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タナトスはオスマン・トルコ帝国の再興を目指している
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投稿者 れめく 日時 2016 年 11 月 23 日 10:07:36: 2a13jxQagsSNg guqC34Kt
 

ユーゴスラビア紛争、アラブの春、チェチェン紛争、ウイグル騒乱はみなつながっている。ウイグル以外、すべてはオスマン・トルコ帝国領内で起きていることにお気づきだろうか?つまり、基本的にすべてはハナフィー派の仕業である。ハナフィー派は、チャガタイ汗国の時代に大宛のウイグル人に簒奪された。ウイグル人の名も大宛に簒奪された物だが。大宛とは誰か?BC2世紀頃、ローマ共和国がバルカン半島を席巻すると、スラブ人、イリュリア人、ダルダニア人がタリム盆地に逃げました。この時にダルダニア人はディオニュソスを由来に大宛(ダーユアン)を築いた。つまり、大宛とはタナトスの国である。

AD6世紀頃、世界中のタナトスが集合した大宛では、仏教を用いてアジアを侵略することが計画された。その後、日本人の精神を植民地化すべく、最澄、空海、円仁、円珍、道元、法然、親鸞などが大宛から順次、日本に送り込まれた。しかしAD8世紀頃に大宛が滅ぶと、大宛人はウイグル人の名を簒奪した。しかしAD9世紀頃にウイグル汗国が滅ぶと、次にウイグル人はカラハン朝を築いた。更に、カラハン朝がチャガタイ・ハン国に飲み込まれると、ウイグル人はチャガタイ・ハン国で信奉されていたイスラム教の一派、ハナフィー派を簒奪した。
その後、チャガタイ・ハン国が滅ぶと、中央アジアを発ったウイグル人はペルシアを通過してエジプトの地を踏み、マムルーク朝の王位を簒奪し、ブルジー・マムルーク朝を開いた。ブルジーの名はペルシア通過の証拠である。ところが、マムルーク朝がオスマン・トルコ帝国のエジプト侵攻によって滅ぶと、ウイグル人は次にオスマン・トルコ帝国にとりついて侵略した先々に拠点を得た。オスマン・トルコ帝国の拡大に伴って各地でハナフィー派の信者を大量に得たウイグル人は、オットマン家と対等の発言力を得るまでに至った。こうしてウイグル人は、バルカン半島、北アフリカ、エジプト、クリミア、トルコ、アラビア半島などを掌握した。

その後、バルカン半島が独立の気運を見せると、ハンガリー・ウイグル人が清の治世下にあった新彊ウイグルに帰還してヤクブ・ベクとなり、故地を取り戻すために反乱を指揮した。一方、アルバニア・ウイグル人のムハンマド・アリーはマムルーク朝時代を再興せんと、オスマン・トルコ帝国からエジプトを奪いとった。しかし、ヤクブ・ベクが清に敗北すると、彼らはエジプトに帰還してムスリム同胞団を築いた。ムスリム同胞団の創始者アル=バンナの名はパンノニアに由来する。また、1950年代にイタリアに亡命したアリー王家は、1970年代になってからエジプトに帰還してジハード団を築いた。ジハード団の創始者ラーマンの名の由来はローマンである。つまり、彼はイタリアから帰還したアリー王家の系譜に属することを示している。

一方、オスマン・トルコ帝国が第1次世界大戦に敗北すると、トルコ・ウイグル人は新疆ウイグルに帰還して東トルキスタン共和国を築く。しかし、中華人民共和国が誕生すると、東トルキスタン共和国の残党の一部はロシア・コーカサスに侵入し、一部はトルコに帰還した。その後、ロシア・コーカサス地方に侵入した一派からはドゥダエフが輩出され、チェチェン・イチケリア共和国が築かれた。また、トルコに帰還した東トルキスタン共和国の残党は東トルキスタン会議をイスタンブールにて興した。また、同時期にオーストリア・ウイグル人が「世界ウイグル会議」を築いている。その後、東トルキスタン共和国の残党がチェチェン紛争で敗北すると、彼らは福音派の助力を得るべく、アメリカに逃亡して「東トルキスタン亡命政府」を築いている。

また、アラブ・ウイグル人のラビア・カーディルは中国に反逆した。ラビアの名はアラビアが由来であり、カーディルの名はカタールに由来している。ユーゴスラビアではアルバニア・ウイグル人がタナトスの軍隊NATOを味方につけてロシアとセルビア人に対して蜂起した。コソボ解放軍はISISの前身である。NATOは、コソボ解放軍を攻撃するフリをして真の敵(セルビア人、ロシア人)を攻撃して「敵」の軽減を謀り、コソボ解放軍を援助した。これは現在、ISISとアメリカ軍がイラク・シリアでやっていることと同じである。ISISはアメリカに逃げたチェチェン・イチケリアの残党(東トルキスタン亡命政府)やコソボ解放軍の連合体だ。
東トルキスタン亡命政府の中心人物は、トルキスタニ、トラニ、エズイズという人物である。トルキスタニの名はトルキスタン、トラニはトランシルヴァニア、エズイズはイシスに由来している。つまり、トラニはトランシルヴァニア・ウイグル人、エズイズはエジプト・ウイグル人ということになる。このエズイズがアメリカ軍の援助を受けてイラクに侵入し、コソボ解放軍と連合してISISを築いたと考えられる。ISIS勃興当時、俺が「ISISの名の由来はイシスだ」とネットにあげたところ、次の日から日本のメディアは一斉にISISの名を使用することをやめ、ISに名を変えていた。

アラブの春も、チュニジア・ウイグル人、リビア・ウイグル人、アラブ・ウイグル人が当時の各々の政権に対して蜂起したものだ。目的はオスマン・トルコ帝国の再興である。つまり、アラブの春は、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、ウクライナ騒乱、ウイグル騒乱と連動しているのだ。悪の元凶は「大宛」である。上記の通り、大宛からは真言宗の空海、天台宗の最澄、円仁、円珍、浄土宗の法然、曹洞宗の道元、浄土真宗の親鸞がやってきている。日本の仏教は有害だ。インドで悪魔とされている夜叉(ヤクシャ)、羅刹(ラクシャサ)、毘沙門天(クベーラ)、弥勒菩薩を神と崇めているからだ。BC1200年代、ヒクソスの子孫である中国・能登族、出雲・能登族、イスラエル・ダナーン人、アラスカ・ダナーン人は、科学の種族である善神デーヴァ族が治めるインダス流域に集合して、太祖ヒクソスの名を由来にヤクシャを称した。ヒクソス=イクシャス=ヤクシャとなる。タナトスは、このインダスの時代から善神デーヴァ族(宇宙人)に目をつけられている。

 

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コメント
 
1. 2016年11月25日 02:03:48 : q931E3NW4E : Xao0gDyXwoc[386]
アイシス(ISIS)は女神イシスの力を貶める行為でもあったということかな?

イシスの力が弱まったのはそこからだからね。

オスマントルコから派生したハザリアの建国もユダヤを中心としてまとまりを見せた。いわばそこにキリスト教とイスラムが手を組んだ。和平に向けた新しい思想によるはじまりだったと考える。

ユダヤに改心したとするものは誰でも入り込めた。

上記イシス同様、そこにはその和平国家ハザールの思想、そしてユダヤの名を貶めようと画策したものがいたということだと私は考えている。

そして円仁は天台一派の僧。
本質的に霊的な世界に起こることを人類に必要なドラマ性としてみたとき、空海と最澄はある意味では、同じ霊的背景を背負っているともいえるけど、本質的には寄り添わないんであって、それぞれ人間の直感的理解と、片や理知性による劣等感による人格的対立と見ることができる。
人類史にとって不要なことは一切おきていない。さまざまな価値観によってさまざまな捉え方はできるはずだが、つまりわれわれにとって意味のあるものと捉えることが賢明だと考える。

円仁は空海の開山した地域をのちに彼ら天台派の山として後からつぶして歩いたと見ている。つまり何かしらそこにあった本質を覆い隠すようにして塗りつぶしていったのが円仁の旅路だ。それが単純に敵対関係によるものかはわからない。

けれども、現時点で天台宗の坊主どもが街の利権でのさばるようになっている。だから一緒にしたらいかんというのが私の心中にある。


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