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中国に大きな傷跡を残した「文化大革命」の発動から、50年を迎えた。格差社会が広がる中、中国当局は国民が平等に貧しかった時代を懐かしむ風潮が、反政府の動きにつながることに警戒感を強めている。写真は文化大革命時に使われていた毛沢東のバッジ。
文化大革命50年、格差拡大で中国当局は「皆が平等に貧しかった時代」への郷愁警戒
http://www.recordchina.co.jp/a139183.html
2016年5月21日(土) 17時0分
2016年5月20日、中国共産党の「負の歴史」とされる「文化大革命」(文革)の発動から、16日で50年。格差社会が広がる中、皆が平等に貧しかった当時を懐かしむ声は国内に少なくない。共産党機関誌・人民日報は17日付で、文革を改めて全面否定する論評を掲載。文革の時代への郷愁が庶民の不満と重なり、反政府の動きと結び付くことに警戒感を示した。
文革が発動されたのは、1966年5月16日に開かれた中国共産党政治局拡大会議。「5.16通知」では「ブルジョア反動思想の批判」などが呼び掛けられ、指導機関として「中央文化革命小組」が組織された。思想運動の体裁をとっていたが、実際は1950年代終わりから60年代初めまでの「大躍進政策」の失敗を批判され、国家主席の座を降りた毛沢東党主席が権力奪還を狙って仕掛けたものだった。
毛主席は「司令部を砲撃せよ」と指示。10代の少年少女らの「紅衛兵」を動員して、「資本主義の道を歩む実権派」と目された劉少奇国家主席やトウ小平総書記らを打倒した。紅衛兵は党の要人だけでなく、知識人らも攻撃して多数を死に追いやり、文化遺産を破壊。中国全土が狂気に包まれた。
毛主席への個人崇拝も強まり、赤い表紙の「毛沢東語録」は国民の必携書となった。清国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の生涯を描いた映画「ラストエンペラー」にも、「造反有理」「革命無罪」を叫ぶ紅衛兵が実権派とされた人たちを糾弾しながら、街を練り歩く場面が登場する。この当時、後に国家主席となる習近平氏も父親の習仲勲・元副首相の失脚に伴い、北京から陝西省に下放された。
その後、71年9月、毛主席の腹心だった林彪国防相がクーデターに失敗して逃亡中にモンゴルで墜落死した事件などを経て、文革は徐々に収束に向かった。毛主席は76年9月に死去、翌10月、華国鋒首相が毛主席の妻・江青女史ら「四人組」を逮捕して事実上、終結した。共産党は77年8月の11回大会で終結を宣言。81年6月には文革を全面否定する「歴史決議」を採択した。10年に及んだ文革の犠牲者は1000万人以上ともいわれる。
香港メディアによると、文革を主導した中央文化革命小組の最後の生存者だった戚本禹氏がこのほど、85歳で病没。文革は過去のものになりつつあるが、人民日報は「文革のような間違いの再演を絶対に許してはならない」との論評で、歴史決議が「人民と歴史の検証を経て揺るぎない権威性を備えている」と強調。「文革の歴史と教訓を肝に銘じ、党の文革についての結論を支持する」よう求めた。
中国専門家の1人は「年若い紅衛兵などを扇動して政府要人を倒させたのが文革の真髄。これはボトムアップの力を持っている。若者が自由自在に壁新聞を貼ったりして、思いっきり政府批判をしたのが文革だ」と指摘。
毛主席の「政府を人民に返せ」「人民の最大の権利は、国家を管理することだ」との言葉を紹介した上で、「これほど人民を引きつける言葉があるだろうか。現在の政府に失望している人民の一群は、この言葉をもって文革を礼賛している」とも分析している。(編集/日向)
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