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★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
2013年から「変換の仕組」が始まり、2025年頃から「転換の仕組」が始まると、想像します。
シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。
(今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。
★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。
(慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。
★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。
(日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。
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@ ところで、『第二次大戦、北進論・南進論、ゾルゲ事件の、謀略の陰謀論』に、ご興味をお持ちでしょうか。
今回は、毎回の「日月神示の研究」を離れて、「陰謀論」に花を咲かせたいと思いますが、書き過ぎると、「モスクワ」から石が飛んで来るので、詳しくは、「古書店」などで、文献を見つけて下さい。
★ 政治の世界は「魑魅魍魎」であり、テレビ・新聞は、『氷山の一角に過ぎない』という事です。
A 初めに、スパイ大作戦の「ゾルゲ事件」とは。
「ゾルゲ」は、旧ソ連のスパイとして、日本に滞在して「日ソ戦」の有無を探っていた。
昭和16年6月から「独ソ戦」が開始されたが、(同年の7月・8月の日本陸軍70万人による「関東軍特別演習」を受けたために)、「スターリン」は極東方面軍をドイツ戦線に送ることが出来なかったが、
『日本軍のシベリア侵攻は無い』との「ゾルゲの情報」により、スターリンは、陸軍などを西部方面に送ることが出来て、ドイツの侵攻を防衛した、らしいそうだ。
その後、同年の10月に、スパイとして尾崎秀実・ゾルゲらが逮捕された事件だった。
B−1 開戦前の「時系列」の確認。
昭和15年9月 ドイツが、ロンドン空爆などで、イギリス侵攻を開始。(「独ソ戦」まで継続)。
昭和16年6月 ドイツが、ソ連に侵攻して、「独ソ戦」を開始。
昭和16年6月 日本は、大本営政府連絡会議で、ドイツと呼応して「対ソ戦」を議論。(北進論)
昭和16年7月 日本は、北部仏印の陸軍を南進させた。(南進論)
昭和16年7月 日本は、対ソ戦計画のために、「関東軍特別演習」を行った。(北進論)
昭和16年8月 アメリカは、日本陸軍の南進に対して、日本への石油の全面禁輸を発表した。
昭和16年12月 日米戦争開始。真珠湾攻撃。
B−2 鉄鋼(粗鋼)の昭和16年ごろの最大生産予測(昭和15年実数)と、日米戦の回避の真実。
アメリカは、予測7,500万トン(昭和15年実数6,100万t)。
日本は、予測700万トン(昭和15年実数690万t)。(アメリカの十分の一)。石油生産については微々たるもの。(要確認)。
「日米開戦」前の、日本の石油・鉄鋼・その他の戦略物資の備蓄は不明だが、2〜3年程度は持ちこたえられる備蓄が有ったと言われている。
★ 陸海軍元高官らは、『日米の格差は十数倍あり、絶対に勝てないから、戦争したく無かった』。
B−3 本当は、日本の国策・国論は、揺れ動いて、コロコロ変わっていた。
(ある文献によれば)、昭和16年6月27日の「大本営政府連絡会議」において、松岡外相は、『先には「南進論」を述べたが、今は「北進論」に転向するから、ソ連を攻撃すべきだ。
今、
南進政策を実施すると、米英と衝突し、(三国同盟により)アメリカがドイツに参戦するから、ドイツが不利になって、ソ連が生き残り、結果、日独の両国は敗北するだろう』と主張した、らしいそうだ。
B−4 ヒトラーは、「日米開戦」を待ち望んでいた、らしい。
(ある文献によれば)、松岡外相は、昭和16年3月に、ドイツのベルリンを訪れて「ヒトラー」と会談し、その後の4月にソ連のモスクワを訪れて「スターリン」と会談しているが、
ヒトラーとの会談で、ヒトラーは『日本はシンガポールを攻撃してイギリスを駆逐すべきだ』と述べた、らしい。
★ ヒトラーは、『日英が交戦すると、結果、アメリカの対日参戦』を予測していた事になるが、
その一方で、
ヒトラーは、『イギリスと交戦中だから、アメリカの対ドイツ参戦が視野に入っていた』訳であり、
ヒトラーの発言の裏には、
『日本が対米開戦を遅らせ中止すれば、ドイツ単独の「米独戦」になり敗北するから、「米独戦」の前に「日米戦」を開始させて、アメリカ軍を東西に二分させる』思惑が有ったかも知れないが、
そうだとすると、
巷間に云われる『日米開戦によって、米独戦も自動的に開始されて、ヒトラーが落胆の深い溜め息をついた』というのは、全くの間違いという事になる。
(ヒトラーは、(昭和16年6月からの「独ソ戦」に入る前の)昭和15年9月から、「ロンドン空爆作戦」を何度も行ったが大敗北し、快進撃を続けたドイツにとって大打撃だったが、(イギリスを支援するための)アメリカの参戦が視野に入っていた)。(★非公式には、既にアメリカ軍がイギリスを支援していた)。
B−5 「真珠湾」以前に「太平洋戦争」が静かに始まっていたが、昭和16年12月の開戦については、
第1には、冬場には、仮に、ソ連がアメリカと同盟したとしても、満州を攻撃できないからであり、日本としては、冬場に南方を攻略して、春以降は満州の防備を固められるからであり、
第2には、(米英ともに、日本との戦争は確定路線で有ったから)、米英は、フィリピン・マレー方面の戦備を拡大させていたが、開戦が遅れると日本が不利になると分かっていた事であり、
第3には、1月からは、サイクロンの影響で、南方の海上が大荒れになり、波が荒くて、海上作戦に支障が出るから、12月上旬までに「南方作戦」を決行しなければ成らなかった。
C 「ゾルゲ事件」が、茶番で、三文芝居だった、その理由。
「ゾルゲ」が日本の「南進政策」をモスクワに送ったのは、実は、日本の作戦だったと言う「トンでも論」が有る、らしい。
日本は、(「独ソ戦」に呼応して)ソ連を東西から屈服させたうえで、南方を攻略する「北進論」と、
ソ連がドイツの防衛で満州に侵攻できないから、その間に南方を攻略する「南進論」が有ったが、
東條内閣に交替しても方針がコロコロ変わり、12月に開戦するまで確定することが出来なかった。
だから、外交ルートで「南進」をスターリンに告げられず(告げても疑うだろうし、罠だと思って逆に極東の防衛を強化するかも知れないし、通告すると米英が態度を硬化させるだろうから)、
結局は、
ゾルゲに報告させようという判断で、ゾルゲに必用な情報を与え、スパイ活動を黙認したが、(残念ながら)スターリンは、ゾルゲの情報を疑って「冬将軍」の到来まで極東方面軍を移動させなかった。
ア) ゾルゲがスパイであることは、初めから、皆が知っていた。
ゾルゲは、元々、ドイツ国内で「共産主義者」だったが、来日前に上海に駐在した「ソ連のスパイの中心人物」であり、当時、上海の「尾崎秀実」とも交友したから、世界の「情報網」にキャッチされていた。
その後、
日本に入国したが、派手に「在日スパイ」・「共産主義者」らと交友し、頻繁に「怪電波」を発信していたから、「当局」がマークするのは、当たり前の話だった。
イ) 尾崎秀実が共産主義者でスパイであることは、「当局」には分かっていた。
尾崎秀実は、東京帝国大学在学中から「共産主義者」で、新聞社員として上海に派遣されて「中国共産党」・「ゾルゲ」らと交友を重ねたから、世界の「情報網」にキャッチされていた。
(★ 戦前の外交官・新聞特派員・商社マンは、小学生でも知っていた「スパイの御三家」だった)。
そして、日本に帰国後の尾崎秀実は、日本に滞在したゾルゲと度々密会したために、「当局」から当然にマークされたが、二人の「仲良しさん」は「公然の秘密」でも有った。
(★ 尾崎秀実が、「敵のスパイ」かは疑わしく、スパイを装い情報を入手した「日本側の工作員」の可能性が有る。(つまり、ゾルゲの送った情報を、日本側「当局」にリークしていたかも知れない)。
そして、
彼は、昭和16年10月に逮捕されたが、死刑執行は昭和19年11月であり、日独の敗戦が確実に成ったから『俺たちも後に続くから、申し訳ないが、先に行って、待っててくれないか』かも知れない)。
◆ こちら側が「部外秘」程度の情報を与える交換に、相手側の「国家機密」を聞くのは、スパイ間での日常取引であり、国家の黙認行為であり、『肉を切らせて骨を切る』のが謀略の世界なのだ。
C−2 残念ながら、スターリンは、ゾルゲの情報を評価しなかった。
独裁者の「スターリン」は猜疑心が強く、自分以外の人間を信用しない人間だった。(だからソ連内部での権力闘争に最後まで生き残った)。
そして、
スターリンは、常にスパイの報告を疑ったが、特に、ゾルゲが「ドイツ系」であるため「ドイツとの二重スパイ」を疑い、ソ連と敵対するイギリスのスパイの「三重スパイ」の可能性までも疑っていた。
(仮に、ドイツの二重スパイなら「親ドイツ」の情報を送るだろうし、イギリスのスパイなら「嫌ドイツ」の情報を送り、「独ソ間」を引き離すための(真偽不明の)情報を意図的に送るだろう)。
また、ソ連は、世界各国に大量のスパイを放っていたが、ゾルゲと一致する情報も有れば相反する情報も入手していたから、ゾルゲの情報に疑問符を付けていた。
また、日本が「対米決戦」を行うことは、開戦前の日本国民が広く感じていたことだったし、世界各国の首脳・情報部も熟知する「既定路線」だった。
そして、
「北進論」と「南進論」は、日本国内でもコロコロ変わり、スターリンは、日本軍の「シベリア侵攻」の有無を判断できず、シベリアに「冬将軍」が訪れるのを待った。
(同じく日本側も、ソ連軍が満州に侵攻するのを恐れ、(背後から襲われるのを恐れ)、「冬将軍」の到来を待ってから、「南方攻略」に全力を注ぐ事になった。
★ 結局、
「冬将軍」の到来を待ってから日本もスターリンも動いたが、「北進論」が『そんな結論に至る事はヒトラーにも分かっていた』し、アメリカ・イギリスも、当然に分かっていた事だった。
D 世の中は、権謀術策、「孫子の兵法」のオンパレード。
ヒトラーは、イギリス侵攻作戦で「ケチ」が付いてからは、(単独での)アメリカとの全面戦争を避けるために、日本を巻き込んで、アメリカ軍を東西に分散させて、ソ連を奪う作戦を立てた、らしい。
また、
ヒトラーは、アメリカの参戦を早期から予測したが、イギリス侵攻作戦が挫折すると、ソ連を降伏させてから、全軍を西部方面に集結させる作戦を立てた、らしいそうだ。
スターリンは、(謀略を用いて)日本を「南進」させ、日本が躓(つまず)いたら、一気に「満州」を乗っ取る作戦を立て、アメリカを戦争に駆り立ててドイツと戦わせる作戦を立てた、らしい。
アメリカは、徐々に日本を追い詰めて、日本の権益を残らず奪う作戦を立てた、かも知れないが、
★ 回顧録などは、「ウソのオンパレード」であり、真実は「歴史の闇」に封印されて誰にも分からない。
E 最後に、ルーズベルトの「3選」で、全てが吹っ飛んだ。
ルーズベルトは、初代ワシントン以来の「3選禁止」の慣例を破って、昭和16年1月から3期目の大統領職を継続したが、大統領の交代を予測した日本やヒトラーにとっては「大ショック」だった。
『中国・イギリスが大好き』なルーズベルトの継続は、日本・ヒトラーには「絶望」だったが、チャーチル・蒋介石・スターリンには「希望」であり、ここに、日本の忍耐は水泡に帰してしまった。
★★ これ以上書くと、モスクワどころか、ワシントンからも、「石」が飛んで来るかも知れないので、これで、お仕舞いです。
F★ 毎回における、お断り。
私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。
★ どう思われますか。
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