1970年代に結ばれた米国とサウジアラビアの秘密合意の詳細が明らかに 2016年06月01日 01:17短縮 URL http://jp.sputniknews.com/politics/20160601/2227620.html1970年代に米国とサウジアラビアの間で結ばれ、41年間秘密にされていた合意の詳細が明らかにされた。 ブルームバーグ通信が伝えた。 この歴訪の主な目的は、サウジアラビアのジッダを訪問だったが、この事は極秘にされた。サウジ訪問では、経済的な武器としての原油の中立化を図ることが、最大の課題だった。 サムソン財務長官が選んだシナリオの主な枠組みは、次のようなものだった:米国は、サウジから原油を買い、同王国に軍事援助を与え、物質的技術的保証を与え、その見返りに何十億ドルものオイルマネーを受け取る-というシナリオだ。 ++++++++++++++++++++++++++ オイルショック https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF オイル・ショック(和製英語:oil + shock)とは、1973年(第1次)と1979年(第2次)に始まった(ピークは1980年)、原油の供給逼迫および原油価格高騰と、それによる世界の経済混乱である。 石油危機(せきゆきき、英語: oil crisis)または石油ショックとも称される。 OPEC諸国の国際収支黒字は1973年には10億ドルであったが、1974年には約700億ドルに急増。 一方、発展途上国向けの民間銀行貸し付け額は1970年の30億ドルから1980年の250億ドルに跳ね上がった。[1] 第1次オイルショック(第1次石油ショック・第1次石油危機) 発生に至る情勢 1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。これを受け10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)加盟産油国のうちペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げることを発表した。 翌日10月17日にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が、原油生産の段階的削減(石油戦略)を決定した。 またアラブ石油輸出国機構(OAPEC)諸国は10月20日以降、イスラエルが占領地から撤退するまでイスラエル支持国(アメリカ合衆国やオランダなど)への経済制裁(石油禁輸)を相次いで決定した。 さらに12月23日には、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸の産油6カ国が、1974年1月より原油価格を5.12ドルから11.65ドルへ引き上げる、と決定した。 以上適当に抜粋。 裏切り者で崩壊まじかの嘘つきサウド家のアラビアはこんな程度の低い三文芝居のガキンチョの仕掛けだったようで完全に自業自得ですね。 でもって指示したのが強欲資本家のアメ公でした。 昔のまんまのシナリオが崩れて現在焦っている真っ最中。 ホラッチョのアメ公はオイルはもうすぐ60$になると熱烈拡販中ですが白け鳥パタパタ。 薄汚いドロドロのネタがばれたサウド家のアラビアがこれからも中近東方面で主導的御立場を保てるとは思いませんが。 完全に浮いたイスラエルも含めてさてこれからどうなるんでしょうか。 イスラエルは仲間のエジプト、ヨルダン、サウジアラビア、カタール、アラブ首長国連邦やトルコが無ければ完全に陸のいや砂漠の孤島になる。 もしかしたら昔の中東戦争自体もやはり噂通りに やらせ芝居 だったのでしょうか。 キッシンジャー爺さんが言ったという噂のようにイスラエルという国は中東から消える鴨が現実になってきたような。
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