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くどく書いてきたように、宇宙の中で銀河がひしめく中で、我が銀河系は米袋の中の一粒の米ですらない存在である。
その銀河系の中で、我が太陽系も鳥取砂丘の一粒の砂ですらない存在である。
その太陽系の中で、我が地球はマラソンのスタート地点で百メートル位後ろからスタートするような存在感である。
そして、我々人類は地球の背中を引っ掻いて生きているようなもので、宇宙創造の神がいたとしても、銀河系にすら無関心というのが正解で、ましてや神が我々を見てくれているというのは妄想である。
宇宙人も同じで、仮にいたとしても、銀河系にすら関心はなく、銀河系の中や太陽系の中にいたとしても、家庭訪問は最後から二番目がせいぜいで、人類は自意識過剰である。
そんな我々が死後どうなるかなど、神も太陽も地球も知ったこっちゃなく、私も父が自分の右肩にいると信じたいが、成分は地球に溶け込み、魂とやらは宇宙に溶け込むだけで、遺伝子的に考えたいところであるが無印良品と同じである。
科学にしても、哲学にしても、宗教にしても、比較的いい線をいっている仏教を含めて、ミーイズムが強すぎである。
その原因は、連中が学校やダマスゴミや学会を牛耳り、人間中心主義ひいては偽ユダヤ至上主義を我々に刷り込んできたからで、傲慢もいいところである。
何を言いたいかというと、エキストラのエキストラらしく卑屈に生きようぜということではなく、少しは宇宙の摂理に合った生き方をしようぜということで、原始人みたいなベジタリアンみたいな生き方をしようということでもなく、自分の心の中に宇宙があるとか釈迦みたいな意味でもなく、宇宙全体の中で、いわゆる自然と調和して生きていくのが幸せというもので、それ以外に人数の数だけ人生の目的などないと言いたい訳で、武士道が主君を宇宙かせめて銀河系に置き換えれば仏教より上である。
その意味で、宇宙の家臣である我々の本懐は偽ユダヤの謀反を鎮圧することである。
因みに、私も含めて、我々が人生の目的だと勘違いしているものは、ただの生活方針で、されどだがたかがの類いである。
だから、ちょっと生活方針が狂った位でへこたれたり電車に飛び込んだりしては駄目で、それこそ、心の中ではなく、心の上に無限大の宇宙が広がっていることを忘れぬことである。
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