子どもなんてあてにしない!中国人が老後に頼るもの これがあれば誰かが面倒をみてくれる 2016.4.19(火) 姫田 小夏 中国の老人にとって、子どもは頼りにならなくなってきた?(写真はイメージ) 中国でも高齢化が進んでいる。2014年末、65歳以上の高齢者数は1億3800万人となった。10人に1人が高齢者である。同年、日本の65歳以上の高齢者数は3300万人に達し、4人に1人の割合となった。高齢者の割合では日本が先を行くが、中国も高齢化の速度は増す一方である。 日本同様、高齢者施設や介護士の不足、年金の支給金額などが社会問題となっている。介護保険制度や後見人制度などの制度設計がこれからの課題だが、先行して導入されたのが「リバースモーゲージ」だ。 リバースモーゲージとは「住宅担保年金制度」とも言われ、高齢者が自宅を担保に入れさせて老後資金を融資してもらうシステムである。2014年から北京、上海、広州、武漢の4都市で試験的に導入され、今後もさらに試験都市を増やす計画だ。 この金融商品のメリットは、住み慣れた家を売却せずに、居ながらにして現金化できる点だ。筆者の友人にも、このシステムを利用した老夫婦がいる。大学生の一人息子を交通事故で失ったこの老夫婦は、「住宅があっても相続人はいない。それならば自宅を抵当に入れ、毎月の生活費として現金をもらった方がいい」(夫)という理由から、リバースモーゲージの契約に踏み切った。 「養児防老」から「以房養老」へ 中国には古くから「養児防老」という考え方がある。「老後のために子どもを育てる」という意味だ。中国人特有の現実的な考え方とも言えるが、国の制度が追い付いていない中国では、こうする以外に「老後の安心」は得られない。 ところが、その子どもがあてにならなくなってきた。近年は成長した子どもが都会に出たり、海外に留学したりするなど、親と別居することが普通になってきている。また、子どもを生みたがらない夫婦も目につく。 その結果、最近では「養児防老」という言葉が「以房養老」に置き換えられるようになった。文字通り「不動産を以て老後に備える」という意味である。これを支える金融商品の1つがリバースモーゲージというわけだ。 中国では、保険会社がリバースモーゲージのサービス開始に乗り出している。新興の保険会社、幸福人寿保険は、2016年3月末から1週間ほどの間に56世帯と契約を結んだという。利用者の平均年齢は70.5歳、月々の平均受取額は8465元(約14.4万円、1元=約17円)に上ると言われる。広東省広州市の在住者のケースを取り上げた電子メディアによれば、50平米の住宅に130万元(約2210万円)の担保価値がつき、毎月6600元(約11.2万円)を受け取っているという。 自宅に居ながらにして老後の資金供給を行えるリバースモーゲージは、「高齢者介護は自宅で行う」という中国政府の基本方針にも合致する。利用者はこの資金を元手に身の回りの世話をしてくれる「お手伝いさん」を雇えるからだ。施設に預けられること、あるいは預けることをタブー視する中国人にとっても、願ったりかなったりの仕組みと言えそうだ。 施設への入所は「最後の選択」 中国では2010年を過ぎた頃から、「養老护理」(高齢者介護)が注目され、「介護サービス」が新たな産業として期待されるようになった。ただし、期待に反して普及は進んでいない。 一部の富裕層向けサービスは順調に市場を広げている。だが、中所得者向けのサービスは旧態依然とした状態で、改善される気配はない。高額な料金を請求できない中所得者向けのサービスは、食事を食べさせ、風呂に入れ、おむつを交換する、という最低限の機械的なヘルプである。 筆者は数年前に上海で施設を見学したことがあるが、経営者の頭の中はコスト削減しかない様子で、日本の施設にあるような「温かみ」は微塵も感じられなかった。施設によっては「言うことを聞かない老人を蹴り飛ばす」「馬を洗うかのようにデッキブラシで老人の体を洗う」などと噂されるところもある。 家族にしてみれば、とてもそんなところに自分の肉親を入所させることはできない。施設に預けるのは、もう他に手がなくなったときの「最後の選択」なのだ。 不動産があれば老後は安心 そもそも、中国では「子どもが親の面倒を見るもの」という固定観念が根強い。 最近、こんな話があった。昨年夏、65歳の梁立新さん(仮名)が夫の父親の介護を始めた。義父は転んで半身不随となり寝たきりである。梁さんは、食事、着替え、入浴、排泄などすべての世話をした。義父の家までは片道2時間かかり、泊まり込んでの世話もしょっちゅうだったという。 義父には長男のほかに3人の娘がいた。しかし、彼女たちは「仕事がある」ことを理由に面倒をみようとしない。結局、嫁の梁さんが介護役を引き受けることになった。頼みの綱の夫はうつ病を患っており、介護をできるのは彼女しかいなかった。「正直者は本当に馬鹿を見る」と彼女は苦々しげに語った。 特に梁さんにとって辛かったのは、「義父の上半身と頭は元気だった」ことだ。頭ははっきりしているので、「王様気分で、あれをやれ、これをやれと私をこき使った」。また「大音量のボリュームで1日中テレビを見て、私にチャンネルを替えさせる。朝から晩までうるさくてたまらなかった」と振り返る。 そんな生活を続けているうちに、梁さん自身が体を壊してしまった。テレビの大音量が影響し、ひどい耳鳴りに苦しむようになったのだ。 だが、自分が病気になったことで、決心がついた。このとき初めて彼女は義理の姉妹たちに向かって義父を「施設に入れるべきだ」と主張したのである。 義父を介護する日々はつらかったが、梁さん夫婦の手元には、ある「ご褒美」が残った。それは義父母から贈与されていた不動産だ。梁さんは不動産を贈与されていたからこそ、苦しい介護を我慢したとも言える。 今、梁さんは心の安らぎを取り戻している。不動産があることで老後の不安に襲われることがない。中国では不動産さえ手に入れれば、自分たちが動けなくなっても誰かが面倒を見てくれるのだ。「以房養老」は現代の中国社会を最も端的に表す言葉かもしれない。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/46619
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