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西洋の枢軸国が産業革命と共に進めてきた植民地政策の反動は、イデオロギーや宗教の対立をないまぜにしながら、様々な革命の推移を経て、遂には第一次世界大戦によって、世界を混迷の淵へと誘い込むことになった。
元々、万世一系の天皇家を祭り上げることで日本統治の是非を問うてきた日本の政治家(この場合は武家)は、明治の文明開化と共にイデオロギーという概念を知ることになった。
それ以前、まだ沖縄が琉球国と呼ばれた時代、中国の影響を色濃く受けたその文化は、日本からは外国とみられていた。琉球王朝は時代により中国と日本の双方から虐げられてきたとは、間違った歴史認識で、寧ろ地政学的に琉球は生き残りのために日本に組み入れられる道を選んだというのが正解だろう。
その日本も、列強に比肩できる国造りを目指して、中国や韓国に侵攻していった。それは悲しい歴史ではあるが、当時の軍国主義を止めることは出来なかったのも歴史の事実だ。東南アジアを経由した日本のエネルギー政策に待ったをかけたアメリカに宣戦布告することで、欧州で台頭してきたファシズムと与して、遂には第二次世界大戦へと雪崩を打っていくことになる。
で、現在に至るのだが、マルクスやレーニンの資本論に基づく社会主義国家樹立は、僅か100年ももたないでソ連邦崩壊という形で幕を閉じた。
フランスのトマス・ピケッティの『21世紀の資本(論)』を新たな資本論と読み取るのは、この本を読んでいない人の意見で、彼は世界の資本の動向過程(富の移動と変遷)を実に200年に渉って紐解いたに過ぎず、残念ながらこの本を有難がっているのはアメリカと日本の経済学を勉強していない人たちである。マクロ経済学の専門家は、誰もこの本を珍重してはいない。「大変な作業をご苦労様です」という程度のものだ。トマス・ピケッティ自身はフランス社会主義の影響を大きく受けているので、ようは、今後も資本主義が進めばますます格差が広がりますよ、と警告を発するためにこの本を著したのだ。
話を戻そう。
共産主義のバイブルである『資本論』自体は、国家における諸国民の富の形成過程において、労働力の対価は資本家も労働者も平等でなければならず、それがつまり国家全体の富の拡大に向かい、労働賃金を全ての資本家と労働者が等価で分配することで、貧困が無くなるとした。資本家はそれ自体が富の形成を独占してはならないというものだ。これはユダヤ人が民族間で富の分配を行うこととは、根本が違う。ユダヤ人には民族で結束する意識はあっても、国家という概念が無い。
もともと、資本論に驚喜した旧ソ連は、ロシアの貴族から市民が搾取されていたという歴史があるので、「労働者を解放する」という謳い文句が受け入れられたに過ぎない。
共産主義は資本家と労働者の対立構造が無くなったかわりに、国家と国民の対立を生み出すことになる。国家が全ての国民の生活を保証できる筈もなく、結局は国の側(官僚や役人)が特権階級となり、国民の生活は一向に上向かないという現実を生み出しただけだった。これは現在の中国を見れば、誠によく分かる。
中国は多数の民族が覇権を争っていた時代を経て、皇帝が国を支配することで一応の落ち着きを見せたかに思えたが、結局は生活の格差に不満を持つ民衆が蜂起して中国共産党が出来上がった。
同じアジアにあって、軍国主義の台頭で戦争に引きずり込まれ、多数の若者が犠牲になった日本において、隣国の中国で台頭してきた共産主義は当時の日本の若者には新鮮でバラ色の未来に見えたのだろう。その成れの果てが鳥越某であり、池袋の嘘つきコシミズである。資本家に対する民衆の蜂起なくして、国民の真の安寧は得られないという幻想に過ぎない。彼らには、今一度、世界史を学んでほしい。イデオロギーの旗印がどれほど多くの犠牲を生み出したかを知って欲しい。
ソ連が崩壊し、世界から大戦が無くなり、現在は国家の形成とイデオロギーの醸成は関係がないと証明された。言い換えると、国家と個人の関わりが問われた時代から、文化や文明は経済がグローバル化するのと並行して世界と個人の主義主張の時代に遷移しつつある。その抵抗の際たるものは、民族主義だ。だから中東各国で内戦が続くのだ。だからダーイッシュやクルド人は、自らの自治を求めて争うのである。そこに西欧の大国が軍事介入することには、とてつもない無責任さが伴う。だが一方で資本の移動に国境線が無くなった今、途上国の内戦や貧困で苦しむ人々の国家の安定と引き換えに資源を求めた争いが引き起こされるのもまた事実だ。
話を戻すと、リベラルと自らを呼称している筈の政党やコシミズのようなバカは、共産主義や社会主義がこの日本ではその存在自体が成り立たなくなった現在において、自己矛盾に至っている。「戦争反対!!」とどこかの宗教団体のように叫び続けたSEALDsのような団体も、結局は日本が直面している危機に対して抗する術も説得力も持ち合わせていない。安全保障問題が、何故これだけ長きに渉って論じられているかを知らないから、この平和で豊かな日本には住みたいがこの国の国防には一切興味が無くて、戦争だけはいやと、子供のような言い回しである。これは民進党も同じだ。批判のための批判に過ぎない。論点に一貫性が無いのだ。民衆の格差云々と言いながら、自分はこの自由で豊かな日本の富を甘受しているという矛盾である。
政治家のリベラルはまだ、政策論争を行ったり、ある程度の歴史認識の上に立ってなんとか持論を構築しようとしているが、コシミズのようなアホは「ユダヤの陰謀ガー!!!」の一点張りである。要するにバカなのだ。その尻馬に乗っているのは、何回も何回も書いているが自己責任のカケラも無い無学なニートや中高生だけである。或いは社会的に個人では影響力を持たない人々であろう。
自分では何も努力しないくせに、他人の批判は一人前という人々ばかりである。「二番じゃダメっすか?」と言いながら一番になりたがったどこかのサヨク党首と同じである。自らの問題には一切説明責任を果たそうとしない。
コシミズの手下となってネット検索しまくるのもいいが、まずはその時間を世界の賢哲が著した本を読む時間に充てろと言いたい。確かにコシミズのアホが言うような夢物語が現実にあるとすれば、それはそれでスパイ小説程度の面白みがあるかも知れないが、歴史的な事実はそれとは全く異なる。もっとドロドロした血なまぐさいものなのだ。
妄想で出来上がった初老ニートに人生を左右されないよう注意喚起しておく。
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