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記紀神話で遊ぼ・・7回目の終了です(その6の5)「奈良を舞台にした兄弟対決」
http://www.asyura2.com/16/bd62/msg/308.html
投稿者 どう思われますか 日時 2017 年 12 月 18 日 09:31:58: Qy4l4lPG05pBg gseCpI52gu2C6oLcgreCqQ
 

どう思われますか 
 

★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。

★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。

@ ところで、「奈良を舞台にした兄弟対決」に、ご興味をお持ちでしょうか。実は、出雲族同士が奈良を舞台にして、あるいは、「神武東征」のアクシデントの中で土着の国津神同士が、骨肉あい争う兄弟バトルを演じたのではないかと想像しています。

 (実は、『神武東征なんか無かった』との説も有りますが、それを言ってしまうと物語になりませんから、一応は、有ったものとして記事を書きたいと思います)。


A 神武以前に出雲族の王朝が奈良にあった。

 記紀神話の「神武東征」の段は、ニギハヤヒを奉じて奈良を支配していたナガスネヒコ(登美彦・長洲彦のことで、登弥(トミ)神社(奈良市)や矢田坐久志玉比古(ヤタニマス・クシタマヒコ)神社(大和郡山市)が本拠地の説)が、諸々の出雲族や土着していた従来からの国津神を率いて抗戦して敗北した話だと解釈できそうです。

 ナガスネヒコは、謎の多い人物であり、一説にはニギハヤヒの異母兄弟だった説も有りますが、ニギハヤヒはナガスネヒコの妹の三炊屋媛(長髄媛・鳥見屋媛)と結婚し、物部氏の遠祖になる宇摩志麻冶を生んだ説があります。

 (古代の豪族社会では異母兄弟の結婚は常識であり、中には同母兄弟で結婚した例もありますから、ニギハヤヒとナガスネヒコは異母兄弟どころか同母兄弟であった可能性もあります。

 また、ナガスネヒコは、大物主と勢夜陀多良比売(背矢(夫)の矢がホトに立たら姫)との間に生まれた子供との説があります。
 これに類似して、事代主も、「先代旧事本紀」では、大物主と(宗像方面の)高津姫との間の子供との説もありますが、事代主は大国主の子供のはずですから、訳が分からなくなります。

 ★ 記紀神話は、机上の平面図では読み解けないのではないかと思います。始めに『記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して「お花畑」として遊ぶ・・・』と述べていますように、平面的思考ではなく立体的思考、あるいは複立体的思考で、多角的・分裂的な思考構造と『そんなアホなことが』と笑いながら読み解く柔軟性・包容性に優れた思考が求められるのではないかと思います。

 なぜならば、記紀神話の構造が、分裂的多重性や複立体性とか複々立体性に作られているからだと思うからです。


B 兄弟結婚の話。

  古代には、なぜ、異母兄弟の結婚が多かったかと考えますと、古代の家族制度は、子供は基本的に母親の家で育てられますから、母親が違うと兄弟と分からない場合がありまして、大王や大豪族クラスになりますと子供の数は数十人、あるいは百人を超えるようなケースもありますから、分からなくても仕方が有りません。
 (記紀神話の大国主の段では、少彦名(スクナ・ヒコナ)の父の高皇産霊尊には1千5百人の子供が有ったそうです)。

 また別に、娘が自分の生活の保障のためには、力のある男と結婚したほうが有利でありますし、親の財産を分散させないためにも、同じ父親の子供のほうが安全だった可能性もあります。
 (また、古代は限定された土地に一族が住んでいましたから、他の氏族の血を入れたくないという血族意識・同族意識も有ったと思います)。

 (話は脱線しますが)、古代には今のような結婚制度の概念は無く、男が次々に女を求めるように、女のほうも情勢の変化で夫が変わることが有りました。


C (話は脱線しますが)、一夜の夜伽(よとぎ)の話。

 また、古代には「一夜の夜伽(よとぎ)」が慣習にありまして、たとえば、(源家の棟梁であった)源頼朝が遊楽すると、泊まった家の主が娘や妻を一夜の接待に枕を共にした話も有るそうです。

 (真偽不明ですが有名な話に、さる九州の守護大名は源頼朝の御落胤との説があります)。
 また、平安貴族が荘園や領地に遊びに来ると、村長や管理者が夜伽の娘を差し出して一夜の接待をするのは常識でした。

 (さらに、高貴な身分の「ご落胤」を産んだら、場合によっては女の一族の栄達にも繋がり、女自身も「玉の輿」に乗れるわけですから、『お種を頂戴します』と言って喜んで布団の中に入ったケースも有ったそうです。知りませんが)。

 史上有名な話として、徳川三代将軍の徳川家光の側室になって五代将軍の徳川綱吉を産んだ「お玉(桂昌院)」の実家の本庄家は、一族郎党が破格の出世をしています。
 (官を求めて「知らない親戚」までが本庄家に押し寄せて来たそうです)。

 ですから、体を提供させられた女は可哀そうだという考え方も有りますが、「女の腹は借り物」という考え方もあれば、「男の種は借り物」という考え方も古代には有ったのではないかと思います。

D (話を元に戻して)、「神武東征」で加茂氏と賀茂氏の兄弟が東西に別れて戦った。

 (話を元に戻しますが)、加茂氏と賀茂氏については、加茂氏(賀茂氏)には、葛城の賀茂氏と山城の賀茂氏の2系統が知られていますが、葛城のほうは大三輪神(大物主神)の系統で、山城のほうは「ヤタガラス」の系統だと云われています(真偽不明)。

 記紀神話の中で、ヤタガラス(賀茂建角身)が高天原から遣わされたとありますが、ヤタガラスが「神武東征」で活躍したのは吉野であり、加茂氏の本拠地があったと推定される鴨都波(カモツワ)神社(御所市)や、高鴨(タカガモ)神社(御所市)に隣接しています。
 したがって、加茂氏と賀茂氏の兄弟が敵味方に別れて戦った可能性があります。


E 大国主の以前に、龍神信仰を持つ種族がいた。

 (話は変わりますが)、京都市に賀茂別雷神社(上賀茂神社・祭神は賀茂別雷命))と賀茂御祖神社(下鴨神社・祭神は賀茂建角身命)が有りますが、その上流には貴布禰(貴船)神社があり、祭神はタカオカミ・ミズハノメ・クラオカミなどで、大和の丹生川上神社と同じ祭神といわれ、龍神信仰があったのではなかろうかと言われ、賀茂の神よりも古い神が祭られているようです。


F 神の矢の話。

 貴船神社に関してですが、(山城国風土記の逸文「賀茂社」の分に、『賀茂建角身(カモタケツノミ)の娘の玉依姫が、石川(賀茂川のことで川上は貴船)で川遊びをしていたら、川上から矢が流れてきて、持って帰って寝床に置いていたら男の子(賀茂別雷の命)を妊娠して出産した』様なことが書かれているそうです)。

 (ちなみに、「神の矢」については、大物主と「大物主神の矢(背矢(夫の矢))がホトに立たら姫」の物語や、事代主の父が大国主で母が神屋楯姫(神の矢が立てられた姫のことで、記紀参照)もあります)。


G 比叡山周辺の勝組と負組の話。

 (少し脱線しますが)、京都の東の比叡山は、昔は日枝山と呼び日吉(ヒエ)山とも呼んで、全国の日枝神社・日吉神社の総本山らしいですが、祭神は大山咋神(オオヤマ・クヒ・別名は山末之大主神(ヤマスエノ・オオヌシ)で、この神の父は大歳(大年)で、祖父はスサノオで祖母は神大市姫の説があります。

 (注) 神大市姫は、(先住倭人の総称であるところの)大山祇(大山津霊・オオヤマ・ツ・ミ)の娘であり、別名の説には、神オオツチ姫とか神オロチ姫とかの説もあり、オロチ(大蛇)と解釈すると、龍神信仰があったとされる大和の丹生川上神社や貴布禰(貴船)神社が関連するかも知れませんが、大歳(大年)の子にオオツチ(大津霊・ツチノミオヤ・土之御祖)があるので、神大市姫は「神オオツチ姫(神大津霊姫)」と解するのが順当ですが、真偽不明です。

 また、これとは別に、大巳貴神が大比叡と呼ばれ大山咋神が小比叡と呼ばれた説もあり、何が何だか訳が分かりません。
 (大山咋神はスサノオの子の大歳の子で、賀茂氏はスサノオの子の大国主の子の事代主の子孫と言われています)。

 (また少し脱線しますが)、近畿地方のある広域的地域では、大歳神社(大年神社)・加茂神社・貴船神社が散在して広域的地域の主体となっていますが、上下の賀茂神社の系統は目に入りません。
 ですから、加茂氏と賀茂氏は出自が異なり、加茂氏は大歳の系統であり、賀茂氏は大国主の系統ではないかとも想像しますが、記紀神話が改ざんされているので、真実は想像するよりほか有りません。

 ここで、私の想像ですが、初めに大年(大歳)の系統が奈良に居て大山祇系の倭人と共存していたのを、後に大国主の系統が奈良を侵奪して、大山祇系と大年(大歳)系を周辺に押しやったのではないのか、と想像します。


H 最後に。

 「神武東征」では、この他にも、エウカシとオトウカシの兄弟が敵味方に別れて戦い、神武に味方した弟のオトウカシが宇陀の領地を安堵されています。
 また、エシキとオトシキの兄弟も別れて戦い、勝ったオトシキが後の磯城氏(師木氏)として歴代天皇の皇后を輩出して隆盛したとも言われます。

 長くなりますので、要点のみを簡略しましたが、続きは機会があれば別に書かせて頂きたいと思います。

 最後に、奈良・京都では、スサノオの子の大歳の系統や、同じスサノオの子の大国主の系統の事代主・アシスキタカヒコネや、ニギハヤヒの系統などが入り乱れて互いに戦い、そして互いに重なり、また「記紀神話」の改ざんもあって、真実の解明は非常に困難だと思われます。

 スサノオの大神にすれば、『誰が生き残ろうと構わない。力の有る者が生き残って、私の子孫が繁栄してくれれば、何の問題もない』と思っていたのかも知れません。


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