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★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「海人族と月読神の関係」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、月読神は海人族の神だという説が有ります。
(『海人族の神は、綿津身であり、筒男だ』との批判も有るでしょうが、まあ、お花畑であり、記紀神話のことですから)。
A (アニミズムかも知れないところの)月読神を祀る海人族が、存在する。
規模としては少数でマイナーですが、(原始信仰のアニミズムかも知れない)月読神を祀る海人族が、存在します。
彼らが、どのような経緯で、月読神を祀ることになったかは、未だ、明確になっていないようです。
B (記紀神話の)月読神とは、何なのか。
古事記では、イザナギが月読命に『お前は夜の食国を治めよ』と命じ、スサノオには『お前は海原を治めよ』と命じています。
日本書紀の(第五段本文では)、イザナギとイザナミの2神が共同で、月神(月弓尊・月夜見尊・月読尊)を生みましたが、明るく輝いていたので、アマテラスと同じく、天を治めさせようとして、天上に送りました。
(その後、ヒルコの次にスサノオを生みましたが、スサノオは性格が悪いので、根の国に追放しました)。
日本書紀の(第五段一書の一では)、イザナギが、鏡から三人を生んだと有ります。
日本書紀の(第五段一書の六の五では)、イザナギが、イザナミの黄泉の国を訪れた穢れを落とす「禊」の中で、目を洗ってアマテラスと月読尊を生みました。
そこで、『アマテラスは高天原を治めよ、月読尊は滄海原を治めよ、スサノオは天下を治めよ』と命じたと有ります。
日本書紀の(第五段一書の十一では)、イザナギが、『アマテラスは高天原を治めよ、月読尊は「日」と共に天を治めよ、スサノオは滄海原を治めよ』と命じたと有ります。
つまり、月読尊の使命は、夜の食国を治める解釈と、滄海原を治める解釈と、アマテラスと共同で高天原を治める解釈が有りますが、分かりません。
ただ、海を支配する神であることには、間違いないようです。
C 海人族は、呉越系の倭人だった(説)。
ア) 月読尊は、アマテラスと同じく、呉系倭人で、呉王国の海軍部隊の末裔だった。
月読尊はイザナギから生まれたので、イザナギを呉系倭人の神に置き換えると、月読尊は呉系倭人であり、海人族ということに成りそうです。
(また、(イザナミを越系倭人の神と解釈すると)、スサノオには越系倭人の血が混じっていると想像します)。
流れとしては、揚子江の河口部に隆盛した呉王国の海軍部隊だったが、呉王国の滅亡に伴って、朝鮮や日本に逃げた、となりそうです。
イ) 資冶通鑑(シジツガン)の記録。
1084年に成立した中国の「資冶通鑑(シジツガン)」の記録によると、(真偽は不明ですが)、『周の元王の三年(BC473年)に、越が呉を滅ぼしたので、その庶(呉の親族)は、海に入って倭になった』と有るようです。
つまり、南から越に攻撃されたので、北に向かって船や陸路で逃げて、多くが朝鮮や日本に逃げた、と解釈できそうです。
ウ) 呉は山東半島を領有して、朝鮮や日本に「土地勘」が有った。
呉は、闔閭(コウリョ)王や夫差(フサ)王の時には、中原で「会盟」を呼びかけるほどの強大な実力を持っていたし、BC485年には、呉の大夫の徐承が水軍を率いて山東半島の斉を攻めた、との記録も有るようです(真偽不明)。
つまり、呉の強大な海軍は、山東半島に遠征しているし、もしかすると、山東半島を領有していたかも知れません。
そうであるなら、山東半島の対岸は朝鮮ですし、東に向かえば九州にも到達できます。
(後年の「白村江」で、唐が百済を滅ぼしたときにも、山東半島から唐の水軍が出航したとの説が有ります)。
エ) 倭人とは、呉の末裔を意味している。
古代中国で認識されていた「倭人」とは、日本人だけを対象としたものではなく、朝鮮半島や渤海湾周辺や、日本列島をも含む広大な地域を意味していたというのが、通説です。
そして、朝鮮半島の倭人を含めた人々が、後代には「韓人」と呼ばれるようになったと云うのも、通説のようです。
(そうしますと、古代の「朝鮮人」というのは、今の朝鮮人とは民族的に異なり、日本人と同属の「倭人」と云うことに成りそうです)。
オ) 倭人伝は、日本人は呉の末裔だと云っている。
魏略の「倭人伝」では、『其の(女王国の)旧語を聞くに、みずから(呉の)太伯の後と言う』、と有りますように、卑弥呼や人々は呉の後裔だった、という解釈が成り立つかも知れません。
(ただ、魏志の「倭人伝」では、『大夫で夏后少康の後』と訂正して、越の後裔だったとしていますが、「呉王の子孫の松野連」が熊本県に居た説も有りますから、呉の末裔が九州に居ても、不思議では有りません)。
カ) 日本書紀の講書。
平安時代の日本書紀の講書の記録には、『この国が、(周の国姓と同じところの)姫氏国と呼ばれるのは、どうしてか』という質問が有ったことが記されているそうです。
キ) 呉の遺民が日本人で、海人族でも有った。
以上、述べましたように、呉の遺民が日本人だったというのは、有り得る話だと思います。
また、呉の遺民の一部が、「海の民」として暮らしていたことも、有り得ると思います。
D 海人族の神が、なぜ、月読尊なのか。
ア) (よく分からないが)アニミズム信仰かも知れない。
カマドの神様に「秋葉さん」を祀ったり、商売の神様に「エベッサン」を祀るような感覚かも知れませんが、分かりません
一般的に、氏族・豪族の祀る神というのは、直接の先祖か、何らかの因縁を持つ者が、神として祭られるはずです。
(安曇氏や宗像氏などは、自分たちの祖先を祀っており、月は祀りません)。
イ) 月は潮を支配する。
大潮とか潮の干満が有りますが、漁師は潮の具合を非常に気にします。そして、月が潮を支配します。
(また、「記紀神話」の海幸彦と山幸彦の段には、「潮満つの玉と潮干るの玉」が登場します)。
つまり、海流としての「黒潮」や「対馬暖流」は、(蛇行は有るものの)流れる方向は一方向なのですが、潮流は時間によって逆流します。
たとえば、瀬戸内海・九州島の東側を流れる潮流は潮の干満で、逆方向に流れますし、瀬戸内海の広島方面では干満の差が4メートルくらい発生する、大変な事態になります。
ウ) 月読を祀る神社は、海岸部とは限らない。
たとえば、海人族が祀る住吉神は、海岸部に集中しますから、住吉神を海人族が祀ったのは、間違いのない事実です。
(余談ですが、住吉神の「筒の男」は、「鹽筒老翁」(塩土の老翁のこと)の説が有ります(日本書紀・神代下・第十段一書(四)一を参照)。
ところが、住吉神と異なって、月読尊を祀る神社は、海岸部から離れた地域にも祀られています。
そうしますと、内陸部に海人族が居たのだろかという疑問が浮上しますが、海を離れて入植したのかも知れません。
E まとめ(想像論)。
古代の海人族にはアニミズム信仰が有りました。「海の民」にとって、潮流による潮の干満は生活上の大問題でした。彼らは、潮の干満が月によって成されることを知っていました。
潮の干満を支配する月を、畏敬し崇拝する「月神信仰」の中から、「潮津道の大霊(シオツチノ・オジ)」の神が生まれたが、やがて「塩土の老翁」に変換され、さらに、権力の階段を上った者が「筒の男」に再変換しました。
時代が下がって、「姓氏録」(815年)や「神名帳」(927年)の時代には、住吉神の「筒の男」を奉祭する豪族たちと、「塩土の老翁」を奉祭する氏族と、アニミズム信仰の原点である「月読神」を奉祭する氏族に区分されたのではないかと、想像します。
(★ 記紀神話では、時系列に、イザナギが「筒の男」を生み、時代の下った山幸彦の時代に「塩土の老翁」が出現し、後世の住吉神の誕生で「筒の男」が発生していますが、『おかしいのでは』という違和感を覚えます)。
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