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「魔女狩り」を指揮したドミニコ会と「生類憐みの令」を指揮した新義真言宗は、財神クベーラと魔王ラーヴァナの子孫である。ラーマ王子に敗北した魔王の一族はイスラエルに移ってダン族となる。ダン族はイスラエル王国が滅ぶと、古代アナトリアに渡って残酷な「キュベレーの密儀」を興した。キュベレーの名の由来はクベーラである。彼らは、後にシリアに移って「アタルガティス教」を創始した。どちらもガロイを使役する。
アタルガティス教はフランス革命の前身といえるシチリア奴隷戦争を引き起こしたが、これが失敗すると、彼らは大宛に移る。そして、大宛が滅ぶとそこから2手に分かれてそれぞれが東西に移住した。スペインに移住したのがドミニコ会(大宛人=ダーユァニキが由来)であり、日本・比叡山に移住したのが日吉神社・山王信仰を持ち込んだ円珍である(円珍の名は大宛が由来)。円珍の系統からは後に覚鑁が出て、高野山に移り、真言宗(弥勒崇拝=魔神モレク)と対立して新義真言宗を創始することとなる。
そして、比叡山が信長の焼き討ちにあうと、日吉神社・山王信仰の人々はアメリカに逃れてKKKを結成する。日吉神社、山王信仰、猿神、そして由来が謎とされるKKKの名の由来は全て魔王ラーヴァナの時代に求めることができる。
■AD1307年 『ドミニコ会士ベルナール・ギーがトゥルーズ地方の異端審問官として就任 「アルビ派壊滅」』
「異端審問の実務」を著し、異端者の逮捕から判決に至るまでの裁判手続きの範例を示した。ある時、「トゥールーズ地方で行われている残虐な拷問は殺人に等しい」という非難に耳を傾けた法王が拷問を制限する規定を制定した。だが。ギーはすぐに反応し、これに強く抗議した。「異端審問の能率を脅かすものだ」として規定の改定を迫ったのだ。彼のこの言葉を訳すと「殺したい善人がたくさんいるのに邪魔するな」となる。またある時、異端を裁くのに「正規の裁判手続きを遵守していては間に合わない」とも言明している。彼のこの言葉を訳すと「殺すのが目的なんだから裁判の芝居なんか邪魔くさいよな」となる。
更に、ギーはこんな呼びかけをしている。「神の息子たちよ。心を引き締めよ。キリストの兵士たちよ。十字架の敵、カトリック信仰の真理と純潔を腐敗させる者どもに向かって我とともに立ち上がれ。身を隠して暗がりを歩く彼らを追跡し、見つけ次第に捕らえることを神の名に於いて君らに命ずる。彼らを捕らえてつきだす者には神の永遠を与え、相応の報酬を支払うことをここに約束する。牧羊者よ、君たちの子羊を狼どもが奪い去らないように警戒せよ。忠実な熱狂者たちよ。信仰の敵どもが逃げ去ることがないように勇敢に戦え」。
これを訳すと「殺人者の集団よ、心を引き締めよ。山賊の集団よ、泥棒の敵、タナトスの征服欲と復讐心を非難する者どもに向かって我と共に立ち上がれ。弱者を正しく導いて崇敬されている彼らを追跡し、見つけ次第に捕らえることをタナトスの名に於いて君らに命ずる。知性・英雄を捕らえてつきだす者にはえへん、ええと何だっけな。ゴホン。牧羊者よ、君たちの獲物を知性・英雄が奪い去らないように警戒せよ。忠実な犯罪者達よ。泥棒の敵どもが逃げ去ることがないように、殺しまくれ」となる。さすがにタナトスの末裔だけあり、非常に恐ろしい男だ。
■AD1582年 『ドミニコ会士セバスチャン・ミカエリスの判決文』
フランスの異端審問官セバスチャン・ミカエリスの判決文の冒頭には「われわれは被告がこの法廷に起訴された訴因を考究し、彼らの供述と自白を証人らの証言と証拠によって審査し判断した結果、被告は万物の創造主である三位一体の神を否定し人類の敵である悪魔を礼拝したということに意見の一致を見た。被告は悪魔に身をゆだね、神聖な洗礼を拒否した。悪魔は被告に新しく洗礼を施した」と記されている。
これを訳すと「悪魔なんかいるわけないし、魔女もいないことは承知している。ついでに言えば、我々はキリスト教に帰依していながらキリストのことも信じていない。我々はひと芝居打っているわけだ。どちらかといえば、我々の方が悪だということも承知している。しかし、我らの敵(善人)を殺すには、我々は正義でなければならない。そして敵(善人)は悪(魔女)でなければならない。悪(魔女)を殺せば人殺しではなく、正義の味方と呼ばれるからだ。実際には魔女狩りを、善人狩りと呼ばなければなるまい。だが、悪を憎悪する正義が存在する限りそれは不可能だ。つまり、我々は第三者の目を意識して仕事をしている。我々は、我々の仕事(詐欺、陰謀、泥棒、殺人、喰人)の邪魔をする善人を排除したいだけだ。芝居で良いのだ。金を取られても喜ぶことができれば、我々がどんなウソをついても信じることが出来れば、殺されずに済んだものを…」となる。
■AD1687年 『新義真言宗の僧侶が日本版「魔女狩り」の実施を徳川綱吉に進言する 「生類憐みの令」』
「魔女狩り」を指揮したドミニコ会と「生類憐みの令」を指揮した新義真言宗は兄弟であるため、魔女狩りと生類憐みの令の骨子が酷似していることがわかる。ドミニコ会は魔女はいないことを知っていた。つまり、魔女を狩ることが目的ではなかった。同様に、生類憐みの令は動物愛護が目的ではない。敵を殺すのが目的であった。悪(タナトス)の敵とは善人である。金を盗ると善人は怒る。しかも他人から盗っても善人は横から首を突っ込んできて怒る。許せない。そこで、常々、悪は善人を殺したい、日本から撲滅させたいと考えていた。
だが、普通に善人を殺せば人殺しになってしまう。人殺しは処罰されなければならない。しかし、人殺しでなければ処罰されることはない。人を殺して喜ばれるのは悪人を殺した時である。悪人を殺せば正義の味方となるのだ。ということは、善人が悪であれば善人の殺害も可能となる。しかし、善人は待っていてもなかなか悪に手を染めない。そこで新義真言宗は考えた。善人でもすること(畑を荒らす猿、猪、鹿、人を咬む野良犬など害獣を殺すこと)を禁止事項に設定した法律を定めれば、一瞬で善人を悪に変えることが出来る。それが「生類憐れみの令」の正体である。生類憐みの令は、善人を悪人に変換する装置であった。現代人は、よく生類憐みの令を引っ張り出しては無能な政策だとバカにする。だが、その実態は人権を軽視した非常に恐ろしいものだった。善を蹂躙し、高貴な精神を踏みにじり、悪を正当化するのだ。
善人が確実に悪に手を染める(動物を傷つける)ように新義真言宗だけでなく、浄土真宗・曹洞宗の信者も自腹でタナトスの教団連合に手を貸した。例として、いち信者が標的の前に犬を放ち「泥棒犬だ!捕まえてくれ!」と呼びかける。すると善人は犬を捕まえる。しかし、そこに憤懣やる方ない飼い主が出現して、善人を捕まえ「ウチの犬を捕まえて殺そうとした」とお上に陳情する(2人の人物は信者であり、敵を殺すために一芝居打つのだ)。すると生類憐みの令が起動し、捕縛された善人は有罪を受けるために出廷し、そのまま打ち首になる。この時、殺人は起きていない。犬を殺そうとした悪人が処罰されただけのことである(タナトスの教団は当時から日本国のインフラを完全支配しているため、信者がどんな下手な芝居を打っても、どんなに辻褄が合わないウソをついても、それは「真実」でしかない)。こうして、この時期に多くの善人が殺され、日本の善人人口は著しく激減した。
■AD18??年 『山王信仰の集団がアメリカ合衆国に上陸する 「K・K・K(クー・クラックス・クラン)誕生」』
太平洋を渡って19世紀初頭のアメリカ合衆国に上陸した日吉神社の集団はアメリカ人と混合し、白人の顔を得た上で1865年に悪名高い秘密結社を結成した。それがクー・クラックス・クランである。K・K・Kの「K」は日本語の「刑」を意味する。つまり「3刑」である。さて、謎だらけの名前、クー・クラックス・クランであるが、この名は「K」を抜くと由来の理解が容易になる。Kを抜くとU、LUX、LANとなるが、Uはヴェーダ、LUXはラクシャサ(羅刹)、LANはランカーを意味していることがわかる。ということで、ここでも「ラーマーヤナ」が引き合いに出されている。つまり、K・K・Kの正体は、比叡山で「山王信仰」を説き、「猿神」を用いて生贄を欲した「日吉神社」の集団である。
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