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古典ギリシャの詩 3 ギリシャ文化を、2重構造で見る 2
1、ギリシャ文化の下層部分を見る:わたしがギリシャ古典期をつくったと思っているギリシャ先住民族系の文化は、はてしないなぞにみちている
・先住民族系の文化はクレタ島が中心だった。クレタ文化という。エテオクレタ人の文化である。ギリシャ本土や島々はキュクラデス文化とよばれ、ペラスギ人の文化であるらしい。
かってギリシャ先住民族系の文化はクレタ島を中心に築かれたが、これについて、なにもかもわからないことだらけである。これをクレタ文明というが、一般的にはミノア文明という用語があり、ギリシア人の王ミノス王にちなんだ名称であり、ミノア文明という名前は不適当である。
また、アナトリア、小アジアでも侵略民族ヒッタイト人の侵入まえの小アジアの様子は、まるでわかっていない。鉄はヒッタイト人が作り出したと思われているが間違いで、そのまえの原ハッティ人が作り出し、それを奪うため、ヒッタイト人が北のコーカサス西辺から侵入したのである。原ハッティ人時代のアナトリアは、1万年以上続く平和な世界だったようだが、なにもわかっていないし、西欧はわかろうともしない。ヒッタイト以前の住民が、非印欧語系だからであろう。無数の都市遺丘が、手つかずで放置されている。
さて、クレタは、母権性の社会であり、きわめて女性の地位が高かったらしい。だが、のちのギリシャ世界には、この世界の女性の名はいっさい伝わらない。倭国が卑弥呼の名を伝えたようなことは、ギリシャ世界ではおこらなかったのである。いかに、アカイア人(英雄たち)の破壊と殺掠が徹底してひどかったことが、これでもわかる。先ギリシャへのアカイア人ドーリア人の大規模な破壊と殺掠と隠滅ぶりは、西欧が語らぬタブーのひとつであろう。
さて、アカイア人の王ミノス王は、紀元前1500年ころ、クレタ島に侵入し、それまでのフェニキア王を放逐した。フェニキア王とは、おそらく紀元前1600年ころのテラ島噴火災害にじょうじて、クレタ島を占領していたのだろう。フェニキアの海洋帝国は、ここから始まる。
とうじ、アカイア人の王ミノス王は、アカイア人同盟たちと、トロイ戦争のように、先住民族系の連合であるアテネやフェニキアなどと戦って勝ち、クレタにミケーネ諸帝国のひとつミノア王朝をうちたてたのだ。この紀元前1600年のテラ島噴火災害から紀元前1500年のミノス王朝成立までの100年間とは、クレタ島住民の地獄であったのだろう。倭国壊滅の九州の地獄と似ている。
あるいは、ミケーネ文明時のクレタさえも混乱にみちているようだ。ダイダロスの逃亡やテーセウスのミノタウロス退治などの伝説がある。だが、紀元前1600年から紀元前1500年ころの100年間で、基本的には謎のクレタ文明は、フェニキア人やアカイア人の侵略、虐殺で、完全に滅びてしまったとみるべきであろう。
この発端は、紀元前1600年ころテラ島の史上最大級のカルデラ噴火である。この災害を過小評価する研究者もいるが、いっけん文明が継続しているかのような、土器の編年があるからだ。日本の弥生時代、縄文時代と言っても、権力の推移を言わなければ、意味のない言葉である。意味のない言葉から、災害を過小評価しても、さらに無意味になる。ただ仮の時代区分にすぎないわけだ。
紀元前1500年ころからのミノア、ミケーネ文明は、前代のクレタ文明とは、まるで別の世界であろう。これをひとつの文明とみるアカデミズムとは、弥生式土器がでてきたらすべて弥生時代というようなものだ。
線文字Bが、線文字Aと違う以上の差がある。倭国滅亡後の、大和朝廷、奈良、平安が、ほとんどなにも生み出せなかったのとよく似ている。あるいは、いまの権力中枢のように、道徳も教養もなにもなく、権力者は、これ以上ないほどの侮蔑を国民から受けている政権が、なんらかの価値をうみ出せるとは思えない。倭国滅亡後も似たようなものだっただろう。
かって、クレタ島もエーゲ海も小アジアも、全体がゆるやかな連邦制の都市国家群であったようだ。紀元前1万年前から続くのだ。ここがおそらく、人類世界の中心であったと思う。
エジプトやシュメールなどは、まえ書いたように、辺境世界であったと思う。鉄製造国家という、工業国家、太陽神崇拝という古代世界の宗教の中心、西王母なるアリンナ女神の女祭司。ヒッタイト帝国と異なり、女祭司(女王)が、王(男)より、権威があったのだ。
これらは、人類世界の中心がどこであったかを暗示する。中国は、殷、周王朝まで西王母の属国だったが、ヒッタイト帝国が壊滅し、残った自分たちが世界の中心であると中華の名で宣言したのだ。
・古代世界の残存、シリア
いまも、シリアにはダマスカス鋼、繊維工業のダマスク織り、アレッポの石けん、フェニキアの染色などが残る世界最古の世界がある。いちばんの財産は、国民の士気だ。今回のシリア戦争ほど、シリア国民の勇壮なる士気を見た経験はない。いまでも、ある意味、人類世界の中心はシリアであるなあ、と感無量を覚えた。
クレタ島もエーゲ海も小アジアも、フェニキア人やイオニアのギリシャ人、アカイア人、ドーリス人、ヒッタイト人の侵略までは、平和的な人類の1万年続く世界であったのだろう。平和的な人類の1万年続く世界の残存が、いまではシリア国に代表されて、現代世界にあるのだ。日本は残念なことに、戦争国家をひた走っている。
・人類の歴史とUFO問題
この平和的な人類の都市国家群を壊滅させようとたくらんだ存在がいた、というのが、わたしの歴史考察の原点であった。UFO問題追求の原点であったのだ。
なぜなら、ここには、紀元前1200年のヒッタイト帝国の天然痘パンデミックの壊滅があった。そして、紀元1400年ころの西欧中世にも黒死病パンデミックがあり、そのなかからイルミナティが誕生する。これらは「エデンの神々」にあるように、じつにUFO問題なのである!
人類の歴史とUFO問題とは、おそらくは切っても切れないきわめて深い関係なのだ。
わたしのUFO問題追求は、ここから出発している。人類の歴史を探る中から、出てきた問題意識である。そういう意味では、ウイリアム・ブラムリーの「エデンの神々」とわたしはきわめて近い動機なのである。わたしの歴史探究のなかで、ブラムリーは、ただひとり出合った同じ方向の探究者であった。
・ヒッタイト人のアナトリア侵略で、のがれた原ハッティ人がクレタ島に避難
さて、そのまえには、紀元前2000年ころ、ヒッタイト人のアナトリア侵略で、そこから、のがれた原ハッティ人がクレタ島に避難していた。1万年前から続く高度な文明をもっていた原ハッティ人は、先住クレタ人と平和的に融合していたようにみえる。クレタの発展が、ここでさらにおきていたからそれがわかるのだ。地中海交易をしていたらしい先住エテオクレタ人や先住ペラスギ人は、エーゲ海世界、地中海世界を発展させていった。
この歴史にも、北方からのギリシャ人の南下やフェニキア人の侵入などがありそうだが、紀元前2000年ころから紀元前1600年ころのテラ島噴火までの400年間は、見通すことができない。研究はいろいろあるのだろうが、関心を持つ人がいないのか、日本語になっている情報がないようである。
3、クノッソス宮殿の起源 (これはクノッソス神殿というべきか)
https://www.youtube.com/watch?v=uAm3dsk67RE
https://www.youtube.com/watch?v=btGGTkext5k
紀元前2000年ころの原ハッティ人の到来と同時にクレタ島に神殿(いわゆる宮殿)がつくられる。先住クレタ人は、大地母神崇拝、原ハッティ人は太陽女神崇拝であった。この2つが合祀、融合したのが、いわゆるクレタの宮殿、正確には神殿であったと思う。だが、ほんとういうと、神殿であったかもわからない。なぞの施設なのである。
先住クレタ人の大地母神崇拝が、どのようであったかは、はっきりとはわからないが、クノッソスの西部分の神域のようでなく、むしろ東南部の地の深みに関係する神域であったと思う。すくなくとも2つの神殿が合体していたのだと、わたしは思う。
むろん、これらは、フェニキア王や、アカイア人の王ミノス王のときは、神殿は王宮、宮殿に転用されたのであろう。ミケーネ文明の諸王宮は、あきらかに防御を目的としたつくりになっているのとは対照的なつくりが、クレタのクノッソス宮殿(じつは神殿)の特徴である。
発掘者の英国人のエバンスにとって、りっぱな建物は、王宮以外はありえない、宗教的建物ではありえない、という英国人的先入観、固定観念でしか、クノッソスの建物が見えなかったわけだ。アカデミズムは、だんだんおかしくなってきて、いまでは祭司王なる概念をもちだしたが、王宮があったなら、いまのイラクリオンなる町中にあるのがふつうであろう。
残っているのは最末期のアカイア人の王ミノス王の住居だったのかもしれないが、それでも盛時の華やかさを持ち、宗教的建物には見えなかったのは、固定観念の強すぎる英国人のエバンスにとってはしかたがなかったことかもしれない。
クレタ以外のギリシャ本土は、アカイア人のクレタ侵略前に、すでにアカイア人の手におちて、ミケーネ諸帝国が出来ていた。こちらの遺跡は、防御堅固な王宮である。多くの先住民を死ぬまで使役してつくられた構造にみえる。まるで、いまのシリア市民を死ぬまで使役してつくられたISISのダマスカスのグータの地下基地の話みたいだ。ここでは5000人の市民が救出されるまでには100人ほどに減ってしまっていた。西欧マスメディアが、だまりこくる米軍/ISISの闇である。
4、ギリシャ文化の2重構造の下部には、われわれには、完全に理解できない謎の文明がある
クレタの文明とは、その絵画的、芸術的成熟という面でも、いまの西欧の文化をはるかに超えた文明だったからエバンスが理解できなかったのは、しかたがないことなのだろう。いまの西欧人でさえも、まるで理解できない世界が、クレタの文明だと思う。
理解できないということすら、いまの西欧人はまるで理解できない、とわたしは思っている。なぜなら、それについて、書かれたものを見たことがないからだ。まるで興味本位な解説しかない。ギリシャ古典期と結びつけないから興味本位にならざるをえないのだ。
もちろんわれわれ日本人にも、わたしも、まるで理解できない謎の文明なのだ。われわれとは、完全に異質な文明世界が、ここにはある。ひょっとすると、真の人類文化の価値を創造したといえるのかもしれない。
この真の人類文化を、壊滅させたい、ある存在がいたという仮定で、それを解明するため、わたしのUFO問題の追及は始まった。クレタ文明の存在と壊滅が、わたしのUFO問題の出発点であった。
ギリシャ文化の2重構造の下部にあり、もちろんわたしにも理解できない謎の文明があるのだ、ということを、わたしは長年、自覚し続けた。残っているのはフレスコ画や土器などであり、文字はないわけでないが、線文字Aやハギア・トリアダのファイストス円盤のように限られている。線文字Aは、クレタ島だけの範囲であることは、クレタ島が、独特の文字文明圏をつくっていたことを意味する。世界でもなぞの独特な世界だ。
この最古層の先住民族系文化、エテオクレタ人の文化とは、いまの現代文化よりも、はるかに爛熟していた。
ふつうに乳房を出す女性の衣装やまるでビキニ水着のような女性の祭司服さえもある!女性の裸体の美を隠そうとも、いっさいしないふしぎな世界であった。しかし、のちの世界と異なって、性については、きわめて厳格であったらしい。また、社会での女性の地位はきわめて高かったらしい。のちのギリシャ社会とは、正反対であった。とりわけ、都市では、長く水洗トイレがふつうであったことほど、おどろくべきことはない。どういう世界だったのだろう!
とうじのことは、フレスコ画でしかわからないが、その主題には、社会のさまざまな痕跡が残る。歌や踊りがあっただろう。スポーツもあっただろう。おそらくは、哲学もあった。法も議会も民主主義もあった。のちのクラシック期のギリシャの世界、古典ギリシャの世界のすべてがおそらくあった。
ないのは奴隷制だけであっただろう。なぜかというと、これは戦争文明ではなかったようだからである。戦争文明では、頂点以外は、すべては奴隷なのだ。かれらの価値観は、軍事的優越感であり、相手を軽蔑することである。相手に軽蔑と権力をふるうことが、戦争文明のピラミッドの原理である。
これはグレイ文明だ。かれらは、人類より精神的には、はるかに劣った文明なのであることが、わたしには、だんだんわかってきた。いくらUFOを持っていたとて、だめなものはだめである。劣ったものは、劣ったものでしかない。
5、ギリシャ文明では上層と下層のあいだに、まるでちがう2つの世界がある
このように、ギリシャでは上層と下層のあいだに、まるでちがう世界があり、上層だけ見ていると、なにもわからないのだ。かえって日本の謡曲のほうが、ほっとするわけだ。
だが、じつをいえば、2重構造というより3重構造になる。古典期からアカイア・ミケーネで2重、その下のクレタ文明で3重構造になるからだ。さらに、ドーリス人やフェニキアを入れたり、原ハッティの避難民などを考えるとさらに複雑に重層化しているのが、ギリシャ世界である。
ギリシャの詩や文芸は、この重層化した歴史と文化の世界を意識しないと、真に理解したと言えないと、わたしは思ってきた。しかし、たとえば高名なギリシャ学者、高津春繁などの本をみても、こういった認識は、いっこうにない。問題意識は、完全に皆無である。
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