1. 2015年11月12日 06:57:06
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田岡俊次の戦略目からウロコ 【第58回】 2015年11月12日 田岡俊次 [軍事ジャーナリスト] オバマの軍事行動はなぜことごとく失敗するのか オバマ米大統領は10月30日、初めてシリアに投入する地上部隊として特殊部隊約50名を派遣することを決めた。また10月15日には、本来2016年中に現在アフガニスタンにいる1万人余の米兵をほとんど撤退させるはずだった計画を延期し、2016年以降も5500人を駐留させることにした。 イラクからは2011年12月に米軍は一度完全撤退したが、自称「イスラム国」の台頭に対し2014年8月から航空攻撃を行い、地上部隊を再派遣、当初は300人程のつもりが、現在では3000人以上になった。 オバマ大統領は2008年の選挙ではイラクからの撤兵、アフガニスタン戦争の早期終結を唱えて圧勝したが、結局イラクからもアフガニスタンからも完全に足が抜けず、さらに自らシリア内戦に介入し、そのいずれも出口の見えない混迷の中、大統領の任期の最終年を迎えることになった。戦争を始めるのは簡単だが、やめるのは難しいことを如実に示している。 イラクでのスンニ派圧迫が 「イスラム国」台頭を招いた オバマ大統領の判断が結果的にイスラム国台頭を招いた (c)The White House いまから7年前。2008年11月4日、米大統領選挙に勝利したバラク・オバマ氏は勝利演説で「今夜祝っている間にも、明日もたらされる難題である2つの戦争」「我々はイラクの砂漠やアフガニスタンの山中で起床し、我々のため己の命を危険に晒している米国人がいることを知っている」と戦争を終わらせる信念を語り、「Yes, we can!」と叫んだ。
たしかに彼はイラクからの撤退の目標は達成した。2011年12月18日、米軍は撤退を完了し、米軍に死者4487人(文官を含む)を出し、戦費8000億ドル余(約100兆円)を費やし、イラク民間人死者約11万人の犠牲を生じたイラク戦争は一応終了した。 オバマ氏は「我々は安定し、民衆に選ばれた政府を持つイラクを去る」と終結宣言で語ったが、この戦争で火がついたシーア派とスンニ派の抗争は収まらず、圧迫されたスンニ派の武装勢力「イスラム国」が2014年6月からイラク北部、西部を制し、シリアにも支配地域を拡大した。 これに対し米国は14年6月に軍事顧問団300人を送ったが効果はなく、米軍は8月8日、英、仏、加など11ヵ国の空軍とともに航空攻撃、巡航ミサイル攻撃に踏み切り、さらに15年2月には攻撃目標の選定や特殊作戦のため約3000人の地上部隊を再び駐留させざるをなくなった。 攻撃開始後1年以上たっても「イスラム国」の勢力は顕著な衰えを見せず、2015年9月30日からロシア空軍もシリアで「イスラム国」とアルカイダに属する「ヌスラ戦線」など反政府勢力への攻撃を行っている。 米国はこれまでシリアでは「イスラム国」の拠点を航空攻撃しつつ、地上部隊は派遣していなかったが、ロシアが友邦シリアのアサド政権を助けるため参戦し、最初の1ヵ月で「1623目標を破壊」と発表する激しい攻撃を行っているため、それを競って「イスラム国」攻撃を強化する必要に迫られ、10月30日シリアに特殊部隊約50人を送ることを決めた。 航空攻撃の目標を選んで攻撃を誘導したり「イスラム国」に対抗する反政府武装勢力にテコ入れするのが目的のようだ。だがイラクでは当初「軍事顧問約300人を派遣」としていたのが、いまでは3000人以上に拡大していることを見れば、シリアでも一度地上部隊を出せば「これでは足りない」との現場からの要請が高まり、次々と兵力を追加せざるをなくなる可能性が高いだろう。 アフガン戦争を終結できない オバマ氏の責任は大きい またオバマ政権はその任期が終わる2016年末までにアフガニスタンからの撤退を行う方針だったが、10月15日にその延期を決定した。本来は現在アフガニスタンに駐留する約1万800人の米兵のうち、大使館警備要員約1000人だけを残して撤退する計画だったが、2017年以降も5500人を駐留させることに変更した。 9月末にタリバンが北部の交通の要衝クンドゥス(カブールの北約250km)を一時占拠したり、カブールとその南西約500kmの同国第2の都市カンダハール間の国道をタリバンが制圧して通行不能になっている。「イスラム国」も東部で台頭したなど、風雲急を告げる事態になっており、米軍が撤退すれば現在のアフガニスタン政府が崩壊する可能性が高いためだ。 米軍によるアフガニスタン占領(2001年11月)、イラク占領(2003年4月)は2代目ブッシュ政権が行ったことで、オバマ大統領は前任者の負の遺産を引き継いだ面もある。とは言え、オバマ氏は2008年の大統領選挙戦で「イラクからの撤退」を唱え、保守派から「敗北主義」と言われたため、「本来テロとの戦いの主戦場はアフガニスタンではないか」と反論し、イラクからは撤退し、アフガニスタン平定に力を集中し終結に導く方針を示した。 彼の大統領就任前の2008年にはアフガニスタン駐留の米軍は2.5万人弱だったのが、2010年には10万人近くに拡大したのにタリバン勢力の制圧はできず、米国が何度も試みたタリバンとの和解も実現しなかったのだから、アフガニスタン戦争の責任のかなりの部分はオバマ氏にもある。 所詮今日のような状態になるのなら、増派をしなかった方が人的損害(これまでの米軍の死者2365人、01〜08年は計625人)や増派による追加戦費約300億ドル(約3.6兆円)は出さずにすんだはずだ。日本はアフガニスタンの警官の給与の半分などを負担、これまで7000億円を注ぎ込んだ。 オバマ政権のシリア介入は 支離滅裂の結果に 2011年に始まったシリア内戦への介入は前任者ではなく、全くオバマ政権の責任だ。2010年12月にチュニジアで始まった民主化運動「アラブの春」がシリアにも波及、騒乱状態が起きた際、米国はイラン、ロシアと友好関係にあるシリアのバッシャール・アサド大統領の政権を倒す好機と見て、シリア軍から離脱した将兵が「自由シリア軍」を結成して反旗を翻すのを援助した。 アサド家はイスラム少数派(シリア人口の12%)のアラウィ派に属し、同国の74%はスンニ派だからアサド政権は簡単に倒れる、と考えたようだが、アサド政権は世俗的(非宗教)で社会主義色の濃いバース党の政権だから、スンニ派の将兵も政府に忠誠心を抱く者は少なくなく、イスラエルを支援している米国が背後にいる「自由シリア軍」に加わったのは、約30万人のシリア軍のうち、ピーク時で2万人程にすぎず、中核部隊はアサド政権側に付いた。 政府側の民兵組織「国家防衛隊」も生れて拡大したから、アサド政権は倒れず、激しい内戦がすでに4年間続き、死者20万人以上、国外へ脱出した難民400万人余、国内の避難者760万人余とされる。「自由シリア軍」には民衆の支持が乏しく、士気も揮わず消滅状態になったため、米国は「新シリア軍」を造ろうとしたが100人程度しか応募者がなく、それをヨルダン、トルコで訓練してシリアに送り込むと逃亡したり、アルカイダ系の「ヌスラ戦線」に武器の車両を引き渡すなどの体たらくで、米国もこの計画をあきらめた。 現在のシリア反政府勢力は「ヌスラ戦線」を主体に、それに同調する雑多な武装勢力も加わった「ファトフ軍」と「イスラム国」の2組織で、この2つが対立抗争しつつ政府軍と戦っている。米国はロシアが「イスラム国だけでなく、他の反政府勢力を攻撃している」と非難するが、これは「アルカイダを攻撃するのはけしからん」と言うのも同然で、オバマ政権のシリア政策は支離滅裂になった。 難民、避難民のさらなる増加を止め、彼らが帰郷できるようにするためには、内戦の早期終結が不可欠だ。もしアサド政権が倒れれば「イスラム国」と「ヌスラ戦線」がシリアの支配権を争い、内戦が続く公算は極めて高いし、両者のいずれが勝っても人々は安心して帰郷できない。アサド政権が内乱を鎮定するよう他国が協力するしか現実的解決策はないように思える。国際法上も外国の内乱の際、政府を援助して治安を回復させるのは正当だが、反徒を援助するのは間接侵略に当たる。 難民の流入に困っている国は多いから、おそらく事態はアサド政権の存続を容認し、復興を支援する方に動いて行くだろう。こうなると米国の失態、ロシアの行動の正しさが歴然とするから、オバマ政権としては何とか面目だけでも保てる玉虫色の妥協を模索することになるだろう。 米国保守派は、オバマ氏の弱腰がイラク、シリアでの「イスラム国」の台頭を招き、アサド政権の存続を可能とし、アフガニスタンでのタリバンの再興を許した、と批判する。だが、全体的な因果関係を考えれば、米国がイラクでスンニ派を旧サダム・フセイン政権の徒党として追放、迫害したから、スンニ派の不満が高まり「イスラム国」が生まれた。米国がシリアで反乱軍を支援し内戦の鎮定を妨げたため、シリアは混乱を続け、「イスラム国」がシリアにも進出した。アフガニスタンでは、オバマ政権は極めて強腰に出たが空振りに終わった。 これを考えれば米国の指導層はオバマ氏の弱腰を責めるより、そもそも状況判断が誤っていたことが、アフガニスタン、イラク、シリアでの3つの戦争で失敗したことに気付くべきだろう。 米国政府は思い込み激しく 簡単に騙されやすい 米国は16もの情報機関を持ち、要員約15万人、年間526億ドル(6.3兆円)もの情報経費を投じていると言われる。数百万回線の電話、無線通信を傍受し、ハッキングにたけたNSA(国家保全庁)や、地上の1.5cmの物体も撮影できる偵察衛星、数百機の無人偵察機などを持ち、多数の国からの移民も多いだけに工作員も募りやすいのだが、余りに巨大な組織だけに収集した全ての情報を中枢に上げる訳にはいかず、国家安全保障会議などの情報要求に応じCIA(中央情報庁)が各情報機関に「これこれの情報を出せ」と指示し、CIAがそれをまとめて報告するシステムになっている。「イラクが大量破壊兵器を作っている証拠はないか」との要求があれば、それらしい物をかき集めて出すのだから、上層部の思い込みを助長するだけの情報機構になりかねない。 また米国の高官は弁護士出身が多いためか、法廷での弁論のようにまず言いたいことを決めて、それに合う証拠を探す癖がある。各方面の情報を勘案、考量してから立場を決める行政官の習慣とは異なるな、との印象を受けたことがよくある。 また米国人は自国を美化して見るから、米国に擦り寄る人物を「善玉」と見がちで、亡命者にだまされやすい。亡命者は本国の権力闘争で敗れたり、不正をして逃亡した者が少なくなく、米国の力を利用して返り咲きをたくらんだり、利得を狙うなどの目的で米国人の気に入ること、聞きたいことを言い、独裁者の圧制、民衆の不満などを訴えて「米軍が来れば民衆は大歓迎します」と持ちかける。 米軍がイラクに侵攻した際には、そんな情報を真に受け、イラク軍が大挙して投降して来るような予想も出ていた。シリア内戦でもロンドンにいる亡命者の組織にすぎない「シリア人権監視団」が流す“情報”を信じる傾向が見られる。 中東情報はイスラエルの情報機関「モサド」等に頼ることが多いようだが、イスラエルは当然米国の国益ではなく、自国の利益を考えるから、それに都合のよい情報を吹き込んで米国を操ろうと努める。 イスラエルだけでなく、米国を騙して敵を倒そうとした国は他にもある。ユーゴスラビアの内戦ではクロアチアが米国の広報会社を使って巧みな宣伝を行い、ユーゴスラビアのコソボで50万人のアルバニア系住民が政府軍に虐殺されつつある、と米国指導層に信じさせた。米軍を主体としたNATO軍は1999年3月から79日間、ユーゴスラビア爆撃を行い、コソボを占領し大虐殺の証拠を探したが、発見した遺体は2108体で、これはその前年に蜂起したコソボ解放軍とユーゴ治安部隊の戦死者であり、大虐殺は全くのデマだったことが判明した。 この愚行に関する検証、反省が行われなかったため、イラク戦争前の「大量破壊兵器」情報に再び騙されて開戦に踏み切る大失態を演じる結果となった。 新安全保障法制の成立により、今後日本は海外での米国の行動に協力を求められる機会が増えると思われるが、いかに米国の情報収集能力が高くても、従来分析の段階では思い込みが激しく、簡単に騙され、操られてきた例が多いことを考え、日本は独自に客観的な分析を行うことに努めるべきだろう。 http://diamond.jp/articles/-/81498
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