三宅氏が毒饅頭を食った事がはっきりするまで?また頓珍漢などうしようもない記事ですねぇ。全く呆れます。 擁護の立場、何々の筈です、小沢を裏切って、どちらかを選択するのではないか 何を言ってるの?笑 本当に当人の訴えを聞いていたのかな? 人はどうして知りもしない赤の他人の事をどうして、自らの脳内で勝手に判断しようとするのでしょう。 そんな事分かるわけないのだから、暫くは当人の訴えを良く聞き、そしてその行動を暫くは見守るしかないでしょうに。何故そう早急に他人に対して何らかの審判を下す事を急ぐのでしょう。 おれおれ詐欺が未だに無くならないのが不思議ですが、確かにあり得るとは思いますね。この劣化ぶりは尋常じゃない。 この件に関しては有名プロガーや著名な論客でさえ、その反応とコメント内容の劣化振りが顕著に表れており、もはや苦笑いするしかないという状況です。 毎度同じ事の繰り返しの状況を打開する為に三宅氏なりに考えて立候補して、その訴えを彼なりの考えで実践しているのではないの? 過去の積み重ねから現在に至っているのであり、三宅氏を筆頭に権力者に対して力技では勝てない事を若者達は良く理解しているのですよ。これは物事を平和的に解決の方向へ導くという新しい試みなのです。選挙で訴えていた通りの行動であり、若い無党派層を中心にしてそのやり方を支持したのです。勿論、最初から支持していない場合なら分かりますが、選挙時に支持した方々が何故、その候補者を非難するのかが不思議ですね。 勿論、訴えと違う事ならば非難もわかりますかま、普通に訴え通りの事をやって支持者から非難を浴びたのでは候補者としてはどうしようもないでしょう。 公約違反を繰り返す安倍政権が支持率が高い事も成り立つ位の国ですから、逆に公約を守って叩かれるという構図も十分あり得るのですが、正にワンダーランド、ルイスキャロのアリスの世界を地で行っておりますね。 三宅氏は震災前の活動から、それら現場や状況を見た上で、反対運動や誹謗中傷だけでは世の中は変わらないと感じたからこそ、対話を試みて相手方を先ずは理解しようという考えですよね。 先の選挙で三宅氏の応援に駆け付けた方を幾名か存じていますが、もう震災以前の何年も前からこの本末転倒な状況をどうすれば良いのかと考えて来たのです。 その代弁者として立ち上がったのが今回の三宅洋平氏ですが、当然ながら、そういった姿勢を買ったからこそ山本太郎氏も強く推しているのです。今に始まった事ではないですよ。 繰り返される内輪もめ、それに解決の糸口を見つける。こういう人物だからこそ山本太郎氏も推しているのにも関わらず、幾年も悩まされるのは実は政治だけの事ではありません。 山本太郎氏や三宅氏、それに応援に駆け付けた富田氏や映画監督の岩井俊二氏、勿論、福島みずほ氏も皆そうですが、 最大の問題、それが何かと言うと、それは我々国民自身の理解と後押しです。 正直、国民の為に、立候補や行動している方々に対して非難な吹き上がるという毎度繰り返される本末転倒な愚行。 このお馴染みの頓珍漢な現象に多くの若者や私含めた周りの知人も正直辟易しています。勿論、自分は違うと誰もが言うでしょう。しかし大衆心理は常にそうであり、それは過去を見れば事実は明らかなのです。毎回同じ現象なのですから、この事実からは言い逃れ出来ません。 陸山会事件もそうですし、今では都合良く掌返しをしておりますが、山本太郎氏の時も全く同じですよ。国民はその都合の良い掌返しの姿勢を何処かで自覚するべきでしょう。実際にそうだったのだから。この認識が欠落している限りこの国の政治は変わりませんよ。何しろ政治を変える事が出来るのは政治家ではなく私達国民自身の意識次第なのですから。 民衆側の代弁者を毎回叩いているだけでは、今の自公政権になるのは当然でしょう。何しろ自公に対峙する側を常に叩き続けているのですから。 そして、最も厄介な事は真意を理解しようともせず、かと言って自分が立候補して問題に対峙するという訳でもない。 あくまでもネット上の安全圏という立ち位置からこうした希少な方々に頓珍漢な批判を浴びせるという愚行。 これを彼等は反論出来ない立場ながら、ぐっと言いたい事を言えずにそれでも国民の為に頑張っているのですよね。 普通ならキレますよ。笑 これは一般社会でも同じ現象が多々有りますが、これら非難をしている方々の大半は、実際に当人を目の前に一対一で対峙する場面があり得るとすれば、その殆どは当人を身の前にして同じ事は言えないと思いますね。これを通常は卑怯とも言いますね。もしくは小心者。 この毎度のお馴染みの愚行は、釣りコメントや大衆心理に流されるというある種の思考停止状態であり、当人が公約通りの行動をしていても兎に角考える事を放棄して多数の意見に流されるという自覚症状の欠落状態です。 小沢一郎、山本太郎もそうですが、何故常に味方である側を国民は非難し続けるのでしょう。いい加減そろそろ気付いた方が良いとは思いますね。勿論、こんな事を書いても誰も認める事はしないでしょう、しかし、当人の弁に耳を傾ける、聞くという極々簡単な事が出来なければ、何も自覚する事は出来ません。 そして、自覚症状が無ければ当然ながら同じ愚行が繰り返されるのです。 本来の目的を見失っているのは常に我々国民自身なのだと。この国の停滞を引き起こしているのは私達国民自身の問題だといい加減気付いても良い頃でしょう。 しかし、こう書いても三宅氏に関する頓珍漢なレッテル張りは暫く続くのでしょうから当分の間は見守るしか無さそうです。まあ、山本太郎氏の時と全く同じですから、数年はこの状況をまた見守る羽目になるでしょう。 勿論、見守るのは三宅洋平氏だけでは無いですよ、個人的に一番見守っている事は、この三宅洋平という新しい存在に対する大衆の反応です。 山本太郎氏や小沢一郎氏の時も同じく見守っていましたが、何処かの時点でこの反応は必ず変わります。勿論、三宅氏がブレないで自身の信じた事を貫くならばという前提の上ですが。 この件に関してはネット上で普段は適切な意見を書かれている方々でさえ、頓珍漢な意見が横行していますが、正直どうかと思いますね。選挙時は強く支持していた著名な論客ですら大衆と同じ様な事を書いている事が多いですが、本当に選挙時に当人の訴えをきちんと聞いた上で支持していたのかさえ疑問です。 こんな議論はもうかれこれ10年以上前に遡る事であり、それ以降全く進歩していないとしたらほんとどうしようもないですし、今回の件で、三宅氏を毎度の様に頓珍漢に非難しているだけではまだまだ10年単位で同じ愚行が続くのかもしれませんね。 反論も大体予想が付きますが、私の意見に反論するよりも寧ろもう少し当人の弁を聞いた方が良いとは思います。 何しろ山本太郎氏や小沢一郎氏も、言っている事は大概大筋としては最初と変わりありませんから。三宅氏も同じ。 変わるのは常に我々国民自身の反応当人の成長。政治家たるもの余りブレてはいけませんが、我々国民、特に大衆心理は寧ろブレた方が良いケースが多い。 何しろ当人の訴えとは違う事を勝手に推測して自己判断で審判を下して答えを出した所で、それが当人の意図とかけ離れているのでは、単なる思考停止に過ぎませんからね。 まあ、人にはエゴがありますから中々難しいとは思いますが、基本的には毎回同じな事もまた事実です。 都民
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