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「六中全会」は習近平の勝利なのかコミュニケに残る、激しい権力闘争の跡 華僑が死守する3つの宝 慈、倹、次
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投稿者 軽毛 日時 2016 年 11 月 02 日 01:16:09: pa/Xvdnb8K3Zc jHmW0Q
 

「六中全会」は習近平の勝利なのか

中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス

コミュニケに残る、激しい権力闘争の跡
2016年11月2日(水)
福島 香織

六中全会は習近平主席を“核心”として閉幕した(写真:新華社/アフロ)
 共産党の秋の政治イベント、六中全会が10月24日から27日にかけて行われ、最終日にはコミュニケが発表された。六中全会コミュニケのポイントはおよそ五点。@「習近平同志を核心とする党中央」という表現が盛り込まれたことA党内監督条例と党内政治生活準則という党内規律厳格化に関する二つの法律について審議、可決されたことB集団指導体制の維持と党内民主の堅持が言明されたことC遼寧省元書記の王a、北京市元副書記の呂錫文、解放軍蘭州軍区副政治委員の范長秘、武装警察部隊元副司令員の牛志忠の解任、除籍の確認Dいかなる党幹部の私有財産形成、派閥形成(人身依附関係=不正常な上下関係)を許さず、これについてはいかなる例外もない、としたこと。後、付け加えるまでもないが、第19回党大会を2017年下半期に北京で開催することも決定された。

 ではこのコミュニケをどのように評価すればよいのだろうか。中国国内外の論評を見ながら解説を試みたい。

「習近平同志を核心とする」

 まず、「習近平同志を核心とする」という文言を中央委員会全体会議のコミュニケに盛り込んだ点をどのように考えればよいだろうか。六中全会前に関心が寄せられていた点は、この「領導核心」を習近平とする表現が盛り込まれるか、68歳定年制や政治局常務委員会制度の変更に言及されるかという点だ。結果からいえば、「習近平同志を核心とする」という言葉は明確に盛り込まれた。だが、定年制については触れられず、また集団指導体制、党内民主の堅持という文言で政治局常務委員会制度も維持されることになった。

 コミュニケではこう言っている。

 「全会では、党中央の権威を維持することを固く決定し、全党において法令が厳しく執行されることを保障することは、党と国家の前途の運命がかかわることであり、全国各民族の根本利益のあるところであり、また、党内政治生活を規範化し強化するための重要目的でもある。党の指導を堅持するにはまず、党中央の集中統一指導を堅持することである。一つの国家、一つの政党、指導核心が、非常に重要であることは必至である。全党は思想上政治行動上、党中央の行動に一致した自覚を持たねばならない。党の各級組織全体の党員、特に高級幹部はすべて党中央に倣い(看斉)、党の理論と路線方針政策に倣い、党中央の政策配置に倣い、党中央が提唱する決定に呼応し、党中央の決定を執行し、党中央の禁止事項は決してしてはならない」

 そしてコミュニケの結びでは「全会は次のように宣言する。全党は習近平同志を核心とする党中央を囲むように緊密に団結し、全面的に今回の全会の精神を深く貫徹し、政治意識、大局意識、核心意識、中央に倣えという意識を堅牢に打ち立て、党中央の権威と党中央の集中統一指導を動かぬよう定め、全面的に厳格な党の統治を継続して推進し、共同で政治生態の清らかで正しい風紀を作り、中国の特色ある社会主義事業の新局面を切り開くべく人民を指導するため党としての団結を確保しよう」

 この表現を見る限り、習近平の権力集中が六中全会でさらに進められた、というふうに見てとれる。「核心」という言葉は、習近平が昨年暮れから周到に党内で浸透させようと画策していた権力集中の象徴的ワードだ。共産党の歴史において、この「核心」という形容詞を使われたのは毛沢東、ケ小平、江沢民だが、江沢民に関しては、ケ小平が江沢民を「核心」と位置付けたのであって、江沢民が自らそれを名乗ったのとは少し違う。自らを「党中央の核心」と呼ばせ、しかも全党が自分を核心とする党中央に「看斉」(右へ倣え)するよう求める「集中統一指導」を打ち出している。そういう意味では、習近平は自らを毛沢東、ケ小平に次ぐ三人目の核心、と言いたいようだ。

「安寧の日を望めなくなった」

 中国共産党中央文献研究室出身の在米共産党史研究家・高文謙がVOA(ボイスオブアメリカ、米国営華人向けラジオ)の対談番組でこうコメントしている。

 「六中全会の最大の注目点は、習近平の核心としての地位が確立されたことだ。年初からあらゆる手段を使ってこの核心ブームを創ろうとしてきた。習近平がなぜ核心にここまでこだわるのか? 核心地位は“最後の決定権”を意味するからだ。ケ小平の言葉を引用すれば、“鶴の一声”というやつだ。かつて延安整風(1940年代の毛沢東による反対派粛清運動)を通じて、『主席は最終決定権を有する』という決議が明文化された。今(の集団指導体制)では、国家主席は大きな権力を有するが最終決定権はない。党内の駆け引きの中で、一票の権利はあっても否決権はなく、最終的には多数決で決定する。このままでは、習近平は第19回党大会で自分に有利な人事布石が打てないのだ。…現在、“核心”地位を得て、また手の内に『党内政治生活準則』や『党内監督条例』をもって、政治局常務委員に自分の意見を押し付けることが可能になった。反対者はこの準則・条例をもって処罰すればいいわけだから。『核心』の冠を得て、正真正銘の核心に一歩近づいたと言える。習近平のやり方が、人心を納得させることができるかは今後見ていく必要があるが」

 ちなみに高文謙は引き続き、毛沢東が最終決定権を掌握した後、文革路線にひた走った歴史に触れて、毛沢東と似た性格の習近平が核心になったことで「党も国も民も安寧の日を望めなくなった」と不穏なことを言っている。

 一方、このコミュニケのもう一つのポイントは「党内民主」「権力集中」の堅持を強く打ち出していることだ。これは「習近平の核心地位確立=否決権獲得」とはいかにも相反する内容ではないか。これについて、同じくVOAの同じ番組で、在米中国政治評論家の陳破空が次のようなコメントをしている。

「滑稽であり悲劇である」

 「習近平は“核心”の称号を得て勝利したといえるが、完全な大勝利とはいいがたい。半分の勝利というべきだ。あるいは辛勝というべきか。なぜなら相当な妥協をせざるを得なかったからだ。つまり他の派閥と妥協した結果、“集団指導体制の堅持”を強調し続けなければならなかった。…これは、習近平の権力が相当の抵抗を受けた証拠といえるだろう。この種の抵抗勢力は、中・下層の党員、地方党員にはなくとも、ハイレベルの幹部、特に政治局常務員、政治局員、中央委員会の中には存在している。これら最高権力機構の中に親習近平派は依然少数なのだ。だから第19回党大会の人事こそが、最大の鍵となる。

 習近平は“核心”地位を求めて、まるまる四年、苦しい権力闘争を経て、なんとか願いを叶えた。これは中国一党専制制度の疲弊が深刻であるということの証でもある。もし、民主国家ならば、指導者は選挙によって選ばれ、人民から権力を授与され、すぐに核心になって大きな権力を掌握できる。同僚との権力闘争によって“核心”の地位を勝ち取る必要も、政治老人(長老ら)の顔色をうかがう必要もないのだ。…まるまる任期一期分を、中国では狭い政治世界の権力闘争の中で喘がねばならないとは。これは一党専制が日ごと、袋小路に迷い込んでいるということだ。中国共産党が米国の大統領選を嘲笑する一方で、自分たちの共産党専制下の内部闘争を笑えないとは、滑稽であり悲劇である」

 この二人のコメントは、私が感じた印象と近い。このコミュニケの一番の見出しは「習近平“核心”的地位を明文化」だが、現実にはかなり妥協を強いられ、集団指導体制の堅持に言及せざるをえなかった。習近平は一歩、権力集中、独裁体制に近づいたが、その道のりには相当の抵抗勢力が存在する。

 ここで興味深いのは、党内の風紀粛清に関する法律、党内監督条例と党内生活準則を制定する狙いについてだ。この二つの法律を制定することは、ケ小平時代から不文律として続いていた「刑不上常委(政治局常務委員経験者は司法の刑罰に問われない)」を、はっきりと否定し、反腐敗キャンペーンに聖域を設けないという意味である。香港紙・明報が指摘していたが、2015年4月、王岐山(党中央規律検査委員会書記)が米国の政治学者フランシス・フクヤマらと対談した時、「私が捕まえた中に紅二代(親が革命戦争参加者や建国の功労者である二世官僚・政治家・企業家)はいない」とため息をつき、党内に完全な自浄作用を求めることが難しいと嘆いたという。

 この条例・準則の施行によって紅二代や太子党、政治局常務委員など従来、聖域とされていた党中央幹部に対しても汚職摘発できるというならば、これは習近平が江沢民や曾慶紅を反腐敗で追い詰めるつもりかもしれない。だが「いかなる例外も認めない」ということは、現役の党総書記、国家主席も例外ではないともいえる。習近平とて脛に傷がないわけではないのだ。文革ばりの聖域なき権力闘争を仕掛けるというなら、習近平自身も返り討ちにあう可能性はあるだろう。

「またやっているのか」

 もう一つ、党内幹部の私有財産権を許さないと言明したことも、習近平にとっては諸刃の剣だ。党幹部の私有財産は90年代の改革開放による経済環境の激変にともなって出現し、今の権貴政治(産官結合、権力と富の結合)の温床となっている。この時代、最も私有財産を蓄えたのはいうまでもなく上海閥、江沢民派だが、習近平とて元・上海閥。彼の一族の不正蓄財疑惑はブルームバーグも報じている。

 毛沢東が政敵に返り討ちにあうことなく、延安整風や文化大革命を通じて権力集中を発揮できたのは、そのカリスマ性による大衆動員力だった。では習近平には、その大衆動員力があるのだろうか。六中全会直前、CCTVが習近平の反腐敗キャンペーンの成果をまとめるドキュメンタリー番組「永遠在路上」(全8回)をゴールデンタイムに放送した。これは習近平政権下で汚職で捕まえられた党や政府の高官が出演して涙ながらに懺悔し、庶民に習近平を礼賛するコメントを語らせる、あからさまな習近平礼賛番組だった。

 共産党の執政党としての地位の正当性を危うくしているのは党内の腐敗であるとし、習近平こそがその腐敗をただす英雄として描きつつ、合間に整風運動時代の毛沢東の映像などを差しはさみ、「毛沢東時代のようにクリーンな共産党に戻る」といったメッセージを発している。

 だが、こうした宣伝番組は、農村の老人たちならばいざしらず、スマホ時代の若者に対して絶大な感染力があるかというとそうではなく、むしろ、またやっているのか、といった冷めた反応の方が強い。というのも4年間、反腐敗キャンペーンを行っても、若者の貧困問題も解決できず庶民の暮らしは改善されていない。その一向に改善されない生活苦の不満の矛先は、むしろ政権の方に向き始めている。

 在米華字メディア明鏡集団総裁で、党中央にもディープスロートを持つ何頻がVOAにこんなコメントをしていた。

 「多くの人が、習近平は(革命)戦争を経験しておらず、真の“核心”にはなれないと言っている。ただ、今の官僚は、ほとんどまともな功績を持っておらず、習近平は地位上の優勢がある。ただ情勢が変動する要素も非常に豊富にある。さらに言えば、彼はあえて責任ある地位を引き受け、多くの組織・機関の組長も務めている。権力を振り回すだけでなく、責任を担う勇気も必要なのである」

 さらに何頻は別のVOAの番組のコメントでこう語っている。

 「習近平がこのように早く核心地位を獲得できたということは、勇敢にも中国政治の一切の責任を自ら担うということである。だから中国問題をうまく処理できれば、習近平の功績であるが、問題が起きれば習近平の責任である」

 しかしながら、何頻は政権に変数が出現する可能性が大きくなっていることも認識しており、「習近平の権力集中は中国共産党の新しい政権モデルになる可能性もあるし、中国共産党が習近平で終わる可能性もある」とも語った。

野望と孤立と攻防と

 こうした論評を総じてみると、一つはっきり言えるのは、六中全会コミュニケの中に、習近平のあくなき権力集中の野望とその孤立、それを阻む強い反対派勢力との激しい攻防の跡があり、この激しい権力闘争は今後も一層、血なまぐさく、ひょっとすると習近平自身が返り傷を負いかねない激しさを見せるかもしれない、ということである。

 本来、為政者が本当に権力を掌握していれば、わざわざ“核心”という言葉を持ち出す必要はない。“核心”に意味があるかどうか、習近平が勝利者であるかどうかは、政治局常務委員会の人事と今後の反腐敗キャンペーンの行方を見てからでないと何とも言えない。

【新刊】中国が抱えるアキレス腱に迫る
『赤い帝国・中国が滅びる日』

 「赤い帝国・中国」は今、南シナ海の軍事拠点化を着々と進め、人民元を国際通貨入りさせることに成功した。さらに文化面でも習近平政権の庇護を受けた万達集団の映画文化産業買収戦略はハリウッドを乗っ取る勢いだ。だが、一方で赤い帝国にもいくつものアキレス腱、リスクが存在する。党内部の権力闘争、暗殺、クーデターの可能性、経済崩壊、大衆の不満…。こうしたリスクは、日本を含む国際社会にも大いなるリスクである。そして、その現実を知ることは、日本の取るべき道を知ることにつながる。
KKベストセラーズ刊/2016年10月26日発行

このコラムについて

中国新聞趣聞〜チャイナ・ゴシップス
 新聞とは新しい話、ニュース。趣聞とは、中国語で興味深い話、噂話といった意味。
 中国において公式の新聞メディアが流す情報は「新聞」だが、中国の公式メディアとは宣伝機関であり、その第一の目的は党の宣伝だ。当局の都合の良いように編集されたり、美化されていたりしていることもある。そこで人々は口コミ情報、つまり知人から聞いた興味深い「趣聞」も重視する。
 特に北京のように古く歴史ある政治の街においては、その知人がしばしば中南海に出入りできるほどの人物であったり、軍関係者であったり、ということもあるので、根も葉もない話ばかりではない。時に公式メディアの流す新聞よりも早く正確であることも。特に昨今はインターネットのおかげでこの趣聞の伝播力はばかにできなくなった。新聞趣聞の両面から中国の事象を読み解いてゆくニュースコラム。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/103100070/


 

日経ビジネスオンライン
「皆に嫌われたくない」華僑が死守する3つの宝
慈、倹、次

華僑直伝ずるゆる処世術

2016年11月2日(水)
大城 太

 ITの発達により、ビジネスのスピードがますます早くなっているのを実感している方は、多くいらっしゃるのではないでしょうか? AI、IoT、Fintech――業務を進めるうえで横文字を見ることが増え、今まで目に見えていたものがどんどんサーバー上に移行し、気がつけばパソコン、タブレット、スマホの中に仕事の重要事項が収まるようになっています。「いつでもどこでも」といわれた世界は現実となりつつありますが、ビジネスマンにとっては常に仕事が頭から離れず、ストレスを貯め込む原因ともなっています。 

 しっかりとITをマスターして明日から仕事にまい進しよう、明日からITの恩恵を受けられる立場になろう、と決心する方も中にはいらっしゃるでしょう。この文章をお読みになられているあなた自身がそうかもしれませんね。

 そのような方にはショックな出来事なのですが、そんな明日は永遠にこないのです。理由は簡単です。明日になれば、今日になっているからです。なにやら禅問答のようですが、こんなご経験はないでしょうか? 「明日、明後日は久しぶりの連休だ、ワクワクするなあ。明日は休みだけど、たまには早起きして家の大掃除をして、明後日は思いっきりオフを満喫しよう」。興奮を抑えながら布団に入り、翌朝目覚めたら、「よし、今日は、昨日に決めた大掃除だ」となっているはずです。ということは正確には明日、というものを実際に体験することはできないのです。

「歴史に学ぶ」は身近にあり


 そんな屁理屈なようなことを考えて何の意味があるのでしょうか? あります。それは一番大切な「時間」というものを意識するために、です。時間は誰しもに平等に与えられた唯一のものです。日本の総理大臣にとっても小学生にとっても同じ1分、同じ60秒なのですね。

 現在は過去の集積だということを華僑たちはよく口にします。「歴史は繰り返す」。この言葉が世界史、日本史でよく使われるように、政治の世界のみならず、ビジネスの世界でも同じように歴史は繰り返すのです。 

 時間は過去から未来に流れているのですから、最先端の技術の研究はもちろん大切ですが、まずビジネスパーソンが取り組むべきは、歴史に学ぶこと。これが非常に大切になってくるのです。歴史と一言で言っても、様々な歴史があります。自社の沿革、自社商品や他社商品の変遷、上司の言葉や同僚・部下の過去の言動、そして見落としてはいけないのは、お客様の趣味嗜好の変化の歴史。

 T型フォードを開発し、車の量産化に成功して自動車の普及に貢献した、かのヘンリー・フォードは次のように語っています。「もし私がお客様に何が欲しいですか? と尋ねたら、お客様は、今よりももっと速く走れる馬が欲しい、と言ったでしょう」。この言葉は非常に含蓄のある言葉として有名ですのでご存じの方も多いかもしれません。フォードは過去を研究することによって、提案力を身につけていたのです。当時、自動車は普及型がなく一部のひとのものだけで、大半のひとは歩くか馬車に乗っていました。ですが、産業革命をはじめとする様々な過去の事例を知っていたフォードは、お客様の要望を先回りすることによって、T型フォードという爆発的なヒット商品を開発することに成功したのです。歴史から学んだのですね。

「温故知新」の真意と信用力を上げる使い方


 「温故知新」。ご存知の方も多いでしょう。その意味は「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」、要するに過去に学んだものを再度学び直して、新しい発見・知恵を編み出していく、という日本式四字熟語の解釈として理解されているのがほとんどです。ですがこの言葉、正しくは孔子が論語の為政第二で言った「故きを温ねて新しきを知れば、以て師となるべし」ですので、最後の結論の部分が省略されています。この省略された「以て師となるべし」を正しく付け加えて読めば、意味が変わってきます。華僑的超訳をすると「古い出来事(歴史)から学び、これから来る未来を知ることができたら、師(先生)となることができる」となります。

 輝かしい高度成長期の日本において、「お願い営業」という言葉がもてはやされました。1億総中流の掛け声のもと、国民の全員が潤う勢いがあった時代に、お願いさえできれば、頭を下げさえすれば売れた、という事象を如実に言い表した言葉ですね。ですが、時代は移り変わり、現在の日本は少子高齢化社会が到来し、お願いしただけでは売れず、提案力がモノを言う時代になっています。

 あなたが消費者の立場となって一度考えてみてください。自分と同等の知識を持った人から勧められたりお願いされるのと、先生から提案されるのと、どちらを選択するでしょうか? おそらく、自分が師と仰ぐ人物が提案してきたものを選択するでしょう。「温故知新」とはそういう教えなのですね。

 故郷を離れ、身一つで他国に乗り込みビジネスを成功させていく華僑は、日本人である私たちには計り知れないプレッシャーの下、ビジネスを営んでいます。一部の富裕層の子息やビジネスを営む国に縁故者がいる恵まれた境遇の人を除いて、多くの華僑たちは特に裕福ではない親類縁者からお金を工面してもらい、異国の地でお金を稼ぎ、本国で借りたお金を返し、メンツ社会の中国に残してきた家族親戚の顔に泥を塗らないよう、成功しなければ帰れません。そんな状況の中、来日しているので、使えるものはなんでも使ってやろうと貪欲です。その貪欲に使うものの中で一番彼らが大切にし、コストパフォーマンスが高いと考えているのが、古典の知恵を拝借することなのです。

 元々農耕民族である日本人から見て、元来騎馬民族である中国人の言動や行動は嫌われがちです。これが外交上、国対国の話であれば、好き嫌いを表明されても困らない中国人ですが、こと異国でビジネス、生活をしていこうと考えている華僑にとって、嫌中には非常に気を使っています。この非常にナーバスな嫌中対策にも「温故知新」を使っている華僑は大勢います。

 その1つに、老子のある言葉を常に意識しています。「不敢為天下先」。敢えて天下の先を為さず。敢えて一番になって目立ってはいけない、という意味です。在日華僑の中にも上場企業の創業社長はいますが、いずれも数年で社長の座を譲っています。それほど、華僑たちはこの老子の言葉の「不敢為天下先」を大切にし、先頭に立つことを避けています。これはリーダーシップの放棄や、リーダーとなることを嫌悪しているのとは少し違います。同じく老子が人間関係の要諦の基本としてあげている「三宝」と絡めて、理解しているからなのです。 

生涯にわたって利益を生み続ける「三宝」とは


 三宝とは、読んで字のごとく3つの宝です。3つの条件をもった人物になりなさい、と解釈してもいいですね。それではその3つとはどのような条件なのでしょうか? 以下に説明していきます。

@慈のひと

 恵みを与えるひと、情に厚いひと、であることを指します。情に厚いというのは非常に難しいことでもあります。情が過ぎれば、注意すべきときに叱らないなど責任放棄にもつながりかねません。そうならないためにも情というものの扱いは非常に慎重にすべきなのですが、そこに自分なりのルールをつくっておけば、情が過ぎることはありません。そのルールとは「相手の限度を知るようにしておく」ということです。

A倹のひと

 日本語でもよく使われる「倹約」の倹ですね。何事も過ぎないことを意識し、少しだけ控えめにすることを指します。この倹は、たくさんの中国古典で出てきますので、華僑たちが特に意識していることの1つです。「知足不辱、知止不殆」。これも老子の言葉ですが、これは「止足の戒め」とも呼ばれ、日本でもよく偉人たちが口にしてきた「足るを知る」をさらにすすめたものです。「知足不辱、知止不殆」は、学校的日本語直訳でも十分にご理解いただけると思います。「足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆う(あやう)からず」=もっともっとという強欲を捨てれば恥をかかずに済み、ここまででストップという自制心があれば危ない目にあうことは激減するでしょう、といういましめですね。

B次のひと

 これは「不敢為天下先」を理解しているひと、ということになります。一番を取らないひとと言い換えてもいいかもしれません。これはどの業界を見ても実感いただけることだと思います。検索エンジンであればGoogle、スマホであればiPhoneと、トップを取ると必ず、トップ以外の会社すべてが1位めがけて作戦を練りはじめます。クラウド時代の今となっては懐かしいですが、ソニーがビデオの記録媒体としてベータを開発したものの、他社連合がVHSを導入したためにベータはほとんど日の目を見ずに姿を消したのを、ご存知の方も少なくないのではないでしょうか?

「三宝」を失わせるのは「三宝を持たないひと」


 三宝を胸に奮闘している華僑たちは、三宝を持ち続けるべく、三宝を持たないひとを寄せ付けないための努力も惜しみません。人間は言わずと知れた環境適応動物です。仲間内やよく接触するひとに三宝を大切にしていないひとがいれば、必ず自分の身にも火の粉が降りかかってくると考えているからです。

 では、三宝を大切にしていないひとの見抜き方をお伝えします。

@慈でないひとの見抜き方

 慈のないひとの特徴は、自分の利益にならないことはやらない、そして自分の利益と直接関係のないひとにはいい加減な対応をする、という傾向があります。現代社会において、自分の利益にならないことはたくさんあります。経費精算の遅れなども大きな額でなければ、直接自分の利益には関係ないことになります。このような処理をいい加減にするひとは関係者のひとへの気配り、慈が足りない証ですので注意が必要です。掃除のおばさんや、警備員のおじさんに横柄な態度をとるのは論外ですが、挨拶の1つもできないようなら、社会人としてのマナーに問題があると言われても仕方がありません。このようなタイプのひとも慈が足りない、という認識でも近からず遠からずですので、深く関わらないのが賢明です。

 ではこのようなタイプのひとが身近にいて関わらざるを得ない場合、どのように対処すればいいのでしょうか? これは小学生がするそれと同じように率先して実行している姿を見せることで、慈のないひとをけん制できます。小学生のころ、クラスに掃除をしない子がいたと思います。ですが、掃除をしない子の前で一生懸命に掃除をしていれば、掃除をサボっていた子もなんとなく居心地が悪くなって、一緒に掃除をするようになるというあれです。この同調圧力というものを使います。経費精算であれば、「よし、経費精算終了」と口に出してみるのもいいでしょう。掃除のおばさん、警備員のおじさんにも率先して挨拶するのです。「おはようございます」「いつもありがとうございます」と。

A倹でないひとの見抜き方

 これは簡単です。会社の備品の扱いやお金の使い方に表れます。会社支給のボールペンやパソコン、社用車に電卓など、これらを大切にできないひとは、倹約の心が乏しいひとと思ってもいいでしょう。例外はあれど、現在の日本社会は十分すぎるほどモノに恵まれています。モノを大切にする心がないひとは、いつも何か物足りないと感じている可能性があります。

 このようなタイプのひとには、それを伝えてはいけません。なぜなら、倹は自分で気づくものだからです。倹は謙と言い換えることもできます。謙遜の心、これは本人がどこかで気付くのを待つしかありません。待つのも、自分自身が倹を維持することにもつながるのです。足るを知る心で待ってあげる余裕が必要です。

B次でないひとの見抜き方

 これも見抜くのが非常に容易ですね。「私が私が」となるひとです。ただ、ここで注意点がひとつあります。それは序列です。序列がここでは仮に年齢として考えてみますと、若いひとが「私が私が」というのは積極性の表れであり、応援すべき行動です。ただし、むやみに一発逆転を狙うようなひとはAの足るを知らないひとに該当するかもしれないので、そこは見落とさないようにしたいものです。

 ここまで説明するとおわかりかもしれませんが。上の立場のひとが下の立場のひとに「私が私が」となっていれば、危険信号です。ですが、このBのタイプのひとは歴史が証明しているようにいつか必ず没落しますので、欲しいモノを差し出しても一向に構わないことになります。

 そうは言っても、ビジネス社会は競争が激しいのに差し出してもいいのか、と思う方もいらっしゃると思います。ただし、ビジネス社会は長期戦、人生はもっと長期戦、ということを思えば、長い目が必要になってきます。あくまで自分が三宝を大切にする人間であり続けるのが第一義ですので、グッと堪えるのも対策の1つになります。

 長い目で、ということを強調してきましたが、本稿をお読みの方の中には、いつかは部内でトップ、社内でトップ、業界でトップ、を狙われている方もいらっしゃるでしょう。ですが日本の諺にもあるように「驕る平家は久しからず」です。三宝を大切にしないひとが長くトップの座を維持することはありませんので、ご安心ください。実はこの長い目で行動をとるのは、ある側面から見れば非常にずるいやり方です。

 ですが、中国人社会では、「賢い=ずるい」「ずるい=賢い」と表現されることが多くあります。言葉が不自由な状況でもビジネスを成功させていく華僑流処世術がここにあります。ずるさを知りつつ、それを使わない。あるいは少しだけ周りの幸せのために使ってみる。なので、「ずるゆる」なのですね。

手柄を横取り! 涙の後に待っていた逆転劇


 それでは“ずるゆるマスター”の事例をみてみましょう。

 中堅広告会社の営業推進部に所属する課長補佐のYさん。部内の皆から人気の“ずるゆるマスター”の部長Cさんの部下でもあります。YさんはいつもCさんのことを尊敬しており、Cさんに教わったことはなんでも実行しようと心に決めている1人です。

 「またかよ、あのプレゼンは全部僕がやったのに」。大型受注で社内が沸いている中、Yさんは自席で宙を仰ぎながら「やってられないよ」と投げやりな気持ちになっていました。

 Yさんの会社はこの度、絶対に受注は不可能とだれもが思っていたある大手自動車メーカーのテレビCMの制作の年間契約を受注しました。しかもコンペに参加した9社の中で2番目に高額な制作費用を提示していたにも関わらず。この受注は自社の売り上げを1案件だけで30%もアップさせ、また非常に利益率の高いものだったので、社員全員が次回のボーナスの話で盛り上がっています。

 翌日、緊急招集がかかり全社員が朝礼に出席することになりました。「おめでとう! そしてありがとう、R課長。今回の案件に関しては社員の皆さんもご存知だと思いますが、R君がプレゼンからクロージングまで全身全霊をかけてがんばってくれました。本日から自動車メーカー制作部を発足し、R君を特任部長に任命します」という専務の言葉とともに、社長賞と書かれた賞状、それに辞令書が副社長からRさんに手渡されました。

 その晩、Yさんは“ずるゆるマスター”のC部長と、会社から少し離れた居酒屋で向かい合っていました。お酒の弱いYさんですが、今日はいつもと違い、ビールの乾杯の後、たて続けにハイボールを3杯も飲んだので、自制が効かなくなり涙が溢れてくるのを止めることができませんでした。

 「C部長。もう我慢の限界です。あのプレゼンはパワポによる資料の作成から、他社動向の分析、同社の今後の方向性の立案、そしてクロージング。全部、私がやったんですよ」

 「そうなんだ、なるほど。それはとても残念な気持ちになるのもわかるよ」

 「今回の案件獲得が認められて私は課長になれると確信していましたが、R課長、あっ今日からR部長ですね。そのR部長がうまくいったプレゼンのパソコン画面見せてくれる? って言われたのでノートパソコンごとお貸ししたらいつのまにか…グスン」

 「君が今言ったことが本当ならR君が1人であのプロジェクトを進めることはできない。そのときにきっと、Y君に声をかけてくるはずだよ。それはR君が一番わかっていることだから、そのときに、力を発揮すればいい。チャンスはいくらでもまわってくるものだよ、前を向いていたら。Y君が元気を出せるように司馬遷の書いた史記の素晴らしい言葉をプレゼントするよ。『一貴一賎、交情乃見』だ。ちょっとした浮き沈みに一喜一憂していたら、次のチャンスを見逃すよ、Y君には素晴らしい能力があるんだから」

 ずるゆるマスターのC部長はYさんが三宝を備えているのを知っていました。慈の部分でいえば、社員全体がボーナスのことで喜んでいるところ、だれがその仕事の手柄をたてたなどの皆が興ざめしてしまうような発言を飲み込みました。倹の部分でいえば、会社にしっかりと貢献したことに対して一切後悔はしていません、出世しか頭にないRさんに手柄を譲ったのは、「不敢為天下先 」のこころの表れでもあります、このような対応はなかなかできることではありません。

 翌朝出勤すると、新任部長RさんがYさんを待ち構えていました。「Y君。このプロジェクトを手伝ってもらえるよね? Y君をプロジェクトリーダーとして、課長補佐から課長待遇にしてもらえるように私から役員に伝えておくよ」

 「かしこまりました」と返事をしてYさんが自分の机に向かうと、Cさんからのメールが入っていました。「おめでとう、正式に課長になることが人事に認められたよ」。実は受注が決まったときに“ずるゆるマスター” Cさんは役員に抜擢されました。そのタイミングでCさんは、Yさんを課長にするように人事部長兼任の副社長の確約をとりつけていたのです。

 「三宝」である慈、倹、次、を理解しているひとは、三宝を大切にしているひとを陰ながら応援しています。派手さはなくとも、平常心を保ち、なぜかやっかまれないあのひとは、三宝を大切にしている“ずるゆるマスター”かもしれません。

このコラムについて

華僑直伝ずるゆる処世術
 世界各地に移住し、そしてその土地土地で商売を成功に導いている華僑。華僑は日本人ではなかなかマネができない“生き方のコツ”を持っている。“生き方のコツ”と一口に言ってもビジネス、家庭生活、対人関係、子育てなど多岐に渡る。本コラムでは、華僑の師から学び実践して結果を出してきた筆者が、生真面目な日本のビジネスパーソンにぜひ取り入れてほしい成功術を紹介する。華僑のずる賢くもゆるく合理的な処世術(世渡り術)はきっと仕事にも人生にも役立つはずだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/022500005/102800018/
 

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1. 2016年11月04日 12:47:56 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[99]
元々農耕民族である日本人から見て、元来騎馬民族である中国人
中国も南北問題の「葛藤」を抱えながら王朝交代や動乱の歴史を
築いてきたことは否定しようがないことでので、

上記をそのまま理解しては誤まります。
華僑には、客家のように、本来の古代中国の血をひく中国人が
多いのです。いわゆる(イスラエル)十支族の末裔、またそれ以前の
系図の末裔が客家です。

中国中原に侵入した、殺傷兵器を手にした騎馬民は
この国にも入り込んでいます。農耕や漁労で生活していた古代中国人(倭)を
南や僻地にに追いやっていったと同じことが
この列島でも起こっているのです。

ユーラシア、中国大陸などの歴史を
注意深く追ってゆけばわかることですが、
中国も日本も、世界的にも構成は似ていますといいますか、混乱の根は
(宗教的に)同じです。

遺伝子研究も、独立の機関ではなく、(これまでの)
権力側にある人々が、検体や血液を集め、調査・調査を
行っているのなら(それ以外の可能性は考えられません・・・)
もう終わりにしたい、悪魔の「政治」に反映させてきたはずです。
それは全体を幸福にするためでは
なかったのです。

中国のみなさんも、これではいけないと思ったから
古・旧きを訪ねて常に変化し、
光の世界向かおうとしているのですね。

明るい未来はそこにあります。

乱文申しわけありません。


2. 2016年11月04日 12:51:24 : RzOr01j02A : X0rqIHJ31aI[100]
ことばが足りませんでした。
一言でいうなら
客家の融和・調和の精神は、
日本でいうなら
聖徳太子。

すばらしいと思います。

中国では儒教の精神と対立した
墨子を思い出します。

今後のアジアにも、世界にも、
光あれ。



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