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洪水被災民を激怒させた「死傷者ゼロ」発表
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
過少申告で責任回避、ネットの被害写真は瞬時に削除
2016年7月29日(金)
北村 豊
2016年7月23日、河北省“民政庁”のウェブサイトは“救災処(災害救援課)”名で「7月23日18時までの全省における“洪澇(洪水と冠水)”の災害状況」と題する報告を掲載した。その内容は以下の通り。
7月18日から21日まで我が省の大部分地区では降雨が続き、省内の一部地区では洪水と冠水の災害が発生すると同時に地滑りと土石流による災害が多発し、一部の被災者が孤立し、死者と行方不明者が発生した。23日18時までの時点で、全省の11市に属する148県(市、区)と“定州市、“辛集市”が被災し、被災人口は904万人、災害による死者は114人、行方不明者は111人に上った。また、30.89万人が緊急避難し、倒壊家屋は15.5万部屋、農作物の被災面積は7235km2、収穫全滅面積は300km2で、災害による直接経済損失は163.68億元(約2619億円)に達した。
死者114人…過少報告では?
一口に「農作物の被災面積7235km2」と言うが、これは日本の「都道府県面積ランキング」で第16位に位置する宮城県の面積(7282km2)に匹敵する広さであり、収穫全滅面積300km2は東京23区の面積(621km2)の約半分に相当する広さである。それほどの面積が洪水と冠水により被害を受けたからこそ、被災人口が904万人に及んだのだが、死者と行方不明者はそれぞれ114人と111人であったというのである。但し、中国という国情を考えた場合、被災人口904万人に対して死者114人、行方不明者111人というのはあまりにも少ない感じがするのだが、果たしてそれは本当なのか。そこには実際の死者と行方不明者を過少に公表して人的被害の大きさを隠蔽している可能性はないのか。
河北省の中南部に位置する“邢台(けいたい)市”は省都“石家荘(せっかそう)市”に南面し、「邯鄲(かんたん)の夢」の故事で名高い“邯鄲市”に北面している。さて、“大賢村”はその邢台市の管轄下にある“邢台県”に属する“東汪鎮”にある人口2000人規模の農村である。大賢村は邢台市経済開発区に隣接しており、将来の発展が期待されている。大賢村の南には邢台市西部の山岳を源流とする季節性の河川“七里河”が流れている。七里河は全長95kmで、上流部分を七里河、下流部分を“順水河”と呼ぶが、七里河部分は52kmあり、川幅は最も広い所で1700m、最も狭い所で130mである。
7月19日、邢台市と邯鄲市では終日にわたり豪雨に見舞われ、24時間の最大降水量は400mmを上回った。このため、邢台市では山岳地帯にある“朱庄水庫(朱庄ダム)”と“臨城水庫(臨城ダム)”が満水となり、放水が必須となった。邢台市政府は19日夜10時30分に“微博(マイクロブログ)”で20日午前3時に“泄洪(ダムの水門を開いて放水すること)”を行う旨を通知したと言う。当日は豪雨のため、停電も発生しており、大賢村の村人たちは“微博”を経由してダムの放水を知らせる通知が出されていることなど、誰一人知る由もなかった。
ダム放水の知らせ、届かず
大賢村のトップである村共産党支部書記の“張戦歌”は20日午前1時50分に電話連絡を受け、ダムの放水が間もなく始まり、放水された水が七里河を流れ下るから、大至急、村人たちを安全な場所に避難させるように指示された。張戦歌は電話を終えるや否や、家を飛び出して“村口(村の出入り口)”に駆けつけて、七里河の様子を窺うと同時に、拡声器を使って、「村民の皆さん、直ちに起床して下さい。洪水が襲って来ます」と大声で叫び続けた。
ところが、豪雨の雨音は拡声器の声を打ち消し、張戦歌の叫びは村民たちに届かなかった。7月20日にある村民がメディアの記者の問いに答えて、「今朝(20日)午前2時過ぎ、大賢村の水位はどんどん上昇していった。1時間も経たないうちに、水深は1m以上になり、ベッドは水に漂い、鶏や鴨は全て溺れ死に、自動車も水に漬かった」と語った。水深は午前5時ころには胸の高さにまで上昇したが、その後、水は徐々に引き始め、午前10時頃にはふくらはぎの高さまで後退した。
政府系メディアが伝えたところによれば、洪水の発生後まもなくして、地元の民兵予備役および政府関係者で組織された救援部隊が主として村民の避難を誘導し、“武装警察”と軍隊が水の中に取り残された村民の救出に当たった。老人や子供を抱えて避難したくても動けない村民たちは、政府の役人や武装警察官によって住居から背負われて救出され、高台にある道路上へ移動させられた。なお、20日午前10時頃、大賢村の出入り口には数名の地元政府の幹部が村民たちを促して安全地帯へ移動を開始し、大賢村の2000人超の村民たちは昼の12時半頃までに全て安全地帯への避難を完了したとも伝えた。
しかし、ダムの放水を事前に知らされず、張戦歌の拡声器による呼びかけの声も聞こえなかった大賢村の村民たちは、七里河の氾濫により甚大な被害を被っていた。ダムの放水を事前に知らされていなかった村民たちは、激しい雨音に怯えながらも、洪水が起こるとは思わないから、安心してベッドで眠りに付いていたはずである。さすがに水が住居に侵入して水位が1mを超えた午前3時頃には、誰もが目を覚まし、七里河の氾濫による洪水と判断して、いかに避難するかを考えただろう。午前5時頃に水位が胸の高さまで来た時には死を覚悟したかもしれないが、大多数の村民は自宅の屋根に上るとか、少しでも高い場所に避難することで、まんじりともせずに一夜を過ごしたのだった。
「死傷者は出ていない」の嘘
七里河の洪水に襲われた大賢村では、明確な数字はないものの、多数の死者および行方不明者が発生していることは、洪水の規模から考えて誰の目にも明らかだった。ネット上には、「ダムの放水が行われることを事前に的確な通知がなされなかったために、邢台市の東汪鎮、“景家屯”、“河会”などの村では村民に多数の死傷者が発生しており、その多くは児童である」との書き込みが行われた。そうした現実があるにもかかわらず、7月20日正午に“河北電視台(河北テレビ)”の「経済・生活チャンネル」が大賢村の被災現場から実況中継を行った際に、記者のインタビューを受けた邢台市経済開発区“党工作委員会”副書記の“王清飛”は、「今回の洪水の救援や避難場所への移動活動は継続されているが、現在までのところ死傷者は出ていない」と述べたのだった。
この時すでに、邢台市政府は今回の洪水による邢台市内の死者および行方不明者はそれぞれ25人と13人であるとの中間発表をしており、その中でも被害が最も大きかったのは大賢村であった。しかも、大賢村で大水にさらわれて溺れ死んだ村民は数百人に上り、その中には多数の老人や子供が含まれていた。従い、王清飛がテレビのインタビューを受けて「死傷者は出ていない」などというデタラメな発言をしたことに対して村民たちは激しく憤り、反発したのだった。
日時が20日なのか翌21日なのか定かではないが、王清飛が大賢村の被災状況を視察していると、王清飛を見かけた多数の村民たちが王清飛を取り囲み、3人の老婦人が悲しみに打ちひしがれた様子で王清飛の前に座り込んで行く手を阻んだ。村民たちの気迫に押された王清飛は、やむなく老婦人たちの前にひざまずき、彼らの手を取って慰めの言葉をかけた。すると、群衆の中から誰かが大声で王清飛に向けて「我々の村で何人が死んだか、お前は知っているのか」と怒りに満ちた言葉を投げかけたが、王清飛はひたすらうなずくだけで、まともに相手をせず、質問に答えることもなかった。
7月22日、この王清飛がひざまずいて大賢村の村民を慰めている場面の動画がネット上に配信され、当該動画は邢台市の“微信(WeChat、日本のLINEに相当)”のネットワークを通じて瞬く間に流布した。この動画が邢台市の人々の間で話題に上ると、メディアは王清飛にインタビューして、ひざまずいた理由を尋ねたが、彼は「当時は村民たちの情緒が非常に不安定になっていたので、村民たちを慰めて理解を得ようとした」のだと述べた。この記事が報じられると、人々は王清飛が同情するポーズを見せただけで、何も悪い事はしていないと思っているに違いないとして非難が殺到した。
抗議の村民は強制排除
一方、22日の午後には大賢村の村民1000人以上が死者の遺骸を担ぎ、大賢村を通る国道107号と省道326号を占拠して、突然のダム放水による洪水の発生に抗議した。東汪鎮政府は大量の警察官を現場へ急行させて武力で村民たちを道路から強制排除した。この時も王清飛は現場に出向き村民たちの排除に協力していたという。
当時、現場でメディアのインタビューに答えた村民の1人は次のように述べた。
大賢村は七里河の北岸に位置し、七里河に隣接している。20日午前1時頃、洪水は突然大賢村に流れ込み、瞬く間に水面は屋根を超えて2mに達し、熟睡していた村民たちは虚を突かれて洪水に対処できず、村全体は見渡す限り水に漬かった。現時点で、すでに洪水により多数の死者が出ていることを確認しており、2人の子供が行方不明となっている。
7月23日夜、邢台市政府は洪水発生後で第2回目となる“抗洪救災(洪水と闘い、被災者を救済する)”の記者会見を開催した。席上、市長の“董暁宇”は、今回の洪水防止ための応急措置は予断が不十分であり、幹部の洪水防止の応急対応が不十分あり、統計的な分析が不十分であったことから、市民を洪水から守ることができなかったと述べ、社会全体に対して陳謝すると同時に、市民の生命財産を守ることができなかったことに対して自責と後悔の念にさいなまれている旨を表明した。
中国で政府のトップが公開の場で謝罪を表明することは滅多にないことで、董暁宇の潔い態度は人々を驚かせたが、それだからと言って、人々に周知徹底せぬままダムの水を放水して七里河を氾濫させ、洪水によって大賢村の多くの村民を死に至らしめた罪は消えない。市長が謝罪する前の段階では、邢台市政府は“泄洪(ダムの水門を開いて放水すること)”は人命にかかわる重大事なので、4時間半前に村人たちへ“微博”を通じてダムの放水を通知したと述べて、政府側に落ち度はなかったと主張していたのだった。
大賢村の村民にしてみれば、停電の発生で電気が通じていなかったばかりか、“微博”など知らない者も多く、夜10時30分に“微博”を通じてダムの放水情報を流したとしても、果たしてどれだけの人が“微博”に目を通すだろうかと考えるのが筋だろう。市民を指導すべき立場にある者がそんな当たり前のことに気付かず、“微博”によるダムの放水通知しか行わなかったのは信じ難い愚挙といえる。これは邢台市政府の役人の怠慢によるものであり、その怠慢が大賢村だけで数百人の尊い命を奪ったのだった。
邢台市政府のウェブサイトは7月26日付の地元紙「邢台日報」の記事を掲載して、7月25日15時までの時点における邢台市の洪水被害について次のように報じている。
全市の被災人口172.7万人、死亡34人、行方不明13人(このうち経済開発区:死亡17人、行方不明1人;“橋西区”:行方不明2人;邢台県:死亡13人、行方不明9人;“内丘県:死亡3人;“臨城県”:死亡1人、行方不明1人)。緊急避難者11.6万人、倒壊家屋2万8764室、損壊家屋2万6305室。洪水による直接経済損失50.2億元(約803億円)、そのうち農業損失9.1億元(約146億円)、インフラ損失30.3億元(約485億円)、家庭財産10.3億元(約165億円)。
この記事は「邢台日報」の記事を引用する形をとっているが、実際は邢台市政府の統計と見てよいだろう。そうなると、大賢村が属する邢台県の死者と行方不明者はそれぞれ13人と9人ということになる。果たしてこの数字は正しいのか。大賢村の村民が主張している死者数百人というのは偽りなのか。大賢村自体が死者・行方不明者の数を独自に発表している形跡はないので、どちらの数字が正しいかは判断できない。しかし、大賢村の村民たちが王清飛の「死傷者は出ていない」発言にあれだけ憤り、交通遮断の挙に出てまで市政府に対する抗議を行っているところを見ると、村民の主張が正しいように思われる。死者数の過少報告は中国の災害で毎度のように行われていることであり、驚くには当たらない。
被害写真は瞬時に削除
7月24日、ネットの掲示板には七里河の氾濫による洪水で死亡した子供たちの遺体が泥の中に横たわる写真がいくつも掲載された。いたいけな子供たちの悲惨な姿は見る者に人の世の無情さを感じさせたが、これらの写真は瞬時に削除された。写真が削除されたことを知ったネットユーザーたちは、“微博”や“微信”の中でこうつぶやいた。
2015年9月にトルコの海岸に打ち上げられた溺死したシリア難民の男児(3歳)の写真が世界中で報じられた際には、中国では国際社会の非情さを強調するかのように当該写真がテレビやネットのニュースサイトで何回も報じられた。ところが、中国国内の洪水で溺死した子供たちの写真は国民の目に触れないように瞬時に削除された。これは一体どういうことなのか。
このコラムについて
世界鑑測 北村豊の「中国・キタムラリポート」
日中両国が本当の意味で交流するには、両国民が相互理解を深めることが先決である。ところが、日本のメディアの中国に関する報道は、「陰陽」の「陽」ばかりが強調され、「陰」がほとんど報道されない。真の中国を理解するために、「褒めるべきは褒め、批判すべきは批判す」という視点に立って、中国国内の実態をリポートする。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/101059/072700059/
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