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ISへの兵站線を守り、盗掘石油を売りさばいて大儲けしているトルコがシリアで米国と軍事作戦も
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201601270000/
2016.01.27 18:44:49 櫻井ジャーナル
【シリアへの軍事侵攻】
ジョー・バイデン米副大統領は1月23日、訪問先のトルコでアメリカとトルコはシリアで続いている戦闘を軍事的に解決する用意があると語った。「和平交渉」を目前に控えての発言だ。この交渉にアメリカ政府は戦闘集団、ジャイシュ・アル・イスラム(イスラム軍)を押し込んできた。この集団の創設者は2013年にオサマ・ビン・ラディンを賞賛していたという人物で、バラク・オバマ政権はアル・カイダから離れられず、このほかにも似たような背景を持つ人物を西側は交渉へ参加させるようだ。
軍事力を行使する口実として副大統領は「IS(ISIS、ISIL、ダーイッシュなどとも表記)」を持ち出しているが、この武装勢力はアメリカやトルコと深く結びついている。バイデン自身、2014年10月2日にハーバード大学で、シリアにおける「戦いは長くかつ困難なものとなる。この問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、UAEだ」と述べ、あまりにも多くの戦闘員に国境通過を許してしまい、いたずらにISを増強させてしまったことをトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は後悔していたとも語った。
エルドアン大統領が後悔しているとは思えないが、トルコ、サウジアラビア、UAEがISやアル・カイダ系武装勢力を支援しているとする指摘は正しい。アメリカとイスラエルが抜けているところに発言の目的があるのかもしれないが、トルコがISやアル・カイダ系武装勢力を支援していると発言した事実は消えない。
そうした反アサド軍を編成したのはこの3カ国だけでなく、アメリカ、イギリス、フランスなども含まれる。アサド体制を倒し、自分たちにとって都合の良い傀儡体制と入れ替えるために使われている傭兵集団がISやアル・カイダ系武装勢力だ。エルドアン大統領の家族が盗掘石油の利権で大儲けしていることは本ブログでも繰り返し書いてきた。
バイデン発言の前日、アシュトン・カーター国防長官は陸軍第101空挺師団に所属する1800名をイラクのモスルやシリアのラッカへ派遣すると語っていたが、シリア政府に要請されたわけでもなく、国連で認められたわけでもない状況でシリアへ派兵すれば、それは侵略行為にほかならない。
【米国の侵略計画】
シリアの体制を転覆させるべきだと主張する人がアメリカ支配層の内部に登場するのは遅くとも1991年のこと。アメリカで軍事や外交を主導しているのはネオンコン/シオニストだが、その勢力で中心的な役割を果たしているひとり、ポール・ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを5年以内に殲滅すると語ったという。当時、ウォルフォウィッツは国防次官を務めていた。これは1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークの証言だが、同元最高司令官はCNNの番組で、アメリカの友好国と同盟国がISを作り上げたとも語っている。
アル・カイダ系武装勢力やISの歴史は1979年から始まる。この年の4月、ズビグネフ・ブレジンスキー大統領補佐官の戦略に基づいてCIAはイスラム武装勢力の編成、育成、支援を開始した。戦闘員の多くはワッハーブ派/サラフ主義者で、その傾向は現在まで続いている。
そうした工作がすんなりと始まったのは、CIAがアフガニスタンで続けてきた活動に負うところが大きい。アメリカは1950年代の初めにムスリム同胞団系の集団と結びつき、イスラム共同体に食い込んでいた。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめている。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
1979年7月にジミー・カーター大統領はアフガニスタンの武装勢力に対する秘密支援を承認し、12月にはブレジンスキーの思惑通り、ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ軍事侵攻してきた。後にフランスのヌーベル・オプセルヴァトゥール誌のインタビューを受けた際、ブレジンスキーはイスラム武装勢力を生み出したことを後悔していないと語り、「秘密工作はすばらしいアイデアだった」と答えている。(Le Nouvel Observateur, January 15-21, 1998)
ソ連軍と戦うイスラム武装勢力を西側では「自由の戦士」と呼び、そうした中から「アル・カイダ」は生まれる。指揮系統が明確でない、戦略がはっきりしない、といったことが言われたが、それは当然。アル・カイダは戦闘集団でないのだ。
【傭兵としてのアル・カイダ】
故ロビン・クック元英外相が指摘したように、アル・カイダはCIAが訓練した「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルにすぎない。アル・カイダはアラビア語でベースを意味するが、「データベース」の訳語としても使われる。つまり、アル・カイダは戦闘員の登録リストにすぎないということだ。
シリアとリビアの体制を転覆させる目的で2011年春から戦闘は始まり、リビアではその年の10月にムアンマル・アル・カダフィ体制が倒されている。その際、NATOの空爆とアル・カイダ系武装集団LIFGを主力とする地上軍が手を組み、カダフィ惨殺の直後、反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた。その様子はYouTubeにアップロードされ、デイリー・メイル紙も伝えている。
リビアでの体制転覆プロジェクトに参加した戦闘員は武器/兵器と一緒にトルコ経由でシリアへ入るが、その拠点になったのはベンガジにあったCIAの施設で、アメリカの国務省は黙認していた。その際、マークを消したNATOの輸送機が武器をリビアからトルコの基地まで運んだとも伝えられている。
ベンガジにはアメリカの領事館があるのだが、そこが2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使も殺された。スティーブンスは戦闘が始まってから2カ月後の2011年4月に特使としてリビアへ入る。11月にリビアを離れるが、翌年の5月には大使として戻っていた。領事館が襲撃される前日、大使は武器輸送の責任者だったCIAの人間と会談、襲撃の当日には武器を輸送する海運会社の人間と会っていた。
【分裂】
ベンガジの領事館が襲撃される前の月、つまり2012年8月にアメリカ軍の情報機関DIAはシリア情勢に関する報告書を作成、反シリア政府軍の主力がサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。DIAによると、アル・ヌスラとはAQIがシリアで使っていた名称。つまり、AQIとアル・ヌスラは同じだ。
今でもオバマ政権はシリア政府を倒すために「穏健派」を支援していると主張しているが、2012年の段階で反シリア政府軍はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団だとDIAはオバマ政権に警告していた。なお、ISはこの集団から生み出されている。
アメリカ政府が「穏健派」を支援すれば、必然的にアル・カイダ系武装勢力など「過激派」が支援されることになり、サラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団の支配地がシリア東部に出現するとDIAは警告、その通りになった。報告書が作成された当時にDIA局長だったマイケル・フリン中将はアル・ジャジーラに対し、ISの勢力が拡大したのはオバマ政権が行った決断によるとしている。
2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後、調査らしい調査をしない段階でアメリカ政府はアル・カイダが実行したと断定、2003年3月にはアル・カイダ系武装集団を弾圧していたイラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒し、リビアやシリアではアル・カイダ系武装集団やそこから派生したISを使って体制転覆プロジェクトを進めているのがアメリカ。
そのアメリカがサウジアラビアやイスラエルと共同でシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したとシーモア・ハーシュは2007年3月5日付ニューヨーカー誌に書いている。1991年にウォルフォウィッツが殲滅すると口にした3カ国のうちイラクはすでに破壊、残されたシリアとイランを倒そうということだ。
この工作にはイギリス、フランス、カタール、トルコも参加することになり、現在はトルコとサウジアラビアの動きが注目されている。そうした中、イスラエルのモシェ・ヤーロン国防相はトルコが盗掘石油の購入という形でISに資金を提供していると非難したようだ。中東/北アフリカの体制転覆プロジェクトに参加している勢力は当初から同床異夢だったが、ロシアによる空爆で彼らのシナリオが崩壊、内部対立が深刻化しているのかもしれない。
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