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東京電力福島第一原発がある福島県双葉郡には原発事故の前、五つの高校があった。在籍していた1500人の生徒は家族とともに全員が郡外に避難した。隣の市などにある高校の空き教室などを間借りして授業を再開したが、生徒数は激減。このため、郡内の広野町に新たに設立したのが「ふたば未来学園高校」だ。2019年度からは中学を併設し、中高一貫校となる予定だ。写真は、昨年4月に行われた入学式(撮影/岡本進)
原発事故から4年後、中3の決断 「ふたば未来学園高校」に入学した子どもたち〈dot.〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160327-00000000-sasahi-soci
dot. 3月27日(日)7時6分配信
原発事故により、原発のある福島県双葉郡の子どもたち約1万人が避難に追い込まれた。事故から5年。昨年、ふるさとに新しくできた、県立の「ふたば未来学園高校」に入学した子どもたちの決意とは? 小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』4月号に掲載された彼らの様子を紹介する。
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自分が通っている学校がある日突然、閉鎖され、同級生や友達が全国に散りぢりになってしまう。そんなことって、想像がつくかな。
東京電力福島第一原発の事故のときに、それが現実に起きたんだ。経験したのは、みんなと同年代の子どもたちだ。
福島第一原発がある双葉郡には原発事故の前、約6400人の小中学生がいた。その全員が家族と一緒に急いで避難し、最初は郡外の自治体の体育館などで寝泊まりした。ほとんどの大人も、避難したときは「1カ月ぐらいで自宅に戻れるだろう」と思っていた。だから、みんな自宅から持ってきたのは貴重品と着替えぐらいだった。自宅に当分、戻れないことがわかると、親戚や知り合いの家に泊まらせてもらった。でも、そこも長くはいられないから、その後、仮設住宅やアパートなどに移ったんだ。
昨年4月、福島県立ふたば未来学園高校に入学した152人は、原発事故が起きたとき、まだ小学5年生だった。「避難」といっても、1回引っ越しただけですんだ子はわずかで、5回も転校をした生徒もいる。
みんなの中でも、転校を経験した子は、新しい学校で心細くなったんじゃないかな。
今は野球部で活躍している男子生徒は私に、転校した中学校で「自分はよそ者」だからと気兼ねし、「昼休みに校庭で遊び回る地元の子たちを教室からいつも眺めていた」と話してくれた。
自分が生まれ育ったふるさとは、誰にとっても特別な場所だよね。ふたば未来学園高校に入学した子たちの多くは、だから戻ってきたんだ。原発事故の後、どこに避難していたかもわからなかった友達と、この学校の入学試験の日に、やっと会うことができて喜んだ子もたくさんいた。
生徒の半数は、学校から歩いて約10分の場所にある寮で暮らしている。原発事故から5年が過ぎても、まだ自宅に戻れない子が大勢いるからなんだ。
双葉郡には、八つの町と村がある。そのうち、ふたば未来学園高校がある広野町と、楢葉町は全域で住民が戻れるようになったけど、ほかの町村は放射線量が高い場所があったから、全域や一部に国の「避難指示」が出たままなんだ。「自宅にはまだ戻れないけど、思い出がいっぱい残っているふるさとに近い高校に、せめて通いたかった」と入学した子もいる。
学校には「社会起業部」という変わった部があるんだ。「住民があまり戻らない被災地をにぎやかにしていきたい」と、昨年の地元の夏祭りに綿あめの模擬店を出し、住民たちに喜ばれていた。
4月には、新しい1年生が入ってくる。生徒たちがどう成長していくのか、楽しみだね。
(岡本進・朝日新聞いわき支局長)
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