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北京の人民大会堂で開かれた全人代の閉幕式に出席した中国の習近平国家主席(右)と李克強首相 =3月(ロイター)
【石平のChina Watch】習主席と李首相の深刻な対立 「暗闘」の域を越えて「明闘」に発展
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160523/frn1605231312007-n1.htm
2016.05.23 夕刊フジ
中国共産党政権の最高指導部において今、習近平国家主席と李克強首相の対立が深刻になっている。
2人の険悪な関係が明るみに出たのは今年3月初旬の全国人民代表大会開催の時である。開幕式のひな壇上、隣席の習主席と李首相は一度も握手せず、会話を交わすこともなく、視線さえ合わせない異様な光景が衆人環視の中で展開された。
これまで水面下で激しい権力闘争があっても、表向きは和気藹々(あいあい)の「一致団結」を装うのが中国共産党政権の「良き伝統」である。だが習主席は李首相への嫌悪感をもはや隠さない。対立は既に決定的なものとなった。その日以来2人の間では、お互いへの意地の張り合いのような暗闘が繰り返されてきた。
4月15日、李首相は中国名門の清華大学と北京大学を相次いで視察した。首相が1日に2つの大学を視察するのは異例だが、厳しい言論弾圧で知識人を敵に回した習主席に対抗して人心収攬(しゅうらん)に打って出たのではないか。
5日後の20日、今度は習主席が迷彩服を着て人民解放軍の連合作戦指揮センターを視察した。共産党の最高指導者が戦時の迷彩服を身につけるのは前代未聞だが、タイミング的には先日、大学を視察した李首相に対し、「あなたが知識人を味方につけるなら、私は軍の支持を受けているぞ」とのメッセージを送ったのではないか。
2人の暗闘はさらに続く。4月24日から26日まで、李首相は四川省を視察した。首相はかつての四川大震災被災地の農村を訪れたり、都市部の自由市場で民衆と会話を交わしたりして、いわば「親民指導者」としてのイメージを演じてみせた。そして彼の四川視察が始まる24日という同じ日に、習主席は安徽省へ赴いて地方視察を開始した。
中国の国家主席と首相の両方が同じ日に中央をあけて地方視察に出かけるとは、それこそ異例中の異例である。どちらかの方が相手の予定を事前に察知して、わざとそれにぶつけていったのだろうと解釈するしかない。習主席は安徽省視察においても、李首相が視察した農村以上に貧困な山村を訪れて民衆の声に耳を傾けるというパフォーマンスを演じてみせた。民衆への人気取りにかけては絶対負けないという習主席の意気込みが強く感じられた。
この「地方視察競争合戦」からまもなく、中央の北京でまたもや大珍事が起きた。今月6日、李首相は中央官庁の「人力資源・社会保障部(省)」を視察し、「就業工作」に関する座談会を開いた。首相として当然の仕事だが、おそらく李首相自身もびっくりしたであろう。同じ日、同じ北京市内で、「人力資源」をテーマとした別の座談会が党中央によって開かれたのである。
それは、「人材発展体制の改革」に関する習主席の「重要指示」を学習する名目の座談会で、劉雲山・政治局常務委員が主催した。李首相が「人材問題」の所管官庁を視察して座談会を開いたその当日、この所管官庁を差し置いて党中央主催の別の「人材座談会」を開くことは、どう考えても「異常」というしかない。それは明らかに、習主席サイドからの、李首相の仕事に対する嫌がらせ以外の何ものでもない。
このように、習主席と李首相との政治闘争はもはや「暗闘」の域を越えてまさに「明闘」となっている。
「太子党」という勢力を率いる習主席と、「共青団派」の現役の領袖(りょうしゅう)である李首相との闘いは当然、最高指導部を二分する派閥闘争として展開していくしかない。
それが共産党政権の分裂につながるような泥沼の党内抗争に発展していけば、中国の政治はまた、劇的な新しい展開を迎える可能性があるのである。
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【プロフィル】石平
せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。
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