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★ 第7次太陽系次元は、ノストラダムスの1999年で終了ベルが鳴り、マヤの2012年で完結しました。
2013年から「変換の仕組み」が始まり、2025年頃から「転換の仕組み」が始まると、想像します。
シリウスの2037年か、ヒトラーの2039年か、日月神示の2041年か知りませんが、消滅する、らしい、そうです。知りませんが。
(今は、アセンションのための変換中であり、「富士と鳴門の仕組」が、年々、加速度的に過激化します。知りませんが)。
★ 私たちの世界は、いわゆる「量子コンピューター」で構築された「お花畑」です。遠い未来科学のVR(バーチャル・リアリティー)です。
『五官の作用は電気信号です』。「水槽の脳」に無線で電波を通信すれば、どんなコンピューター・グラフィックも一瞬で作り出せます。
(慈悲・慈愛を生活の根幹として、科学的・論理的に思考し、シーケンサー的に判断し、「社会通念上の客観的合理性」で行動すべきでしょう)。
★ 日本人に対する「予言・メッセージ」は、直接、日本人を通して下されるはずです。外国人に下された予言は、その下された外国人にのみ適用され、日本人には適用されないかも、知れません。
(日本人に対しては、日本人の神が守護しているはずですから、外国の神に委任契約・請負契約などは締結しないし、事務管理も期待しないと、思います)。
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@ ところで、「『石屋と手を握れ』という、無茶苦茶な「仕組」の考察」に、ご興味をお持ちでしょうか。
A★ 初めに、お断り。今回は「日月神示」の部分に限定して、記事にします。
「石屋」は非常に大事なテーマですが、記事にするのは色々と難しいのです。つまり、石屋から石が飛んできて、当たると痛いので、日月神示の部分に限って記事にします。
B 『石屋と手を握れ』、という「日月神示」における、根拠。
『岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、・・・コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ』(下・22)。
★ 『コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ』は、直訳すると、『この鍵は、石屋と、しか、手握ることぞ』が考えられそうです。
(『シカ』は、「確(しか)と」・「聢(しか)と」で、『たしかに、はっきりと』の意味だろうと思います)。
C そこで、日月神示での、「石屋」の文節・語句の、一部を抽出する。
ア) 『知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならん・・・イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり』(下・16)。
『今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ』(下・16)。
イ) 『ナルとは成る言(コト)ぞ。成るは表、主(曰(シ)ゆ)ぞ。ウムとは (ウム)のこと。生むは裏、従(二ゆ)ぞ。
ナルは内、ウムはソト。ナルには内の陰陽合せ、ウムにはソトの陰陽合せよ。
成ると生むは同じであるぞ。違ふのぢゃぞ。成ることを生むと申すことあるぞ。生むこと成ると見ることあるぞ。
ナルとは (ナル)こと、自分が大きく成ることぞ。自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。
このこと判れば石屋の仕組判る。』(黄金・47)。
(★本当の「石屋の仕組」には深い意味が有るが、今回は『たのしい陰謀論』の部分に限定です)。
ウ)★ ↑ 上記(イ)のイメージとしては、
「成る」とは、受精卵の細胞分裂のように、「一個の自分」の内側に自分が増殖し、最後には、完成された一個の『成人』がイメージされます。
また、この点について、『天国と申すのは一人の大きな人間であるぞ』(白銀・03)に符合します。
(この場合の人体は国家であり、細胞が国民の一人一人に相当します)。
また、
「生む」とは、癌細胞の肥大化のように、自分の外側に自分のコピーを作って、次々に拡大するイメージがします。あるいは、「スズメバチ」が、次々に子供を作って、大群に発展するイメージ。
あるいは別に、「生む」とは、欧米列強が、戦争や「植民地主義」で領土を増やすイメージ。「成る」とは、日本が、龍体日本を「不沈空母」の要塞化にして、専守防衛するイメージ。
D 上記の、「成る」・「生む」の例え話と、イザナギ・イザナミの「紅白戦争」(VRゲーム)。
先の大戦での日本の敗因は、日本が『生む』路線を採り、「半島」・「大陸」に進出し、「満州国」を建てる「植民地主義」を採ったが、神の逆鱗に触れ、また、欧米との対立を招いたかも知れません。
そして、また、大戦後には、
『生む路線』の列強は植民地を失い、国内に異民族を抱えるなどの「後遺症」に苦しんでいます。
ところで、
日本の敗戦の遠因は、「徳川日本」の三百年の鎖国政策によって、情報収集や科学技術の更新を怠ったのが遠因であり、『一つの政策ミスが国家の存亡に繋がる』、という事だと思います。
(とは言うものの)、
「石屋」は、イザナミの「霊的指導」を受けながら、日本の「活路」を塞いで追い詰めた訳ですから、「紅白戦」はイザナミの勝利ですが、最後に、『イザナギが「ちゃぶ台」を引っ繰り返す事でしょう』。
E 「石屋」と手を握る必要性について。
ア) (今までに何度も言いましたが)、この世は、「思考と体験」のために、「対立構造」に作られているのです。イザナギの「精神化」と、イザナミの「物質化」です。両者は車の両輪です。
すなわち、
『智慧と、愛が主の座に居らねばならん。』(黄金・86)。
また、
『愛の人間は深く、智の人間は広く進むぞ。経(タテ)と緯(ヨコ)であるぞ。二つが織りなされて、結んで弥栄える仕組。経のみでならん。緯のみでならん。』(黄金・91)。 (つまり │+ ━ = ✚ )。
つまり、
「愛」だけでは文明しないし、「知恵」だけでは「機械人間」になってしまうから、『愛と知恵を具備した「神人」に成れ』ということで、これが、人間の生きる意味です。「VRゲーム」の基本構成です。
イ) 「石屋」は、(霊的に)イザナミ(スサノオ)の系統かも、知れません。
『神の人民 世界中に居るぞ』(空・09)。。『顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ』(上・15)。
★ 外国人の中にも、「神の人民・神の臣民」が居るということです。(つまり「霊的日本人」)。
『元は元、分れは分れ、元と分れ、同じであるぞ、別であるぞ』(空・10)。
『世の元からヒツグとミツグとあるぞ・・・ヒツグはまことの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ』(上・32)。
★ 元・ヒツグ(日継ぐ・火継ぐ・霊継ぐ)・神の臣民が、「イザナギの系統」で「愛・精神化路線」、
別れ・ミツグ(水継ぐ・身継ぐ)・外国の民が、「イザナミの系統」で「知恵(応用科学)・物質化路線」かも知れません。
ウ) イザナギの「愛」では、イザナミの「知恵」には勝てない。
「愛」・「大和魂」のイザナギの「神軍」は、「科学技術」・「孫子の兵法」のイザナミの「魔軍」には勝てません。たとえると、「B29」に弓矢で応戦したり、戦車に「竹やり」で立ち向かうようなものです。
つまり、
愛は「内に働く力」であり、知恵は「外に働く力」です。だからこそ、両者を兼備して「難攻不落の不沈空母の日本」を築けということかも知れません。
F 『石屋と手を握ること』は、可能か否か。
ア) 石屋は「水」であり、日本人は「火」ですから、相性が悪くて、手を握ることは叶いません。
ですから、神示にも有るように、
『反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、・・・それが岩戸ひらきぢゃ、』
(碧玉・01)。
★ ここでいう「立体」とは、 ( │+ ━ = ✚ )かも知れません。
イ) 神示には、『十二の玉を十まで生んで、後二つ残してあるぞ』(秋・21)、と有りますが、二つが「石屋」かも知れません。十二とは「イスラエルの12部族」のことでしょうか。
また、
『火と水で岩戸開くぞ・・・悪も御役であるぞ』(天・04)、と有り、石屋の肉体が外国人でも、霊的にイザナミ(水)の系統なら、最後にはイザナギ(火)の日本人と合流すると言う事でしょうか。
ウ) しかしながら、「この世」は、「VRゲーム」に過ぎませんから、ゲームが終われば、「石屋」と手を握り合うことも無く、次の「夢の世界」に旅立つのかも知れません。石屋も日本人も、所詮は「夢」です。
G★ 毎回における、お断り。
私は、単に「アセンションごっこ」をして遊んでいるだけです。私の毎回の投稿は「妄想」であり「お花畑」に過ぎません。毎回の全ての記事は、「自己責任」で判断して下さい。よろしいですか。
★ どう思われますか。
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