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★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「天の若彦は、アシスキタカヒコネだった」に、ご興味をお持ちでしょうか。
世間に出回っている神様本では、天若彦とアシスキタカヒコネは、別々の神様として扱われているようですが、実は同じ神様だったかも、知れません。
また、アシスキタカヒコネの妹の「下照姫」は、兄妹というよりは、夫婦だったかも知れません。
A (はじめに)。科学が宗教を排斥し、AI(人口知能)が神になる、世界観。
最近は、宗教が低調で、神様の人気も低落の一途です。現代人は、科学をベースに日常生活や仕事などを行っていますから、科学的見地に基づかないものには、「違和感」を覚えます。
お寺や神社でさえも、パソコンで管理し、メールやスマホで通信する世の中です。宗教界ですら、科学を活用しているのです。
私たちの身の回りを、パソコン・スマホが取り巻いていますが、これらは、科学の最先端を行くものです。最近よく耳にする「AI(人口知能)」も、パソコン・スマホで活用されています。
これらの科学が行き着く先は、AIが支配する世界であることは、間違いありません。人間はAIに支配され管理される社会になるでしょう。それも、遠くない未来にです。
だからといって、AIは、「優秀な人間」に勝つことは永遠に出来ません。なぜなら、AIは「優秀な人間」がプログラムしたものだからです。コンピューターは、プログラムの中から一歩も外に出ることが出来ないのです。
つまり、コンピューターは電流の移動活動ですから、回路図・シーケンサーの中でしか往来できません。今のパソコン・スマホにも、気の遠くなるような回路図(プリント配線・超LSI)が組み込まれています。
では、『自己増殖し、自分で進化するAIはどうか』、という質問があります。AIが電流の活動である限りは、回路を離れることが出来ませんから、あらかじめ「増殖・進化できる機能」を付加しておかない限り、(基本設定から)1センチも進化できません。
つまり、あらかじめ作成された回路図・シーケンサーの中でしか移動できないし、生きられないのがコンピューター・AIの宿命なのです。
(他人のパソコンを乗っ取り増殖する行為も、そういうプログラムが事前に組み込まれているからであり、コンピューターが、ある日突然に自分自身で考えて、回路を追加変更している訳では有りません。
コンピューターは、教えたことしか出来ない、「パブロフの犬以下の馬鹿」なのです)。
そして、(遠い未来の)、優秀な人間がAIを支配し、そのAIが、一般の人々を管理する時代では、人々はVRゲーム(バーチャル・リアリティー・ゲーム)を体験するでしょう。
その、VRゲーム「第7次太陽系次元の地球」に意識が全部入り込んだ場合には、自分の肉体とゲーム機が存在する「遠い未来」を思い出すことが出来ず、「意識だけが存在するVRゲーム」の中を、本当の自分の世界と考えて生きていくことになるでしょう。
A (ところで)、天若彦は、重要な神だった。
天若彦については、「日本書紀・神代下・第九段」の中で、本文の二、三、四や、一書の一、二、三、六の二などに、多くのページを割いて掲載される、非常に重要な神でした。
天若彦は、大国主に寝返って天津神を裏切り、処分された「反逆者」であったのに、破格の扱いを受けて掲載されていますが、どうしてでしょうか。
察するには、賀茂氏を代表として、数多くの子孫が存続して、各々に多くの伝承を持っていたから、消したくても消せない神だったと、想像します。
B 天の若彦が、「アシスキ・高彦・ネ」の一人二役だった、根拠。
ア) 天若彦の父は、アメノホヒで、大国主だったこと。
国譲り神話では、アメノホヒの後に天若彦が派遣されましたが、天の若彦の父は「天津国玉神(アマツ・クニタマ)」であり、大国主の別名は「宇都志国玉神(ウツシ・クニタマ・地上に投影された国霊の意)」です。
天若彦の父が「天津国玉神」である根拠は、「日本書紀」神代下・第九段・本文2」に、『故、高皇産靈尊、・・・「天國玉之子天稚彥、是壯士也。・・・』と有ります。
大国主の別名が「顯國玉~(ウツシ・クニタマ)」である根拠は、(「日本書紀・神代上・第八段・一書六の一」に、『一書曰、大國主~、亦名大物主~、亦號國作大己貴命、亦曰葦原醜男、亦曰八千戈~、亦曰大國玉~、亦曰顯國玉~。其子凡有一百八十一~。夫大己貴命與少彥名命、戮力一心、經營天下。・・・』と有ります。
★ つまり、天上の「天津国玉神」は、地上では「宇都志国玉神」(写し国玉神)に変換されますから、大国主になります。
すると、天津国玉神の子供が天若彦、写し国玉神(大国主)の子供がアシスキタカヒコネ。
天津国玉神=写し国玉神(大国主)。ゆえに、天若彦=アシスキタカヒコネが(仮に)導かれます。
(また、高天原の天津神には「天の何々」の尊称が付きますが、葦原中津国に降って国津神に変換されると、「天の何々」の尊称が消えます)。
注) アシスキタカヒコネと下照姫の母親は、(大国主の妻の)宗像の奥津宮のタキリ姫ですが、天若彦の母親については登場せず、父親の天津国玉神だけが登場します。
イ) 天若彦の父と妻が、アシスキタカヒコネを見て、天若彦と間違えたこと。
(天上での)天若彦の葬式に来たアシスキタカヒコネを見て、天若彦の父親の天津国玉神と、天若彦の妻の下照姫は、天若彦と同一なので生きていると思って、アシスキタカヒコネに抱きつきました。
ウ) 妻の名前が、同じであること。
天の若彦の妻は、下照姫です。(「日本書紀」神代下・第九段・本文3」に、『天稚彦之妻下照姫、哭泣悲哀、・・・』と有ります)。
そして、アシスキタカヒコネの妹(妻のこと)も、下照姫といいます。(「日本書紀・神代上・第九段・一書一の三」に、『・・・味耜高彥根~之妹下照媛、・・・』と有ります。
(アシスキタカヒコネの妹(妻)の名は、「下照姫」と、(対象形になった)「高照姫」の別名が有りますが、引っ掛けと考えれば、同じ人物を意味します。
C 天の若彦は、「アシスキ・高・彦根」に変換されて、大和を経由して、美濃で消去された。
ア) 天の若彦の、美濃遠征。
記紀神話では、
(国譲り神話により)、地上に降りた天の若彦が死んで、遺体が天上に引き上げられて、葬式が行われた。そこに、地上からアシスキタカヒコネが弔問に訪れた。
天若彦の父親の天国玉と、妻の下照姫は、アシスキタカヒコネが天若彦と同一だったので、驚いて、『生きていたのか』と、思わず抱きついた。
アシスキタカヒコネが、怒って喪屋を蹴飛ばしたら、岐阜県の長良川上流の喪山になった。
実は、この物語は、天の若彦が、地上世界の経綸のために、父の天国玉(アメノ・ホヒ)と共に天孫降臨して、父の天国玉が大国主に変換され、天の若彦が「アシスキ・高・彦根」に変換されました。
そして、天若彦が、大和を攻略して御所市方面に橋頭堡を築いた後に、美濃の攻略に廻ったが、美濃の喪山で戦死したと、思います。
(喪山方面には、アシスキタカヒコネを祀る神社が存在します)。
イ) 天の若彦が、大阪に立ち寄った痕跡。
(摂津国風土記の逸文(真偽不明の伝聞の写本)に)、
『天稚彦が、天降った時に、天稚彦に従って降った「天の探女」が、磐船に乗って、難波の高津に来た。天の磐船が泊まったので、高津と云う。』
D アシスキタカヒコネの、名前の考察。(葦村高彦根の説)。
記紀神話では、阿遅鉏高日子・阿遅志貴高日子根・味耜高彦根などの表記をしていますが、どうでしょうか。
ア) 「アシスキ・タカヒコネ」の、アシスキは、「葦・村」の意味ではないか。村主と書いて「スグリ」と読みますから、村は「スク」です。
だから、アシスク(葦村)が、アシスキになった。
タカヒコネは、高彦根ではないのか。彦根という地名も有ります。
滋賀県の彦根市方面の伝承では、『天稚彦が出雲から東征に出たときに、事代主らと共に、今の彦根市に立ち寄った。美濃の戦で亡くなった天稚彦の遺体を、下照姫の兄が彦根市に葬ったようです。
また、彦根市の近隣には、アシスキタカヒコネや天稚彦を祭る神社も有るそうです。(要確認のこと)。
イ) (余談として)、飛鳥(アスカ)の語源は、葦村(アシスク)→アスク→アスカ→飛鳥の説が有ります。
また、琉球では「城」を「グスク」と発音するので、「スク」は、「城・村・地域」のイメージを感じます。
また、鹿児島県には「指宿」が有りますが、「宿」は、漢音で「シュク」、呉音では「スク」と発音し、訓読みで「やど、やどる」と発音するそうです。
(古代には、テープレコーダーが無かったので、正確な発音は分かりません)。
★ 日本語の源流を「朝鮮語」に求める人が有りますが、「本末転倒」だと思います。
元々の朝鮮半島には、呉越系の倭人が住んでいましたが、彼らの言語は「呉越語」であり、それが日本に伝えられて「大和言葉」などに変換されたと思います。
高麗や李氏朝鮮以降には、モンゴルや満州方面の影響を強く受けて、本来の朝鮮語も変質したと思いますから、朝鮮半島に日本語の原型を求めるには、無理が有ると思います。
ですから、日本語の源流や「呉越語」は、「大和言葉」や「神代言葉」や「古い地方の方言」に求めるほうが、ベターかも知れません。
E アシスキタカヒコネの、子孫の「賀茂氏」。
アシスキタカヒコネが戦死した美濃の国の「喪山」方面には、物部氏の伝承や神社が多いのですが、鴨族と物部が重複して分布するようです。
そこで、「カモ氏」ですが、複雑です。「姓氏録」も複雑です。
左京・皇別・鴨県主、治田連同祖、彦坐命之後也
摂津国・皇別・鴨君、(摂津国・皇別・依羅宿祢・日下部宿祢同祖、彦坐命之後と同祖)
山城国・神別・賀茂県主、神魂命孫武津之身命之後也
山城国・神別・鴨県主、賀茂県主同祖・神魂命孫鴨建津之身命。天八咫烏之号。
大和国・神別・賀茂朝臣、大神朝臣同祖、大国主神之後也、大田田祢古命孫大賀茂都美命
大神朝臣は、(大和国・神別・大神朝臣、素佐能雄命六世孫大国主之後也)
摂津国・神別・鴨部祝、賀茂朝臣同祖、大国主神之後也
このように、鴨氏・加茂氏・賀茂氏が入り混じり、複雑怪奇です。何層にも折り重なり、上書きされていると思います。
基本は、大歳の系統のカモ氏族と、大国主の系統のカモ氏族(ニギハヤヒ天皇神武の子孫を含む)の、上書き合戦だと思います。
★ どう思われますか。
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