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74年前の12月7日に日本軍は真珠湾を奇襲攻撃したが、「馬鹿な選択」はアジア侵略を始めたこと(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/15/warb16/msg/595.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 12 月 09 日 07:48:06: igsppGRN/E9PQ
 

74年前の12月7日に日本軍は真珠湾を奇襲攻撃したが、「馬鹿な選択」はアジア侵略を始めたこと
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201512080001/
2015.12.09 03:54:25 櫻井ジャーナル


 ハワイの真珠湾を日本軍が奇襲攻撃したのは1941年12月7日午前7時48分(現地時間)のことだった。アメリカ側はある程度、攻撃を予測していたようだが、詳しく知っていたとしても通告前に攻撃した以上、奇襲攻撃であることに変わりはない。

 この攻撃について、「馬鹿な選択」だったという声をよく聞くが、それは「馬鹿なアジア侵略」の必然的な結果だった。当時、日本とアメリカとでは生産力も科学技術力も大きな差があり、勝てる見込みはなかったということはマスコミも主張しているが、それはアメリカに従えば問題はなかったと言いたいだけのことだろう。中国での戦闘が泥沼化、苦し紛れにアメリカを攻撃しただけだが、中国で勝てなかったという事実と向き合おうとしていない。

 週刊現代のサイトによると、今年6月1日、官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相は「安保関連法制」について「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。http://gendai.ismedia.jp/articles/print/43909
日本でのことは知らないが、安倍政権は中国との戦争を想定しているわけで、外国では話題になっていた。アメリカに従っていれば中国と戦争しても勝てると安倍首相のような好戦派は思い込んでいるのだろう。

 ところで、日本軍が真珠湾を攻撃する半年前、ドイツ軍はソ連に向かって進撃を開始した。「バルバロッサ作戦」だ。7月にはレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲し、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫った。

 こうしたドイツ軍の進撃も日本側の判断に影響したかもしれないが、この段階で日本軍がアメリカを攻撃することはドイツにとって好ましくはなかった。アメリカ軍が参戦することはドイツにとって不利になるからだが、実際のところ、アメリカは参戦後もドイツのソ連攻撃を傍観している。ちなみに、真珠湾攻撃の前、アメリカでは約70%の人びとがアドルフ・ヒトラーを倒すべきだとしていたが、同じ比率の人びとが参戦に反対していた。(Daniel Yergin, “Shattered Peace”, Houghton Mifflin, 1977)

 本ブログでは何度も書いているように、1932年の大統領選挙でウォール街が支援していた現職のハーバート・フーバーがニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北、新大統領を排除してファシズム政権を樹立させるためのクーデターが計画された。その中心がJPモルガンだとされている。海兵隊のスメドリー・バトラー少将が議会で証言し、計画を明るみに出している。

 JPモルガンは関東大震災以降、日本の政治経済に大きな影響力を持つようになり、最近の用語を使うならば、「新自由主義」を導入させた。彼らが最も親しくしていた日本人は1920年の対中国借款交渉を通じて接近、浜口雄幸内閣と第2次若槻礼次郎内閣で大蔵大臣を務めた井上準之助。この井上が血盟団に暗殺されたのは1932年だが、その年にJPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻のいとこ、ジョセフ・グルーが駐日大使として日本へやって来た。グルーは戦後、日本の民主化を止めて戦前回帰させたジャパン・ロビーの中心的存在でもある。

 グルーと親しかった日本人のひとりと言われている松岡洋右は柳条湖事件、国際連盟の脱退と絡んで記憶されている。フーバー政権時代の1931年9月、日本軍は柳条湖の近くで満鉄の線路を爆破(実際は音がしただけではないかとする説もある)、中国軍が実行したと主張して攻撃を開始、約4カ月で中国東北部を占領した。

 この事件についてイギリスのビクター・ブルワー-リットンを団長とする調査団が1932年2月から調査を開始、10月に報告書が公表されるが、侵略された側の立場が反映されているとは言い難い内容だった。何しろ欧米各国も植民地を作り、略奪していたのだ。

 しかし、アメリカでは1933年に反植民地、反ファシズムの政権が誕生、状況が大きく変化する。ニューディール派のルーズベルトが大統領に就任したのだ。日本と結びついていたJPモルガンは主導権を奪われてしまう。日本の迷走はそうした背景も影響しているだろう。そして真珠湾を攻撃することになる。

 ルーズベルトをクーデターで葬り去ろうとしたウォール街は日本よりドイツと強く結びついていた。そのドイツがバルバロッサ作戦をはじめると、反ファシストの米大統領はソ連への支援に前向きな姿勢を示すのだが、支配層には逆の考え方をする人が少なくなかった。例えば、ハリー・トルーマン上院議員(後の副大統領/大統領)は「ドイツが勝ちそうに見えたならロシアを助け、ロシアが勝ちそうならドイツを助け、そうやって可能な限り彼らに殺させよう」と主張している。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 また、ジャーナリストのC・アンソニー・ケイブ・ブラウンによると、1939年頃、イギリス支配層にはソ連と戦うために「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成するという案があったという。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)

 こうした案も真珠湾攻撃で消え、その一方でルーズベルト大統領は1942年6月に戦時情報機関のOSSを組織、ウォール街の弁護士だったウィリアム・ドノバンを長官に任命している。ドノバンはコロンビア大学ロースクールでルーズベルト大統領のクラスメートだった。このドノバンが情報活動に引き入れた弁護士仲間のひとりがアレン・ダレスだが、このダレスたちはルーズベルトを完全に無視して動くことになる。何しろ、彼らはウォール街の代理人だ。

 当初、スターリングラードでの攻防戦はドイツ軍が優位だったが、冬に入ると形勢は逆転し、1943年2月になるとドイツ軍は全滅、ソ連軍の反撃が始まった。それを見てアメリカ支配層は慌てる。それまでは静観していたのだが、1943年7月にアメリカ軍を中心とする連合軍がシチリア島へ上陸、44年6月にはノルマンディ上陸作戦を敢行してパリを制圧した。

 その一方、アメリカとイギリスは1944年夏にゲリラ戦部隊のジェドバラを編成するのだが、言うまでもなく、この段階で壊滅状態のドイツ軍に対するゲリラ戦を行う意味はない。想定していたのはコミュニストの影響を強く受けていたレジスタンスや目前に迫っているソ連軍だろう。

 このジェドバラ人脈は戦後、アメリカの破壊工作機関OPCを組織、1950年10月にCIAの内部へ潜り込んで52年8月に計画局、秘密工作の実態が明るみに出た後の73年3月に作戦局へ名称を変更、2005年10月からはNCS(国家秘密局)として活動を続けている。

 大戦の末期にアレン・ダレスたちはナチスの高官と接触、保護しているが、ウィンストン・チャーチル英首相はドイツが降伏した直後、JPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、そこで考え出されたのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。

 この作戦が影響したのか、チャーチルは7月26日に退陣するが、翌1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで、「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、「冷戦」の幕開けを告げている。それだけでなく、チャーチルは1947年にアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたという。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2826980/Winston-Churchill-s-bid-nuke-Russia-win-Cold-War-uncovered-secret-FBI-files.html

 米英はソ連というより、ロシアの制圧を目論んできた。それを「ハートランド理論」としてまとめたのがハルフォード・マッキンダー。1904年のことだ。この理論については何度か触れたので今回は割愛するが、この戦略は今でも生きている可能性が高い。アヘン戦争の後、イギリス、後にアメリカは日本を侵略の手先として使った可能性が高く、その従属関係が揺らいだルーズベルト政権で真珠湾攻撃は実行されたと言えるだろう。


 

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コメント
 
1. 2015年12月09日 08:44:29 : OtUeAykcYA : SHJ116kcX84[10]
>「馬鹿な選択」はアジア侵略を始めたこと

東南アジアはアメリカ、イギリス、フランスの植民地だった。
フイリッピンはアメリカ、ベトナムはフランス、インドはイギリス、インドシナはオランダの植民地等。
これらの国が植民地を脱するためには、武力が必要なのは自明のことであり、独立への日本の功績は世界で認められている。

(私達の先人は大東亜戦争を戦ったのです)
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9304/daitoua.htm
H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」

アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
  第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)
 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)

ククリックド・プラモード (タイ国元首相 )
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」( 十二月八日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )

バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
 約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。・・・ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」(一問に百答 日下公人 PHP研究所)

ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最高司令官・元帥)

 日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。(1951年5月3日米上院の軍事外交合同委員会の聴聞会における発言)

ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」(TragicDeception1983))
 ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を達成させた。

ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学歴史学部教授)

大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。
 日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた。 今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮かび上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。(中略)
 さらに日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、独立を求める牢固たる意志に支えられていた。(「東南アジアの開放と日本の遺産」秀英書房、256〜7ページ)


2. 2015年12月09日 09:52:02 : RTWWw8j8P6 : 0[4]

>>1

君はアジアを侵略したことは間違いで、米英と戦ったことは褒め称えられるべきだと

いう主張なのだね(笑)



3. 2015年12月09日 10:19:37 : OO6Zlan35k : ScYwLWGZkzE[69]

黄海でNLL南側に中国船が進入 韓国が警告射撃 中国漁船団の1隻 

 韓国軍の合同参謀本部によると、8日午後、朝鮮半島西方の黄海で、韓国が北朝鮮との海上境界線と主張する北方限界線(NLL)南側に中国船が入り、韓国軍の艦艇が警告放送と警告射撃をした。

 中国船は約20分後にNLL北側に出た。現場は韓国西端の白●(=領の頁を羽の旧字体に)島近くで、周辺海域では中国漁船の不法操業が横行している。

 韓国軍は当初、船は中国漁船団の不法操業を取り締まる北朝鮮の船の可能性があるとみて対応したが、確認の結果、中国漁船団の1隻と分かったという。(共同)
http://www.sankei.com/world/news/151208/wor1512080052-n1.html


 

日米共同開発の新型迎撃ミサイル、2度目の発射実験成功
2015年12月9日08時34分 
写真・図版
 12月8日、日米が共同開発している海上配備型の迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の発射実験が、米カリフォルニア州南部マリブの近くで行われ、実験は成功したと、関係者2人が明らかにした。写真は横須賀の米空軍基地にて。2013年4月撮影(2015年 ロイター/Yuya Shino)
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 [ワシントン 8日 ロイター] - 日米が共同開発している海上配備型の迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の発射実験が8日、米カリフォルニア州南部マリブの近くで行われ、実験は成功した。関係者2人が明らかにした。 

 この新型ミサイルは、米ロッキード・マーティンが製造したSM3の改良版で、米レイセオンが製造を担当。発射実験は2度目で、今回の実験で迎撃は行われなかったという。

 米ミサイル防衛局によると、新型のミサイル開発計画に米国は20億ドル以上、日本は約10億ドル出資。新型ミサイルは数年後に日米のイージス艦に配備される予定。

 
http://www.asahi.com/international/reuters/CRWKBN0TR2YB.html


[32初期非表示理由]:担当:関連が薄い長文

4. 2015年12月09日 13:06:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[184]
真珠湾奇襲攻撃はルーズベルトが昭和天皇に指示してやらせたんだよ

そもそも当時の日本で真珠湾の事を良く知っていたのが昭和天皇だけだったというのは有名な話


5. 2015年12月09日 13:07:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[185]
・山本五十六はルーズベルトの学友で大の仲良しだったから、ルーズベルトを昭和天皇に紹介したんだろ

6. 2015年12月09日 13:37:11 : Kfk4DQMTb2 : WeTQCPIZ0Ak[3]

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/ec5fecbd148c1826d6b0f1238787c8d0
米の著述家コーエンは彼の著作においてアメリカ戦略爆撃隊の航空機工業部が編集した記録の中から 次の文を引用している。
「日本の航空機工業への援助(金融的援助の他に)という点では アメリカ合衆国は日本政府よりも多く尽くしたのであった。
アメリカの戦闘機 爆撃機の操縦者達がアメリカ合衆国設計局が、当初設計した構造の飛行機と戦かわねばならなかったことは悲しむべき事実である。
日本の発動機とプロペラはアメリカが戦前売り渡した特許により得たアメリカの設計図にしたがって製作されたものである。
日本の指導的な航空技師の多くは マサチューセッツ工科大学やカリフォルニはスタンフォード技術学校で教育を受けた。
更に大量の日本の製作者たちはカーチス、ダグラス ボーイング、ロッキードの工場で見習いとして働いていたのだ。」
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7. 2015年12月09日 14:25:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[189]
>>6
アメリカは不景気対策で日本と戦争したがっていた

それで昭和天皇に命令して真珠湾を攻撃させた

宣戦布告を遅れさせたのもルーズベルトの指示だろうね


8. 2015年12月09日 20:18:39 : aXMqObr5Zk : BiEihENk5Ws[25]
昔の話をしたって何の意味も無い、負けたんだからグダグダ言わずに日本の主権回復に努力7しろ、負けてから70年経っても首都の制空権を外国に握られている国なんて日本だけだ。

9. 2015年12月09日 21:58:58 : 4eAUdJhKZ2 : rV_XW4nMCOQ[38]
>1
植民地 捨てたい英に 踊らされ

専門家 したり顔して 誉め殺し


10. 2015年12月09日 22:18:33 : Kfk4DQMTb2 : WeTQCPIZ0Ak[4]
>>6 >>7 >>8

時々、日本はアメリカに騙されて戦争に引き込まれた、とか,真珠湾攻撃は罠だったとかソ連に騙されていたとかいう奴がいる。
大真面目にそういう本まで書いている奴もいる。
つまり、
日本人は如何に知能程度が低い馬鹿で、簡単に騙されて国をボロボロにされ、天皇とか靖国神道カルトのようなイカレた猿を「陛下」だとか「神」とかひれ伏して崇め祀るような虫けら知能の生物だと言っている。
虫けら知能の生物だからルーズベルトに騙され天皇猿一派に騙され、靖国カルトに騙され、
今は日本会議や靖国自衛隊利権やアメ公に身ぐるみはがされている、
これほど我が日本人はクソバカタレなんだと言っている。
そうなのか?
確かにいい年をした大人が愛子「様」とか安倍に投票したりとか、
気が狂ってるようなウスラバカ振りではあるが・・・。
宣伝リンク認定27238451.html


11. 2015年12月09日 22:54:42 : I18ddqRuRY : ho0oQ4uCkh4[11]
>>6

アメリカ人が発明したのだからアメリカに行って学ぶのは当たり前だと思うが。

アメリカ人だって日本車大好きで安くて高品質だからたくさん買っているが、与太の社長を議会に呼び出して泣くまで詰問したり、尊敬の念はまったくないな。


12. 2015年12月10日 15:38:52 : LRg14ptsj2 : 4akjS41yFLw[10]
日本がだまされて開戦したとするなら日本が阿呆だったということだ。

今も同じだ。



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