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中米で民主主義勢力を虐殺していた人脈がシリアで「独裁者を倒す」という名目で虐殺を繰り返す
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201601310001/
2016.02.01 10:58:22 櫻井ジャーナル
シリアでの戦乱を終わらせるための交渉に、アメリカ政府はアル・カイダ系の武装集団を参加させようと目論み、ロシア政府と対立している。そうしたアメリカの動きの中で中心的な役割を果たしているひとりが2011年1月から14年2月までシリア駐在アメリカ大使を務めたロバート・フォードだ。シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すためのプロジェクトを指揮してきたのは、このフォードだと見られている。
シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒す目的で戦闘が始められたのは2011年3月のこと。フォードがシリア駐在大使に就任したのはその2カ月前。その戦闘ではトルコの米空軍インシルリク基地でアメリカの情報機関員や特殊部隊員、さらにイギリスとフランスの特殊部隊員が反アサド軍の戦闘員を訓練、武器/兵器を含む兵站を供給する拠点もトルコには作られていた。その後、兵站線や盗掘石油の輸送をトルコの情報機関MITが守ってきた。
当初から「シリアの反乱軍」は事実上、存在していない。これはリビアと同じ。内戦ではなく侵略戦争である。サウジアラビアやカタールのカネで雇われた傭兵が侵略軍の大半で、その中心はサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団。2012年8月にアメリカの情報機関DIAが作成した文書にも反シリア政府軍の主力はサラフ主義者(ワッハーブ派)、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラはその別名だとしている)だとされ、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けていると報告されている。
存在しないに等しい「穏健派」をアメリカ政府が支援すれば、必然的にサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団を助けることになり、その支配地がシリア東部に出現するとDIAは警告していたが、その通りになった。当然、大使だったフォードもDIAの警告を知っていたはずだが、無視。報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ISの勢力が拡大したのはオバマ政権が行った決断によるとしているが、責任の一端はフォードにもある。
フォードがシリア駐在大使に指名されたのは就任の前月、2010年12月だが、その前歴は胡散臭い。つまり、2004年から06年にかけて、イラクでジョン・ネグロポンテ大使の下で活動しているのだ。ネグロポンテは1981年から85年、死の部隊(殺人部隊)が暴れ回っていた時期にホンジュラス駐在のアメリカ大使で、侵略人脈のひとり。つまり血まみれの人生を歩いてきた人物だ。
イラクでネグロポンテが大使だった時代、そこで特殊警察コマンドの訓練をしていたのがジェームズ・スティール退役大佐なる軍人だが、1984年から86年にかけてエル・サルバドルへ軍事顧問団の一員として派遣されていた経歴がある。つまり死の部隊を使い、アメリカの巨大資本にとって邪魔な存在を殺害する作戦を背後から指揮していたということになるだろう。イラクでも死の部隊を編成していたという。
スティールはネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツに近いことでも知られている。ウォルフォウィッツは国防次官だった1991年にイラク、イラン、シリアを5年以内に殲滅すると口にしたという。これは1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークの話。
軍事政権下のエル・サルバドルでは多くの人が殺されたが、1980年3月にはカトリックの大司教だったオスカル・ロメロも暗殺されている。アメリカの傀儡だった軍事政権による反対派の虐殺をロメロ大司教は強く批判していた。暗殺の黒幕は「死の部隊」を指揮していたロベルト・ダビッソン。アメリカが設立したSOA(現在の略称はWHISCまたはWHINSEC)で軍事訓練を受けた軍人だ。
大司教が暗殺される2カ月前、エル・サルバドルでは20万人が参加したと言われる大規模なデモがあったが、途中でデモの参加者が狙撃され、少なくとも21名が死亡、約120名が負傷した。政府側はデモ隊から最初に発砲したと主張したが、ロメロ大司教は国家警備隊が宮殿の内部から銃撃したと断言、無分別な虐殺だと非難した。
エル・サルバドル駐在大使だったロバート・ホワイトによると、ダビッソンは約12名を隠れ家に呼び出し、大司教暗殺の実行者をくじ引きで決めた。当たったのはフランシスコ・アマヤ・ロサ中尉だったが、実際に引き金を引いたのは射撃の名手だったウォルテル・アントニオ・アルバレスで、暗殺を決行した後、サッカー場で口封じのために殺されている。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, "Inside the League," Dodd, Mead, 1986)
有力メディアは軍事政権の肩を持っていたが、それでもこうした虐殺は少しずつ明らかにされ、アメリカ政府は批判される。1986年にはオリバー・ストーンが監督した「サルバドル」という映画も制作された。後にアメリカ支配層は自分たちが行った虐殺の経験を生かし、ターゲット国の政権が自分たちが行ったようなことをしているというストーリーを書き上げ、メディアを使って宣伝するようになる。自分たちは「善玉」として虐殺を繰り返しているのだ。フォードが行ったこともそうしたことである。
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