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アステカ帝国は世界各地から来た移民が築いた複雑な構造を持った移民帝国だ。「アステカ族」の正体はアストラハンから来たアストラハンタタールである。中央アジアでは人をキ(或いはクやコ)であらわす。つまり、アストラハンタタールはアストキを称していたため、アステカと呼ばれた。彼らについてきたのが「メシコ族」になったムシュキ族である。もともとフリギアにいた彼らはマスカットヤモスクワの名の由来にもなっているがアステカに来てメキシコ(メシコ)の由来にもなった。
ここに日本から来た「ウァシュテペック族」が加わる。ウァシュテペックの直接の祖は他田氏(おさだ)である。おさだ+ベキ=ウァシュテペックとなる。他田氏の祖を遡ると、沖永良部島(アラブが由来)の朝戸氏、シリアのアサド家、ヨーロッパのオースターに行き着く。オースターの名の由来は「多の土地」である。アステカ族、メシカ族、ウァシュテペック族がアステカの王族を成した。だが、アステカには、人食い人種タナトスの系統も世界中から集合していた。
日本からはアテルイ、そして大谷、インドからは殺人集団タギー、ボルネオからは首狩り族ダヤク、イギリスからはダンスターが来た。アテルイは古代東北地方を支配した蝦夷の首領として知られているが、もともとはフン族を指揮したアッティラの子孫で、そのアッティラの祖もアメリカから来ている。彼らは、ポーニー族の村で太陽神アティラとティラウを祀って人身御供を開催していた。討伐されたアテルイはメキシコに落ち延びてティラウとモレクを組み合わせた稲妻の神トラロックを祀った。
大宛から来た大谷は、アテルイの系統とは兄弟にあたる。彼らの祖は元を辿ればカルタゴでモレクを祀って大量の幼児を焼き殺し、カルタゴが滅亡するとガリアに移ってドルイド教を簒奪し、大勢の童貞や処女を集めて人型をした木製の檻に閉じ込めて焼き殺した「ウィッカーマン」という人身御供の儀式を指揮した。
親鸞は死んだフリをしてメキシコに渡り、太陽神トナテウ(タナトス由来)を祀り、トラロックと連合した。だが、トラロックは逆に日本に帰還し、度会氏(アテルイが由来)となって伊勢神宮を支配下においた。度会氏は後に神社本庁を設立し、日本の仏教界を統べる東本願寺の大谷(アステカ帰り)と組んで日本会議を設立した。
大谷は、日本語由来の神を多く作った。ウエウエコヨトル(上上、子を獲る)、エエカトル(ええか、獲る)、オメテオトル(お前手を獲る)、コアトリクエ(子は獲り喰え)、ショロトル(少量獲る)、センテオトル(千、手を獲る)、チコメコアトル(しこめ、子は獲る)、トラソルテオトル(虎、空、手を獲る)、ウエウエテオトル(上上、手を獲る)、マクイルショチトル(膜、処置、手を獲る)、メツトリ(3つ獲る)、テペヨロトル(てっぺん、夜獲る)などである。
ダンスターは、亀慈人(クチャ)、河伯教団、ナフタリ族、加賀氏と共にテオティワカンを建設した田氏の後裔である。亀慈人はナフタリ族と組んでケツァルコアトル(クチャ+フタリ)を祀り、加賀氏はククルカン(「蛇を拝む」を意味する古代日本語カガウガンが由来)を祀った。黄河で処女を生贄にしていた河伯教団はテオティワカンに人身御供を導入した。その後、ククルカンと河伯教団はマヤに移り、クチャ人(ケツァル)はインカに移ってケチュア族となり、ナフタリ族(コアトル)とククルカンは朝鮮半島に渡り、百済(クダラ)と高句麗(ゴグリョ)を建設した。
そんな中、田氏はテオティワカンからイギリスにやって来た。しかし、彼らはヴァイキング時代を機にメキシコに渡った。彼らはドクター(テクトリ)を由来にした人喰いの神を何体も祀った。ウイツィロポチトリ(wiz lop charter/瞬時に切り裂く魔神)、テスカトリポカ(death cater boggy/死を要求する鬼神)、トラウイスカルパンテクートリ(till we skull pain doctor)、パテカトル(pay doctor)、などである。
また、彼らはお互いが連合して神を作ることもあった。イツパパロトル(eats people獲る)、イラマテクートリ(いらまあdoctor)、チャルチウイトリクエ(church 上、獲り喰え)、テクシステカトル(タギー、死す、doctor)、トナカテクトリ(田中、doctor)、シウテクトリ(死をdoctor)、ミクトランシワトル(マガダランド/インド、死は獲る)、ミクトランテクートリ(マガダランド/インド、doctor)などである。
トナカテクトリの田中の由来は大谷人(オオタニキ)である。田中の由来は他にマケドニア人(マケドニキ)もある。アステカが滅亡すると、彼らは四散するが、大谷はダンスターと共に日本に帰還する。ダンスターはテクトリを由来に高田(高田はダコタ由来が多い)、徳田を称した。トナカテクトリは田中を称し、その後裔から田中智学が出て「国柱会」を設立して日本会議に参加している。
高田は浄土真宗高田派を形成し、徳田は徳洲会を設立した。また、アステカの人身御供の残党はウクライナにも大量に帰還したが、大量殺人鬼アンドレイ・チカチロを輩出している。チカチロの名はテクトリが由来である。
日本に帰還した大谷は静岡県磐田市に上陸し、見付と命名した土地に見付天神を設けて人身御供を開催した。見付の由来はメシコである。熊本の益城町も同様だ。アステカのピラミッドを念頭に人身御供の神社は小高い小山の上に築かれた。長い階段がある神社はすべて、大谷がアステカで人身御供を行っていたピラミッドの再現である。
日本の武将のような勇敢で強い英雄はアステカには存在しなかったので大谷は人身御供を隠すことはしなかった。しかし、日本には正義の英雄が多くいた。なので、常世の神や河伯教団のように皆殺しにされるのを恐れた大谷は隠れて人身御供を存続した。やがて、アステカ帰りの大谷は、一向一揆の指揮で忙しい兄弟、本願寺に接近して自身の血統を打ち立てるが、日本残留の大谷とアステカ帰りの大谷がもめて分裂した。それが西本願寺と東本願寺である。
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