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★ あらかじめ御断わりしておきますが、私の投稿文は記紀神話をベースにした発想から「とんでも論」を展開していますので、『おかしいのでは』と思われても、『そこは記紀神話の事ですから』ということで御理解ください。
★ また、私の投稿は、記紀神話を学術的に研究するためではなく、記紀神話の二重性とか多重性とか二元論的な反面性などを指摘して、掲示板でオカルト・スピリチュアル的な「お花畑」として遊ぶ事を目的としています。
@ ところで、「伊勢の地名は倭背だった」という言葉遊びに、ご興味をお持ちでしょうか。
(その6の2)のBで述べた通り)、三輪山周辺は「稜威間(イツマ)」の地ですから、その背後に位置する伊勢は、「稜威背(イツセ)」だったと想像します。
つまり、古代の伊勢の国は、伊勢・伊賀・志摩の3国を合わせたものでしたが、大海人天皇が680年?(天武天皇9年?)に伊賀国を分置し、7百年代(年代不明)にも志摩国を分置しました。
ですから、三輪山王朝の「稜威間(イツマ)」の背後に「稜威背(イツセ)」の国が有ったとしても、何も不思議では有りません。
(先にも述べたように、当時は伊賀の国は存在せず、いきなり伊勢の国が有ったわけです)。
(注) 平安時代に編纂されたと云われる「先代旧事本紀」の「国造本紀」では、伊勢国造は橿原朝に、伊賀国造と嶋津(志摩のこと)国造は志賀高穴穂朝に定められています。
ただし、美濃国造は3箇所に、上総国造は6箇所に設けられており、1国1国造ということでは有りません。
A 大海人天皇以降には、漢音が登場した。
古代の日本語の発音は呉音調の「大和言葉」でしたが、大海人天皇の時代には積極的に唐の文化を取り入れて、漢文が隆盛し、文字も漢音で読むようになりました。
(たとえば人名でも、古事記の人名は呉音調(変体漢文?)で書かれ、日本書記は漢音調(漢文)で書かれているのではないでしょうか)。
B 「ヤマト」は、山戸・山門が、大倭(オオヤマト)になり、大和になった。
三輪山周辺は稜威間(イツマ)の地でしたが、国としてはヤマト(山戸・山門)でした。
その語源についてですが、昔の大和の国には「大和湖」が中央にあり、生駒山地と金剛山地の間を大和川が「河内湖」に流れ込んでいました。
そして、堺市方面から北に伸びる上町台地の東側一帯は全部が河内湖であり、今の大阪平野は有りませんでした。(地質学的見地)。
ですから、昔は大阪湾から船で河内湖に入り、大和川を遡上して三輪山の麓まで行けたらしいので、「神武東征」で神武の軍船が生駒山方面に行ったとしても不思議ではありません。
また、現在の大和川は、直接、堺市方面に流れていますが、これは、1704年(宝永元年)に徳川幕府が、長さ14km、幅180m、延べ240万人を動員して、大規模な川の付け替え工事を行ったものと云われています。
(余談ですが)、近年まで二上山方面の明神山周辺は、有名な地すべり多発地帯であり、昭和7年には「亀の瀬」の地滑りが多発した記録が残されており、大和川の川底が底上げされる事態になりました。
また、古代の湖岸道路であった「山の辺の道」が、かなりの高台にあるのは不思議ですが、古代に奈良盆地全体が隆起したと云われ、奈良盆地中央の田原本町の標高が40mとか50mとかに有るのは、土地の隆起が原因と考えられます。
ですから、古代の遺跡が奈良盆地の中央部に全く存在しないのは、大和湖であったことと土地の隆起が原因でした。
(話は脱線しますが)、神功皇后の遠征で、仲哀天皇が「穴門(アナト)の豊浦の宮(山口県下関市)」に御所を構えていますが、この「穴門」が長門国の語源との説があります。穴門とは関門海峡のことを云うそうです。
また、出雲に宍道湖と中海があり、美保関を抜けて日本海に抜けていますが、このことは、河内湖と大和湖の関係にも相関性を感じます。
そうすると、美保関の「美保」の地名の本来の意味は「ミホト」(水戸・水門→水秀戸・水秀門→美秀戸・美秀門→美保)だったかも知れません。
(話を戻しますが)、大倭(オオヤマト)を漢音で発音しますと「ダイイ」になります。これが、いつの間にか大和(ダイワ)に変換されたのではないかと想像します。
C 「稜威背(イツセ)」の国が、「倭津背」になり、「倭背」になり「伊勢」になった説。
(その6の2)のFで述べた通り)、和銅6年(713年)に、元明天皇の勅命により「但遅麻」や「遠淡海」などの国名も漢字2文字に改めさせて統一させました。
この過程で、読みやすい文字や、気品のある文字に国名を改めさせたので、卑語・蔑称の意味を持つ「倭」の文字も気品のある「伊」に改めさせ、「稜威背」とか「倭津背」の国名も漢字2文字の「伊勢」に改めさせたのではないかと想像します。
D 今の中国語は漢音ではない。
たとえば、「倭」を「ワ」と発音しますが、本来の漢語の発音は「イ」です。ほかに委・萎・崣なども全部「イ」と発音します。
つまり、古代中国で漢語を使っていた「漢民族」が、後漢の滅亡や魏や晋の滅亡によって、中国内部に北方から異民族が侵入した「五胡十六国」の時代が2百数十年間続き、589年に中国を統一した隋も、その後の唐も鮮卑族系であり、「漢民族」では有りませんでした。
今でも「王」を「ワン」と発音したり、「北京」を「ペキン」と発音しています。
(元々の漢民族の発音は日本にしか残されていません。また日本には漢語と呉語の両方が残されています)。
E 伊勢の地名の語源の諸説。
色々な人が研究しているそうですが、伊勢の地名の語源には幾つかの説があります。
第1に、記紀神話の「伊勢津彦」の名前が起源説。
第2に、大倭(オオヤマト)の東側にあったから「倭背」(イセ)の説。
第3に、五十鈴川にちなむ説。
第4に、度会郡の伊蘇(イソ)郷にちなむ説。
第5に、伊勢神宮が昔の海岸付近にあったから磯の説。
第6に、単に、伊勢の長い海岸線の磯から転じた説。
第1の「伊勢津彦」は、伊勢にいた男だから「伊勢の男」と名づけたのであり、伊勢津彦の以前に伊勢の地名があったはずだと思います。
第2の大倭(オオヤマト)の東側の「倭背」(イセ)の説は、有り得ると思います。
第3の五十鈴川の説も、第4の度会郡の伊蘇(イソ)郷の説も、第5の伊勢神宮の磯の説も、伊勢国の南端に在り、昔の伊勢国府や国分寺のあった中心地である三重県鈴鹿市からは遠過ぎるし、往来も不便だったから、可能性は少ないと思います。
ちなみに、伊勢神宮の地域は、昔は、山田の地名で、江戸時代には「山田奉行所」が置かれていました。また、現在の伊勢市になったのは昭和30年だそうです。
第6の磯の説は、有りそうですが、無いような気がします。
確かに、「伊勢」は「イソ」とも発音できますし、日本書記の「垂仁紀25年3月条」に『神風の伊勢国は、常世の浪の重浪(シキナミ)、帰(ヨ)する国なり』とあるそうです。(知りませんが)。
しかしながら、上記@で述べたように、古代の最初の伊勢の国は伊勢・伊賀・志摩の3国を合わせたものですから、内陸部に在る伊賀方面が「磯の国の一部」というのは少し無理があるような気がします。
そうしますと、伊勢の国を伊勢・伊賀・志摩の3国に分割した段階で、伊勢の長い海岸線の磯から、「伊勢」と名づけたと考えるほうが自然だと思います。
F 宇治の地名の語源。
話は脱線しますが、宇治の地名は、一般に、平等院のある京都府の宇治市が有名ですが、伊勢神宮の近くにも宇治の地名が有り、「宇治山田」の駅名もあります。
(話は少し逸れますが)、記紀神話に、ニニギの天孫降臨を導いたサルタヒコが、元々の領地の三重県松坂市方面の阿耶訶(アザカ)に帰った話があります。
その子孫に「宇治土公(ウジ・ツチ・ノ・キミ)」が知られていますが、これは、「宇治にいた土公」という意味だと思いますから、古くから宇治の地名があったと想像します。
(話を戻しますが)、そうしますと、宇治は、京都府の宇治市に限らないことになりますが、では、宇治の地名の語源は何だったのかが問題になります。
私は、「ウツロ」(空ろ・虚ろ)が語源であり、「ウツロ地」が縮まって、「ウロ地」、「ウ地」になったのではないかと想像します。
それは、京都府宇治市の地形が、昔は、淀川に面して「巨椋(オグラ)池」という大きな沼地があり、その奥に宇治川の河口があり、その河口部付近を宇治と読んでいたからであり、この「巨椋池」の形が、「ウツロ」(空ろ・虚ろ)に似ていたからだと思います。
そうすると、伊勢神宮の周辺も、海岸線が神宮の近くまで入り込んでいたから、「ウツロ」(空ろ・虚ろ)の地名になり、それが転じて「宇治」になったのではないかと連想します。
G 余談になりますが、伊勢神宮があった辺りは「磯」であった可能性。
古代の海岸線は、伊勢神宮(皇大神宮や豊受大神宮などの大社の18座9社その他の総称名のこと)の近くまで迫っていたと想像しますが、それは、関東平野も濃尾平野も大阪平野も、日本中の平野は土砂の堆積で出来たものであり、比較的新しいものです。
ですから、昔の五十鈴川(磯鈴川?)の河口も大きく後退しており、伊勢の諸神宮の近くまで海の磯になっていたと、私は想像します。
G−2 『磯神社のこと』
伊勢市磯町に「磯神社」があるそうです。延喜式神名帳に記載された古い神社ですが、垂仁天皇の25年に皇女の倭姫命が天照大神の大宮地を求めて巡幸し、「伊蘇宮(磯宮)」に遷幸されたのが創祀らしいです。
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