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オバマのシリア侵略計画は、キム・ルーズベルトが、1957年に立案したもの
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2016年1月30日 マスコミに載らない海外記事
2016年1月16日
Eric Zuesse.
Washington's Blog
1953年、イランの石油とガスに対する欧米石油会社の支配を継続するために、イランの進歩的で非宗教的で民主的で反共産主義者のモハンマド・モサデク大統領を打倒し、残虐な独裁者レザ・パーレビ国王に置き換えるためのCIAクーデターを計画し、率いたのと同じ人物、テディー・ルーズベルトの孫 (上の写真)が、四年後の1957年、サウジアラビア、カタールと、トルコとともに、アメリカによるシリア侵略を企てることになった。しかも、それはバラク・オバマ大統領が、ホワイト・ハウスに足を踏み入れて以来実施しているのと事実上全く同じ計画だ。オバマの計画は、カーミット“キム”ルーズベルトの計画同様、大衆を騙し、打倒作戦の本当の犠牲者にこそ責任があるのだと思い込ませるよう狙った、諜報関係の世界で“偽旗”事件と呼ばれるものを伴っている。(アサドを排除するためにシリアに侵略する口実として利用したがっていた、シリアにおける、2013年のオバマ・サリン・ガス攻撃の類だ。)
1957年当時、シリアにはアサド王朝は存在せず、あったのはバース党だけで、過去それは、そして今も、アラブ諸国の中で、唯一機能する、非宗派的、神政主義ではない政治勢力だ。だからアメリカ石油会社は、中東の石油を掌握し、シリアを自分たちのためのヨーロッパ(世界最大のエネルギー市場)向けの極めて重要なパイプライン経路として使えるようにするため、彼らの代わりに、イスラム勢力を利用した。バース党は、シリアの天然資源に対する、そのような外国による支配のためのいかなる計画にも協力を拒否した。これがバース党を打倒し、彼らの敵、イスラム主義者に置き換えるというアメリカの決断の基盤だ。(これは同じ様に、サダム・フセインに対するアメリカの戦争の理由だった。)
最終的に、ドワイト・アイゼンハワー・アメリカ大統領は、進んで参加しようとしているのがトルコだけだったので、キムの計画を放棄するよう強いられたが、オバマは、キムが彼らに役を割り当てた通り、サウジアラビアとカタールの王家に演じさせることができた。アメリカの兵器を、シリアの聖戦士に渡し、主要な聖戦主義組織、スンナ派イスラム教原理主義者のムスリム同胞団を支持し、バース党打倒の上で、主要シリア人参加者にしたのだ。
キムの計画は、以前に成功したイラン乗っ取り計画と同様、二人のダレス兄弟、アイゼンハワーのCIAを運営していたアレン・ダレスと、アイゼンハワーの国務省を運営していたジョン・フォスター・ダレスの全面的支援を享受していた。二人のダレスは、ナチス幹部をアメリカに連れてきて、彼らにニセ経歴を与えるアメリカの作戦を率いていた。特に今でも続いている連中の、ロシアを征服するためながら、1990年までは(広くそう見なされていたが)反共産主義の装いをとっていた、ヨーロッパの“オペレーション・グラディオ”に関する良いドキュメンタリーがここにある。あらゆる親ファシスト作戦がそうであるという非常に狭い意味で、それは実際に反共産主義だったが、到底‘民主的’やら親民主的やらと呼べる代物ではなかった。トルーマン大統領が、第二次世界大戦後、初期の新興アメリカ諜報官僚を一体どうすれば良いのかわからずに、その先駆機構OSSでためらった後、CIAは、アイゼンハワーによって、ファシスト組織として設立された。大統領として、アイゼンハワーは、第一次世界大戦時代に、そうだったようには、FDRともはや同調しなかった。戦後、彼は独立し、益々ファシスト化し、彼が大統領政権を作り上げた際、アメリカのファシズムへの切り替えが本格的に始まり、以来決して止まっていない。
オバマも、アイゼンハワーとは違い、ヌスラ戦線と呼ばれる、アルカイダのシリア分派による支援を享受した。アルカイダは実際、1970年代末、ソ連をアフガニスタンで消耗させるため、アメリカが作り出したのだ。アルカイダは、アラビアの王族、特にサウド王家から資金供与されていた。オサマ・ビン・ラディン一派に、サウド王家が代金を支払った(それは付随的に、アメリカ兵器メーカーの利益を押し上げた)アメリカ兵器を供給することに成功した後、スンナ派支配層は、カーミット・ルーズベルトの大本の構想を益々尊重するようになった。50年以上使われないまま、CIA-MI6で棚ざらしになっていたキムの計画を、オバマは微調整した。しかしそれは、実際、KRの計画であって、オバマの独創ではない。ようやくオバマ時代になって、状況が計画にうってつけになったのだ。
カーミット・ルーズベルトは、アメリカ支配層の外国領土征服を推進する上で、遥かに著名な祖父がそうであったのと少なくとも同じ程度には効果的だった。(ルーズベルト一族のFDR派は、アメリカ帝国に大反対していたが、1945年、イギリスが戦後、イギリスの支配層によるアラブ諸国支配を回復するのを阻止するため、FDRは、サウド王と同盟することをとうとう決定した。両国は第一次世界大戦の前に何度か戦っていたので、イギリス帝国そのものさえも粉砕するのがFDRの願望で、アメリカは実際、1927年から1939年までの間に、アメリカとイギリス間で軍事紛争を起こす秘密計画まで策定していた。FDRは、サウド王と同盟するというアメリカの計画で、そういう計画は不要になると考えたのだ。)
いわゆる‘イデオロギー’戦争がとうの昔に終わった後でさえ、依然シリアの主要支援国であり続けている共産主義以後のロシアを悪魔化するのにオバマがたけているので、ソ連共産主義打倒が、ロシアと同盟している支配者たちを打倒する口実として、もはや使えないという事実にも、オバマは全くひるむことはなかった。そして、NATOは今やロシア国境で、益々ロシアを包囲するようになっている。もし反ロシア扇動をするヒラリー・クリントンや他の候補者連中が次期アメリカ大統領になれば、彼らは既にほとんど制御不能なのだから、事態が一体どこまで悪化するか全くわからない。
オバマがほこりを払って引っ張りだし、実行に移した計画は、オバマのもとで、ロシアに対する遥かに広汎なアメリカの戦争の一環となった。次期アメリカ大統領にとって重要な決定の一つは、その広汎な戦争を一体どうするかだ。ウラジーミル・プーチンは、それを止めるため、既にできる限りのあらゆることをしているのだから、この戦争が更に激化するのを防ぐことはできない。ところが、バラク・オバマはノーベル平和賞を受賞している。プーチンは受賞していない。
セイモア・ハーシュが報じた通り、シリアにおける、オバマの攻撃性が、統合参謀本部のトップにとっては、到底つきあいきれなかったため、彼は辞任した。そして、私が報じたように、二人目の国務長官ジョン・ケリーにとっても、到底受け入れられなかったので、彼は事実上、あえてオバマに自分を首にさせようとしたが、オバマは幸いにも、そこで折れた。世界は、このような平和賞受賞者、というかアメリカ大統領を、更にもう一人受け入れる余裕はあるまい。
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調査ジャーナリスト、歴史研究者のEric Zuesseは新刊「彼らは全然違う: 民主党対 共和党の経済実績、1910-2010」および「キリストの腹話術師:キリスト教を生み出したイベント」と「封建主義、ファシズム、リバタリアニズムと経済学」の著者。
記事原文のurl:http://www.washingtonsblog.com/2016/01/obamas-invasion-plan-syria-drawn-kim-roosevelt-1957.html
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