晒して恥の上塗りをするのは勝手だが、他人について嘘をつくのは許せんなあ。 「9条は悪法だが、誰も守ろうとなんて思っていないので、残しても実害はない。あなたも守ろうなんて言っていないよね。軍隊と呼びさえしなければ、軍隊を持ってもいいと言っている。」なんて、大嘘をつくなよ、低学歴低脳ニート右翼。 私は憲法とその9条の平和民主主義を守ろうと主張している。ここ阿修羅にもされは再三書いたことだし、君もそれを何回も読まされたはずだ(グーの音もでなくて反論できなかったじゃないか)。 例えば、直近のものではこれだ。 http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/668.html#c28 http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/668.html#c38 これらを読めば君が嘘をついていることは一目瞭然だが、読者のために、念のために以下にそのポイントを繰り返す。 憲法9条第2項はこうだ。 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 この平明な日本語が意味することは明白で、憲法は、「戦力」の保持を特定的に禁止しているのであって、日本国の「自衛権」一般を禁止しているわけではない。 「自衛権」とはあくまで自国を守る権利であって、その権利の態様は、当然武力行使に限られるわけではなく、外交活動、経済活動、対外援助、教育援助、文化交流、民間交流等々のあらゆる手段の行使を言う。憲法は、そのうちの「戦力」、即ち「自衛のための実力を超える、戦争を遂行するための武力」、の保持を禁止しているのであって、それ以外の自衛権の行使ないしはそのための実力の保持を禁止していない。したがって、平和日本の安全保障の主眼となるべき平和外交も、それによる東アジアの平和と繁栄の実現も、さらにそのような日本型平和主義の世界への拡散も、すべて自衛権の行使だ。 そもそも「戦力」に至らない「実力」の保持は憲法違反ではないのだから、当然そのような「実力」である警察も海上保安庁も当然憲法違反ではないし、現に日本国に存在する。 歴代自民党政府と内閣法制局も、このような憲法が禁止する「戦力」と憲法が禁止しない「実力」の区別を当然の前提として、「自衛隊は、規模編成とも自衛のための実力を超えるものでないから「戦力」にあたらない」、だから「「日本軍」ではなくて「自衛隊」であって憲法違反ではない」と説明してきた。 私は、平和民主主義者の一人として、そのような歴代自民党政府と内閣法制局のペテンには引っかからない。現在の自衛隊は明らかに「規模編成とも自衛のための実力を超えるもの」であるから当然「戦力」に該当し憲法違反であるし、特に、自衛隊がその発足当初から、極東米軍を補完するその「従属軍」として編成されその指揮命令系統に従属していることから、このような「従属軍」は米国の戦争に奉仕するものであって日本国の防衛にはまったくものの役に立たないと看破する。この見方の正しさは、最近の安倍内閣「戦争法案」による米国の戦争への自衛隊提供によって証明された。 そもそも、外国に遠征したり外国を攻撃したりするのでなく、日本の領海、領空、領土を実際的に適切かつ効率的に保全する実力とはあくまで警察力だ。そのために、軍隊のような奴隷的賦役による非民主的かつ非人道的な組織など必要としない。 だからこそ、私は、自衛隊を解体して、実際的に日本の領海、領空、領土を保全する具体性のある実力である警察力に再編成しなければならないと考える。そのような実力とは、具体的には、領海での侵犯や海賊行為を阻止し鎮圧する目的に適った船舶や航空機による沿岸警備隊(適切な火気を装備した大型の警備艇、警備艦とヘリコプターを運用する海上保安官)、日本の領空を侵犯行為から守るのに適切な航空機による防衛航空隊(軽量で実際的な防空戦闘機と日本沿岸での攻撃能力に優れた実際的な攻撃機を運用する航空保安官)、日本領土への侵犯やそこでの不法行為やテロ行為を鎮圧するための武装警察(重火器と武装車両祖装備した警察官)だ。 これが憲法第9条が要求することだ。 憲法9条は「軍隊と呼びさえしなければ、軍隊を持ってもいい」とは言っていない。だから、自衛隊は、「自衛隊」と呼ばれようとも、その実態は軍隊(米軍の従属軍)であって「戦力」にあたるから憲法違反だ。それに反して、警察力(沿岸警備隊、防衛航空隊、武装警察)は「実力」であっても「戦力」ではないから当然憲法違反にはならない。9条が「戦力を持たなければ、実力を持ってもいいんでしょう」と言っているのは君が理解する通りだ。 以上、私は単純に憲法9条をそのまま単純に守れと言っているに過ぎない。 低学歴低脳ニート売国右翼の多摩散人には、これでも理解できないだろうが(馬鹿につける薬はないし、馬鹿にわかる道理はない)、賢明な読者には憲法9条が命ずることを簡単にご理解いただけるものと思う。 憲法と9条の平和民主主義は思想だ。人類の心にいったん灯った平和民主主義の理想とその思想は決して死ぬことはない。 日本で右翼ファシズムが再び猛威を振るおうとそれはやがて再び破綻して自滅する。政治スペクタラム上で、新しい理想と思想を左翼と呼ぶのに対してそれに対する反動を右翼と呼ぶのが政治学の習いだ。だから、定義上、右翼思想(正しくは思想ではなく気分だが)に未来はない。それらは必ず劣化した左翼思想に取って変わられ消滅して行く。右翼思想を歴史的にみれば、共和主義と民族主義に敵対した19世紀の「王党派」はすでになく、それに取って代わった「劣化した民族主義」である20世紀前半の「国家主義」もすでにない。それに取って変わった「劣化した自由民主主義」である「新自由主義」は今まさに破綻して消滅しようとしている。いくら日本が政治的後進国であると言っても、21世紀に右翼ファシズムが生き残る余地はないのだ。 日本の右翼ファシズムが再び破綻して自滅するとき、その時こそ日本人が日本型国家主義という日本政治の宿痾を最終的に清算する時だ。 平和民主主義は死なない。平和民主主義こをが日本の未来だ。 憲法とその9条と平和民主主義万歳!
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