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炉心溶融基準、5年間「気づかず」 追及続けた新潟知事
http://www.asahi.com/articles/ASJ3R5G79J3RULFA01M.html
2016年3月26日16時29分 朝日新聞
東京電力は、原子炉の核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」の判定基準が、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに明記されていたのに、その存在に5年間気づかなかったと謝罪した。今になって判明した背景には、事故の原因究明に対する新潟県の取り組みがあった。
「東電が真摯(しんし)な対応をしているのか根本的に疑義を持たざるを得ない。真摯な対応を求めたい」
23日に開かれた技術委員会。炉心溶融の判断基準が示されたマニュアルの存在が明らかになり、座長の中島健・京都大教授が東電への不信感をあらわにした。
泉田氏は東電に繰り返し疑問をぶつけてきた。
1月5日に県庁であった東電の広瀬直己社長との恒例の会談。柏崎刈羽原発の安全対策を強調し、避難計画作りへの協力を申し出る広瀬社長に対し、「メルトダウンを隠されると避難ができない。避難計画以前の話だ」と突き放した。泉田氏は原発の再稼働の是非を問われると「事故の検証と総括が必要だ」と言う。公表の遅れや情報隠しは住民避難に直結するからだ。
東電への不信感を決定づけた出来事があった。福島事故からしばらくして、東電から受けた「メルトダウンはしていない」との説明だ。「燃料は溶けているはず」とただす泉田氏に対し、絵を描きながら、炉心溶融は否定したという。
技術委員会でも公表の範囲内でしか回答しない東電に対し、泉田氏は「質問に対して最小限答えるだけで、自ら調べて直そうという気概がまったくない」と批判。県は昨夏、不明点を細かく問う質問票をつくり、文書で回答を求めた。
東電は、事故当時の清水正孝社長ら約30人に追加の聞き取り調査をし、昨年11月に回答。納得を得ようと懸命な姿勢を示し始めた。そこでも炉心溶融について「定義されていなかった」と説明していた。そんな中で出てきたのが、今回の社内マニュアルだった。
※続き文字お越し
2月の県議会で、秋の知事選に立候補する意向を表明した泉田氏。道半ばの課題として原子力防災を真っ先に挙げ、原発問題へのこだわりをにじませた。
■東電は何度も「基準ない」
「分かるまで5年かかったという点は誠に申し訳なく思っている」
2月24日、東電は「炉心溶融」について、社内マニュアルに判定基準があったとして謝罪した。一方で、溶融の判断をしなかったことで事故収束が遅れたことはなかったとも強調した。
当時の「原子力災害対策マニュアル」には、「炉心損傷の割合が5%を超えていれば炉心溶融と判定する」との基準が明記。これに従えば、1、3号機は事故から3日後の3月14日、2号機は15日夕には判断し、公表できていた。
新潟県への対応のために社内資料を調べ、今年2月に「発見」されたという。2年前のマニュアル改訂時にも見抜けなかった。地元の会田洋・柏崎市長は「誰も(基準を)知らなかったとはにわかには信じがたい」と不信感を示した。
炉心溶融は事故当初から大きな関心事で、東電や政府の会見で何度も質問があった。東電のテレビ会議の記録でも、幹部らが当初から溶融の可能性を認識していたことが分かっている。
だが、東電は事故から2カ月後の5月に解析結果を踏まえて炉心溶融したと認めるまで、核燃料が傷つく状態を意味する「炉心損傷」で通した。公表の遅れは「定義が定まっていない」などと当時も同じ説明を繰り返していた。
なぜ5年間だれも気づかなかったのか。東電が設けた第三者検証委員会は、解明に向けた調査を始めた。
国会事故調査委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大客員教授は「(判定基準が)今ごろ出てきたのかとあきれている。そんなことも知らなかったのは東電に緊張感が無かったということだ。過酷事故は起こらないと考えていたのだから当然だろう」と話す。(松浦祐子、西川迅、大津智義)
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