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シリア政府軍の離反将校を中核とする武装組織「自由シリア軍」は約5年に及ぶ内戦の初期、反体制派の旗頭だった。しかし、過激派組織「イスラム国」(IS)などイスラム勢力の台頭と入れ替わるように存在感は急速に薄れた。「副司令官としての私の役割は遠い昔に終わった」。滞在先のトルコ南部アンタクヤで11日に取材に応じた自由シリア軍の元ナンバー2、マリク・クルディ氏(52)は視線を落とし、首を4度左右に振った。
海軍大佐だったクルディ氏は2011年8月に軍を離れ、反体制派の緩やかな連合体である自由シリア軍に参加した。自由シリア軍は12年夏までに首都ダマスカス郊外や北部アレッポを拠点化。クルディ氏も「最盛期には数万人が指揮下にあった。政権打倒への手応えがあった」と語る。
だが同じ頃、北西部イドリブ県で「異変」は起きていた。「アフラル・シャム(シリアの自由人)」を名乗る集団が「聖戦」を掲げ、大規模な勧誘を進めていた。中心になったのは、「アラブの春」以降にアサド政権が釈放した反体制派のイスラム主義者だった。
アサド政権は一連の釈放を「法に沿った手続きだ」と説明する。だが、クルディ氏は「過激派を含むイスラム勢力を意図的に増殖させることで、武力弾圧を『対テロ戦争』にすり替えるのが政権側の狙いだった」とみる。
周辺国もイスラム勢力の台頭に手を貸した。隣国トルコは外国人戦闘員や物資の越境を黙認。アラブ諸国からは「聖戦支援」の名目で集めた資金が流入した。さらに、アフガニスタンやイラクで戦闘経験のある戦闘員が加勢した。
一方、自由シリア軍の大半は戦闘経験のない市民だった。派閥争いや占領地域での略奪が横行。13年以降は目立った戦果を上げられず、現在はヨルダン国境付近以外では小規模な部隊が散在するだけだ。イスラム勢力支配下のイドリブのエンジニア、アブドラ・カッサブさん(36)は「腐敗した自由シリア軍より、無差別空爆を続ける政権に対抗できるイスラム勢力の方がマシだ」と話す。
アサド政権をはじめ、関係周辺国などの思惑も相まって増大したイスラム勢力だが、政治方針はさまざまだ。
ISは敵対勢力を一切排除するが、ISの前身組織から分離したヌスラ戦線は他の反体制派と連携する。シリア人主体のアフラル・シャムやイスラム軍は対話による解決にも前向きで、サウジアラビアで昨年12月、和平協議に向けて開催された反体制派の会議にも参加した。
「我々はイスラム教徒だが、過激派ではない。自由と社会正義の実現を目指し、自由選挙も支持する」。イスラム軍の広報担当、イスラム・アッルーシュ氏(35)はそう訴える。アサド政権などは同軍などイスラム勢力の和平協議への参加に難色を示すが、アッルーシュ氏は「軍事、政治両面でイスラム軍の存在は大きいと自負している。我々を除外した和平協議など意味がない」と強調した。【アンタクヤ、イスタンブールで秋山信一】
■ことば
シリア内戦
アサド政権が2011年3月に改革要求デモを武力弾圧し、内戦に発展した。政権、反体制派、IS、クルド人勢力が互いに抗争。反体制派には世俗派もいるが、イスラム勢力が優勢だ。国連などによると、死者は25万人以上、周辺国に逃れた難民は約460万人、国内避難民は約760万人に上る。アサド政権はロシアやイラン、反体制派は米欧やサウジアラビア、トルコなどからそれぞれ支援を受けている。
http://mainichi.jp/articles/20160117/ddm/007/030/069000c
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